この項目では、飲料の茶について説明しています。色名については「茶色 」を、その他の用法については「茶 (曖昧さ回避) 」をご覧ください。
「お茶 」はこの項目へ転送 されています。国際連合事務局の OCHA (United Nations O ffice for C oordination of H umanitarian A ffairs) については「国際連合人道問題調整事務所 」をご覧ください。
日本 で一般的な煎茶
抹茶 を点てる様子
秋に花咲く、日本の茶の木 (愛媛県 広見町 )。
茶 (ちゃ)またはティー (英語 : Tea )は、チャノキ (学名 :Camellia sinensis (L.) O. Kuntze )[ 注釈 1] の葉 (茶葉)や茎 (茎茶 ・棒茶)から作られる飲み物 である。
また、これに加えて、チャノキ以外の植物 の部位(葉、茎、果実 、花びら 、根 等)や真菌類 ・動物 に由来する加工物から作られる飲み物(「茶ではない「茶」 」の節、茶外茶 を参照 )にも「茶」もしくは「○○茶」と称するものが数多くある。
定義
茶類を分類したISO 20715:2023 「Tea — Classification of tea types 」では茶を以下のように定義している:
products processed by characteristic techniques exclusively using fresh tea leaves and known to be suitable for consumption [ 1]
(試訳)生葉のみを使用し、特徴的な技術によって加工され、消費に適していることが知られている製品。
ここで生葉(fresh tea leaf )は以下のように定義される:
栽培
チャノキ
マレーシア ・キャメロンハイランド にある茶のプランテーション 。
チャノキ (茶樹、学名 :Camellia sinensis (L.) O. Kuntze )は、主に熱帯 及び亜熱帯 気候で生育する常緑樹 である[ 4] 。品種によっては海洋性気候 でも生育可能であり、最北でイギリス のペンブルックシャー [ 5] やアメリカ合衆国 ワシントン州 [ 6] で栽培されている。
茶樹は種子 から、あるいは挿し木 によって繁殖する。茶樹が種子を付けるまで4年から12年ほどかかり、新しい木が収穫(摘採)に適するまでには3年ほどかかる[ 4] 。年平均気温が12.5 - 13℃ 以上(適温は14 - 16℃)、年間降水量 が1300 - 1400mm以上、土壌はpH 4 - 5程度の酸性 であることが望ましいとされている[ 8] 。茶の品質は一般に窒素 を多くするほど向上する(ある程度以上では効果は薄い)。そのため多施肥 化が進み、日本などでは硝酸態窒素 による地下水汚染 が問題になっている[ 9] 。
タンザニア の手摘みの様子。
栽培されている変種
世界で主に栽培されているチャノキは基準変種 であるチャノキ(学名:Camellia sinensis (L.) O. Kuntze var. sinensis )とアッサムチャ(学名:Camellia sinensis (L.) O. Kuntze var. assamica )であり[ 10] 、茶業 では前者を中国種 、後者をアッサム種 という[ 11] 。
なお、カンボジア種 (C. assamica subsp. lasiocaly )[ 12] およびダージリンティー[ 13] はいずれも中国種とアッサム種のハイブリッドである事が遺伝子解析により示された。
また中国雲南省 ではCamellia taliensis (大理茶)が茶(白茶や紅茶やプーアル茶[ 14] [ 15] [ 16] )を作るのに使われている。
中国種
比較的カテキン 含有量が少なく、酵素 の活性も弱く酸化 発酵 しにくいことから、一般に緑茶 向きとされている。
中国種は幹が枝分かれした低木で、寒い冬にもよく耐え、100年程度栽培可能である[ 17] 。葉は比較的小さく、成長時の長さは5センチメートル程度である[ 18] 。中国 、日本などの緑茶生産国のほか、イラン 、グルジア 、トルコ など冬の寒さが厳しい場所で栽培されている[ 19] 。また、インド のダージリン やスリランカ でも栽培されている[ 17] 。
アッサム種
アッサム種はカテキン含有量が多く、酵素 の活性が強く発酵しやすいことから、紅茶 向きとされている。また黒茶 のうち、プーアル熟茶 もアッサム種を使うことが前述のISO 20715:2023 「Tea — Classification of tea types 」に規定されている[ 20] 。
アッサム種は単幹の高木 で、放置すれば6メートルから18メートルの高さにも達する。葉が大きく、15-35センチメートルまで成長する[ 18] 。栽培に適した高さに刈り込みながら摘採した場合、経済的に利用可能なのは40年程度である。アッサム種の中に5つの亜変種があるとの説もある[ 17] 。生育の良さと葉の大きさのため収量があり、インドのアッサム地方 、スリランカ 低地、インドネシア 、ケニア などで栽培されている[ 19] 。
摘採直後の茶葉。同じ木から摘んだものでも、葉の小さいものの方が重量当たりの価値が高い(インド・ダージリン)。
栽培
新芽が成長してくると摘採 を行う。摘採時期が遅れると収量は増えるものの、次第に粗繊維が増加して葉が硬化し、主成分であるカフェイン 、カテキン 、アミノ酸 (テアニン )も急激に減少するため、品質が低下する。そのため、品質を保ちながら収量を確保するため、摘採時期の見極めが必要である[ 22] 。
成熟した茶樹のうち、摘採するのは上部数センチメートルの葉と葉芽だけである[ 23] 。成長期には摘採後7日から15日で新しい葉が生え、葉がゆっくり成長するほど風味豊かな茶となるとされる[ 4] 。
味と香りの化学
主成分と味
茶には主として以下の成分が含まれている:
上記に上げた味のうち、渋味のみ基本味ではなく物理的な収れん感覚であり[ 25] 、辛味 とともに補助味とされる[ 25] 。
香りと化合物
茶の香りの元となる主な化合物は以下のとおりである:
分類・製造
中国茶 では、緑茶、白茶 、黄茶 、烏龍茶 、紅茶、黒茶 の大きく6種類の区別が用いられている[ 27] 。茶の分類の国際規格ISO 20715:2023「Tea — Classification of tea types」においても同じ6分類が用いられているので[ 29] 、これは国際的にも有効な分類である。
なおこの分類は「チャノキ の」「生葉」「のみ」を使った茶の分類なので[ 30] 、この条件を満たさない茶(例えば麦茶 )は分類に含まれない。これらの「茶」については「茶ではない「茶」 」の節を参照されたい。
これら6種類のうち黒茶以外の違いは一般的には発酵度合いによって説明され、発酵度合いの低い順に緑茶、白茶、黄茶、烏龍茶、紅茶とされ[ 31] 、それぞれ不発酵茶、微発酵茶、弱後発酵茶、半発酵茶、発酵茶と呼ばれる[ 31] [ 32] 。ただし茶業 における「発酵」は酵素 による酸化を指し、生化学 的な意味での「発酵 」ではない[ 33] 。黒茶に関しては生化学的な意味での発酵(すなわち微生物による嫌気的な代謝)が行われ[ 33] 、後発酵茶と呼ばれる[ 31] [ 32] 。
一方、前述のISO 20715:2023 では茶の製法の観点からこれら6種類を定義しているが、これについては後述 する。
製法
6大茶分類は典型的には以下のように製造する:
上記に上げたのはあくまで典型的工程であり、例えば緑茶の一種である抹茶 は揉捻を行わないなど例外もある(なお、ISO 20715:2023 の緑茶の定義では「通常は揉捻」とあるので揉捻は必須ではない)。
各工程の詳細は以下の通りである:
ISO 20715:2023 における定義
ISO 20715:2023 は6大茶分類を製法の観点から以下のように特徴づけている[ 41] :
用いる部位
製造工程
原文
試訳
原文
試訳
緑茶
the tender leaves, buds and shoots
柔らかい葉、芽、もしくは苗条
enzyme inactivation and commonly rolling, shaping or comminution, followed by drying
酵素の不活性化そして通常は揉捻、成形もしくは粉砕、その後乾燥
黄茶
the bud or bud and the tender shoots
芽もしくは芽と柔らかい苗条
enzyme inactivation, rolling/shaping, yellowing and drying
酵素の不活性化、揉捻/成形、悶黄、および乾燥
黒茶
the tender shoots or mature new shoots
柔らかい苗条 もしくは成熟した新しい苗条
enzyme inactivation, rolling, piling fermentation and drying
酵素の不活性化、揉捻、渥堆、および乾燥
烏龍茶
the moderately matured new shoots
中程度に成熟した新しい苗条
withering, tumbling and aeration (partial aeration/oxidization), enzyme inactivation, rolling/shaping and drying
萎凋、做青と曝気(部分的な曝気/酸化)、酵素の不活性化、揉捻/成形および乾燥
紅茶
the tender shoots
柔らかい苗条
withering, rolling or leaf maceration, aeration and drying
萎凋、揉捻すなわち葉の浸解、曝気、および乾燥
白茶
the bud or bud and tender shoots (one to three leaves)
芽もしくは芽と柔らかい苗条 (1つから3つの葉)
harvesting and a single withering/drying stage
収穫し一度の萎凋/乾燥をする段階[ 注釈 7]
緑茶
緑茶はうま味 の元であるアミノ酸 が多い[ 42] のが特徴で、俗に「味を楽しむお茶」と言われ[ 43] 、紅茶や烏龍茶のような「香りを楽しむ茶」と対比される[ 43] 。
特徴
水色
緑色。殺青により酵素を失活させる事により[ 44] 、葉緑素(クロロフィル )の酸化が抑えるので[ 44] 、紅茶と違って茶葉の色が変わらない事による[ 44] 。(ただしほうじ茶 は茶葉を焙じているので水色は茶色 )。
味
(日本の)緑茶は紅茶 よりもうま味 を重視した茶であり、紅茶よりもうま味 の元であるアミノ酸 が多く[ 45] 、煎茶では上級煎茶ほどアミノ酸含有量が多い[ 45] 。また抹茶 や玉露 のような高級な茶種では栽培中に日光をさえぎる事によってもアミノ酸の分解を妨げているので[ 46] [ 47] 、いずれも煎茶の2倍程度アミノ酸が多い[ 46] [ 48] 。
香り
「緑の香り」[ 49] 、「苔のような香り」[ 49] 等と言われ、化学的には青葉アルデヒド [ 49] や青葉アルコール [ 49] などの草の匂い の元となる物質[ 50] [ 51] の匂い。揮発性のため、加熱により香りが飛んでしまう[ 49] 。
茶種
緑茶には殺青を釜炒りで行うものと、蒸す事で行うもの(蒸青[ 52] )があり[ 34] 、前者は中国、後者は日本に多い[ 53] 。釜炒りの中国茶は炒青緑茶(揉捻をしながら炒って乾燥)、烘青緑茶(軽く「揉捻」した茶葉を焙る状態で乾燥)、晒青緑茶(日光を利用して乾燥)に細分される[ 34] 。
殺青方法[ 34] (英語名はISO 20715:2023 より[ 54] )
名称
名称(英語)
説明
炒る
炒青(サーチン[ 55] )緑茶
pan-fried green tea [ 36]
揉捻をしながら炒って乾燥[ 34]
烘青(ホンチン[ 55] )緑茶
roasted green tea [ 36]
軽く「揉捻」した茶葉を焙る状態で乾燥して一旦荒茶を作り、最終工程で炒青する[ 34] [ 55] 。
晒青緑茶
sun-dried green tea [ 36]
日光で乾燥[ 34]
蒸す
蒸青緑茶[ 52]
steamed green tea [ 36]
蒸して殺青
なお、この他に炙る方法と煮る方法があるが、いずれも主に自家消費用である[ 56] 。
公益社団法人日本茶業中央会 は(日本の)緑茶の茶種を以下の17種類に分類している:煎茶 、深蒸し煎茶、玉露 、かぶせ茶 、蒸し製玉緑茶(グリ茶) 、釜炒り製玉緑茶(釜炒り茶) 、番茶または川柳 、抹茶 、粉茶 、芽茶 、茎茶または棒茶 、粉末茶 、ほうじ茶 、玄米茶 、混合茶、固形茶 、インスタントティー [ 57] 。消費者庁 の食品表示企画課による食品表示基準Q&Aにおいても、同一の分類が採用されている[ 58] 。
紅茶
特徴
水色
赤色[ 59] 。化学的には生の茶葉を揉捻する事でカテキンを酵素 のポリフェノールオキシダーゼ (英語版 ) [ 59] で酸化してできたテアフラビン [ 59] (明るいオレンジ[ 59] )、テアルビジン [ 59] (濃い赤色[ 59] )、およびカテキンの酸化重合物[ 59] (赤褐色[ 59] )の色。最後のものが少ない方が水色がよく、上級紅茶となる[ 59] 。
味
渋みがある[ 60] 。「緑茶のようなうま味はなく、カテキン由来の爽やかなパンチがあるもの、ワインのように重厚な味わいがあるもの」[ 60] が良いとされる。ポリフェノール が緑茶の1.5~2倍程度あり紅茶の味の特徴を形成[ 60] 。
香り
花の香りや果実を感じさせる香り[ 61] 。化学的には代表的な香りとしてリナロール [ 61] (スズラン系の軽い香り[ 61] )、ゲラニオール [ 61] (バラや柑橘系の重い芳香[ 61] )、ネロリドール [ 61] (柑橘系の爽やかさとフローラル系の甘さを併せ持つ香り[ 61] )を含むが、すでに判明しているだけでも300種の香気成分が関わっている[ 61] 。
茶種
この節の
加筆 が望まれています。
(2024年3月 )
烏龍茶
特徴
水色
発酵度合いによって淡い黄色から褐色[ 62] 。化学的にはエピガロカテキンガレート 2つが結合したビスフラバノールA[ 62] 、エピガロカテキンガレートとエピガロカテキン が結合したビスフラバノールB[ 62] などが烏龍茶特有の色を出す。
味
味を決める化学物質は不明な点が多いものの[ 60] 、日本の緑茶と違い殺青が釜炒りな事が原因となり[ 60] 、茶の味を決めるアミノ酸、カテキン、カフェインがいずれも少なく[ 60] 、味よりも香りが嗜好性を決めるものと思われる[ 60] 。
香り
花の香りが強いものが質の高い烏龍茶とみなされる[ 61] 。化学的には日干しの萎凋により酵素が働きリナロール [ 61] (スズラン系の軽い香り[ 61] )、ゲラニオール [ 61] (バラや柑橘系の重い芳香[ 61] )などが生成される。香りは発酵度合いや製造中の温度・湿度により変わり、ベンズアルデヒド [ 61] 、ネロリドール [ 61] (柑橘系の爽やかさとフローラル系の甘さを併せ持つ香り[ 61] )、インドール [ 61] など「沸点が高く重い香り」の成分が含まれる[ 61] 。
茶種
この節の
加筆 が望まれています。
(2024年3月 )
白茶
茶葉が「白い産毛に包まれていることから白茶」[ 63] と呼ばれる。
水色
「ベージュっぽい褐色」[ 64]
味
甘みのある味[ 63] [ 65]
香り
フルーツのような甘い香り[ 64] [ 65] 。10~20年熟成するとブランデーのような香り[ 65]
主に中国 、そのほとんどが福建省 で収穫されている[ 66] 。
この節の
加筆 が望まれています。
(2024年3月 )
黄茶
この節の
加筆 が望まれています。
(2024年3月 )
黒茶
この節の
加筆 が望まれています。
(2024年3月 )
喫茶
この節の
加筆 が望まれています。
(2024年3月 )
茶殻
抽出した後に残った茶葉などを茶殻という。ごみとして捨てられることが多いが、有効利用されることもある。用途には家庭用の消臭剤としてのほか、飼料 [ 67] 、各種資材[ 68] などが挙げられる。
名称
漢字
漢字 の「茶」は中唐 以後に成立した字で、それまでは「荼 」または「𣘻 」(木偏に荼の字)を使用していた。「荼(ト)」は本来は苦い味のする植物であるニガナ を指す字である。また、仏典 では ḍa の音写に「荼」字をあてた(軍荼利 、曼荼羅 、鳩槃荼 など)。茶が原産地の雲南 方面から四川 ・江南へと長江 流域に広まるにつれ、ダのような発音の語に荼字を当てて使うようになったと推定されている。唐 の陸羽 が『茶経 』を著して、「荼」を1画減らして区別することが広まったと言われる。『茶経』には「茶」「檟(カ)」「蔎(セツ)」「茗(メイ)」「荈(セン)」の5種の名が揚げられているが、他に当て字もあって、それらも合わせると10種以上の字が使われていた。「茗」に関しては、現代中国語 でも茶を総称する「茗茶」という言い方が残っている。
各国語における茶を意味する語
世界で茶を意味する語 の起源は、「チャ」系統のものと「テー」系統のものがある[ 70] 。
中国語の北京語 や広東語 では、茶は「チャ(cha)」と呼ばれている。モンゴル語 、ウイグル語 、ヒンディー語 、トルコ語 、ペルシャ語 、ロシア語 などでは「チャイ」系統の音で呼ばれ、これらは中国から伝播したものと考えられるが、「イ」がどのようにして加わったのかは不明。ペルシア語 辞典やヒンディ語 辞典にはチャー(chā)とチャーイ(chāi)の両項目が挙げられている[ 注釈 8] 。「チャ」に由来する呼び名を持つ言語としては以下のような例がある。
これに対して西欧の多くの国では「テー」系統の発音が用いられている。これは、福建省 で用いられている廈門語 のテー(tê )に由来するとみられる。17世紀に茶を中国からヨーロッパに持ち込んだオランダ 人経由でヨーロッパに広まった。陳舜臣 は、清 代中期から貿易を認められていた広州 の特許貿易商である広東十三行 は、福建省廈門 (アモイ)出身者が多く、彼らが自らの母語でテーと呼んだことによるとするが、通常は福建語からマレー語 にはいり、オランダ語はマレー語から借用したと考えられている[ 75] 。この系統の言語としては次のようなものがある。
他方、ポルトガル は広東省 のマカオ から直接茶を輸入していたことから、広東省での呼び名に従い、西欧では例外的にchá と呼んでいる(現在のポルトガル語では「シャ」と発音されるが、かつての発音は「チャ」であった)。
日本語の茶の字音は呉音 「ダ」、漢音 「タ」、唐音 「サ」である。「チャ」という音は院政時代 の『色葉字類抄 』に見られ、漢音と唐音の間の時期に流入したと考えられる。なお、「チ・ツ」は古くは破擦音 ではなく[ 76] 、「チャ」と書いて「テャ」のように発音していた。朝鮮語 の「茶 」に対する漢字音 も「タ」(다 / da)と「チャ」(차 / cha)があるが、植物・飲料の茶だけを指す場合、「チャ」を用いる。ベトナム語 でも trà と chè の2形がある。
「チャ」系統と「テー」系統以外で呼ばれる言語もごくわずかあり、ほとんどは中国雲南省 からミャンマー にかける地域に住んでいる東南アジア 諸民族の言語である。例えば、ビルマ語 ではလက်ဖက်(lakphak、ラペ)と、パラウン語 では「miang」(ミアン)と呼ばれる。ただし、これらの民族の習俗上において茶葉はもともと飲用ではなく、ラペソー などの漬物 の原料である。なお、「ミアン」は中国語における茶の別名「茗(ming)」の語源であるという説もある[ 78] 。
喫茶の歴史
中国
南北朝時代まで
茶の原産地については、四川 ・雲南 説(長江 及びメコン川 上流)、中国東部から東南部にかけてとの説、いずれも原産地であるという二元説がある。
中国で喫茶の風習が始まったのは古く、その時期は不明である。原産地に近い四川地方で最も早く普及し、長江沿いに、茶樹栽培に適した江南 地方に広がったと考えられる。
しかし、「茶」という字が成立し全国的に通用するようになったのは唐 代になってからであり、それまでは「荼(と)」「茗(めい)」「荈(せん)」「檟(か)」といった文字が当てられていた。
書籍に現れるものとしては、紀元前2世紀 (前漢 )の『爾雅 』に見られる「檟」、または、司馬相如 の『凡将篇 』に見られる「荈詫(セツタ)」が最初とされる。漢代の『神農本草経 』果菜部上品には次のような記述がある。
苦菜。一名荼草。一名選。味苦寒。生川谷。治五蔵邪気。厭穀。胃痹。久服安心益気。聡察少臥。軽身耐老。
陶弘景 は注釈書『本草経集注 』の中でこれを茶のことと解した。これに対して顔師古 は茶に疾病を治癒する薬効は認められないとしてこれを批判し、さらに唐代に編纂された『新修本草 』も茶は木類であって菜類ではないと陶弘景の説を否定して苦菜を菊 の仲間とした。このため、以後、苦菜をキク科 やナス科 の植物と考えて茶とは別物とする説が通説である。ただし、その一方で宋代 の『紹興本草』などでは、苦菜(と考えられたキク科やナス科の植物)に『神農本草経』の記す薬効がないと指摘されているため、陶弘景の説を肯定する見解もある[ 注釈 9] 。
「荼」という字が苦菜ではなく現在の茶を指すと確認できる最初の例は、前漢 の王褒 が記した「僮約」という文章である。ここでは、使用人(僮)がしなければならない仕事を列挙した中に「荼を烹(に)る」「武陽で荼を買う」という項があるが、王褒の住む益州(現在の四川省 広漢市 )から100キロメートルほど離れた武陽(現在の彭山県 、眉山茶の産地)まで買いに行く必要があるのは苦菜ではなく茶であると考えられる。この「僮約」には神爵 3年(前59年)という日付が付されており、紀元前1世紀には既に喫茶の風習があったことが分かる。
後漢 期には茶のことを記した明確な文献はないが、晋 代の詩人 張載が「芳荼は六清に冠たり/溢味は九区に播(つた)わる/人生苟(も)し安楽せんには/茲(こ)の土(くに)聊(いささ)か娯(たの)しむ可し」という、茶の讃歌といえる詩を残している。南北朝時代 には南朝で茶が飲まれていた。顧炎武 (清 初)によれば、南朝の梁 代(502 - 557年)に既に「荼」から独立した「茶」の文字が現れたというが、字形成立の年代特定は難しく、仮に「茶」の字が生まれたとしても余り頻用されなかったと考えられている。
唐代
茶の文化を初めて体系化したのは、唐 の陸羽 (? - 804年)であった。南北朝が統一され、政局が安定し、民生が充実するとともに、茶が北方に広がり、「茶」の字も全国的に普及した。陸羽は755年 に始まった安史の乱 を避け呉興(現在の浙江省 湖州市 )に移り住み、名茶を求めて諸方に旅をするかたわら、茶を通じて文人らと交わった。この頃『茶経 』を著して、「茶は南方の嘉木なり」と述べた。『茶経』には茶の飲み方として、觕茶(そちゃ)、散茶、末茶、餅茶(へいちゃ)があるとされている。觕茶はくず茶、散茶は葉茶をいうとされ、餅茶 は乾燥した茶葉を圧搾して固形にしたものである。末茶(抹茶 )は餅茶を搗いて粉にしたものであり、7世紀にはこの末茶が主流であったと考えられている。
陸羽は『茶経』の中で、野生の茶が上であり畑の茶はこれに次ぐ、陽崖(日当たりの良い山の斜面)で陰林(適当に陰を作る林)にあるもの、緑よりも紫のもの、笋のもの(タケノコ の形をしたもの)、葉の巻いたものが最も上質であるとしている。湖州顧渚山 の最高級の茶は「紫笋茶(しじゅんちゃ)」と呼ばれた。
大暦 5年(770年)に、茶を朝廷に献上する貢茶が始まったとされ、地方官の関心はより高級な茶の調達に向かった。太湖 沿岸の常州(現在の江蘇省 宜興市 )と湖州で産した陽羡茶は長安 の都に毎年送られた。
一方で、茶の庶民化も進んだ。建中 3年(782年)に初めて茶への課税が行われた。その後、税は廃止されたり復活したりを繰り返した。
宋元代
宋 代(北宋 、960年 - 1127年)になると、搗いて粉にするのではなく、茶葉を研(す)って粉にするようになり、これを研膏茶 と呼ぶ。宮廷(皇帝)への献上品として、最高級の研膏茶を固形の団茶 にした「竜鳳茶」が作られたが、その後蔡襄 によって更に上等の「小竜団」が作られ、進貢された。献上茶には、竜脳 、珍果、香草などを混ぜて香り付けしたものもあった。元豊 年間(1078 - 1085年)の「密雲竜(のち瑞雲翔竜)」、大観 年間(1107 - 1110年)の「御苑玉芽」「万寿竜芽」「無比寿芽」、宣和 2年(1120年)の「新竜園勝雪」と次々に高級団茶が開発され、金では買えない宝として扱われた。
武夷山 の岩肌に生える茶樹(武夷岩茶 )。特に「大紅袍」は最も珍重されている。
産地としては、中唐の頃には知られていなかった福建 が献上茶の筆頭となり、皇室御用の茶を栽培する北苑 が福建に設けられ、「竜鳳茶」などを製造した。蔡襄の著した『茶録』にも、北苑系の建安の茶が第一とされている。南宋から元にかけて、北苑が衰えると、福建北部の武夷山 がこれに取って代わった。武夷山は岩ばかりの山であり、わずかな土壌に生える茶が武夷岩茶 として珍重された。
乾徳 3年(965年)、宋は茶の専売制 を敷いた。ただし、当初は茶の生産から運搬、流通まで官が行うこととされたが、困難であったため、後に、商人に茶を払い下げる際に徴税することとなった。熙寧 3年(1070年)にいったん自由売買が認められたが、財政難から元豊7年(1084年)に専売制が復活した。
専売制は交易上も大きな意味を持った。中国本土に少し遅れて、青海 付近のチベット人 が茶を飲むようになった。茶を産しないチベットでは宋から茶を入手する必要があり、宋にとっては茶が絹 に代わるチベットへの輸出品となった。宋初に、チベット系政権西夏 との国境付近の原州、渭州、徳順(現在の甘粛省 鎮原 、平涼 、静寧 )3郡に茶と馬との交易場が設けられた。元豊6年(1083年)、茶場司と買馬司を統合した茶馬司という役所ができ、交易を管理することになった。その後、茶の産地から遠く離れた塞外民族も、茶を不可欠とするようになった。肉食の塞外民族はビタミンC の補給のために茶を必要としたとの説がある。南宋 (1127 - 1279年)の時代には、茶はチベットに対してだけではなく北の金 やモンゴル に対しても主要な輸出品となった。
明代
明 代(1368 - 1644年)になると、太祖洪武帝 が洪武 24年(1391年)に団茶の進貢をやめさせ、葉茶のままにするよう命じたことを機に、団茶(抹茶)は廃れた。『明史 』食貨志に「旧(も)と皆な採りて之を碾(ひ)き、銀板を以て圧(おさ)え、大小の竜団を為(つく)る。太祖、其の民を労するを以て、造るを罷(や)め、惟(た)だ茶芽を採りて以て進めしむ。」とある。明は尚武の精神が強い重農主義的な王朝であり、洪武帝も社会の最下層から身を起こした人物であったため、余りに洗練された贅沢な団茶を嫌ったのではないかと指摘されている。また、それまでの葉茶(散茶)が、蒸して乾燥させた茶葉に湯を注いで飲む方法であり青臭さがあったのに対し、明代には、葉を釜炒りする方法が主流となり、飲みやすくなったことも、中国の茶が葉茶のみになった理由であると考えられている。
産地については、許次紓が17世紀初頭に書いたと思われる『茶疏』に、松蘿 ( しょうら 、( 安徽省 屯渓区 西北)、虎丘 (江蘇省 蘇州市 )、龍井 ( ロンチン 、( 浙江省 杭州市 付近)の茶を「香気濃郁」として挙げている。
清代
清 代(1644 – 1912年)の宮廷(紫禁城 )では、夏期に龍井茶 (緑茶)を飲み、冬期に普洱茶 を飲んだ。江南を愛した乾隆帝 (在1735-95年)も、江南への3回目の行幸で龍井を訪れ、「龍井の新茶 龍井の泉/一家の風味 烹煎(ほうせん)を称す」と始まる詩を作っている。普洱茶は雲南省西双版納 で生産され、緊圧茶 の形で進貢された。紫禁城では、頤和園 の玉泉山の水で普洱茶を煮、乳酪 に加工した牛乳を加えて飲んだ。
後述するように 、ヨーロッパで茶が飲まれ始めたのは日本の平戸島 から茶葉を輸入して以降だが、非常に高価であった。そのため安い茶を求めて後期の明や清などからも輸出が始まると、多様な中国茶 が知られるようになった。清代後期、18世紀から19世紀にかけて、イギリス商人が中国で盛んに茶を買い付けた。当初は、中国の緑茶をそのまま仕入れ、ヨーロッパでも緑茶を飲んでいたが、18世紀初頭から中国茶の中でも抽出が簡単でヨーロッパに多い硬水 に合う紅茶 [ 注釈 10] が増え始め、18世紀半ばに紅茶の方が優勢となった。イギリス商人は、福建産の茶の中でも粗悪なものをボヒア(「武夷」の転訛)と呼んだのに対し、丁寧に製茶したものを工夫茶(コンゴウ)と呼んだ。福建の工夫茶の成功を見て、19世紀後半、緑茶の産地であった安徽省祁門県 も、紅茶生産に転換し、祁門紅茶 (キームン)が生まれた。
半発酵茶である烏龍茶 は、福建北部の武夷山で始まったが、18 - 19世紀にイギリスの買い付けに有利な福建南部の安渓 で盛んに作られるようになった。安渓で産する烏龍茶の代表が鉄観音 である。さらに、烏龍茶は安渓から台湾に伝えられた。
清朝は乾隆22年(1757年)輸出港を広州 に限定し、茶の売上げと輸出税で収益を上げた。一方、茶や陶磁器 、絹 の輸入によって清に対する大幅な輸入超過に陥ったイギリスは、反対商品としてインド産のアヘン を清に密輸する三角貿易 を組み立てたが、このことがアヘン戦争 (1840 – 1842年)を招いた。以後、イギリスは南京条約 によって割譲させた香港 を拠点に対清通商を進めた。
イギリスは、清からの輸入を減らすため、インドでの茶生産も図った。アヘン戦争後に中国内地へのアクセスが可能になると、1848年、イギリスのロバート・フォーチュン が東インド会社 からの委嘱を受け、インドへの移植にふさわしい茶樹の苗・種子を採集するため中国に入った。彼は、中国の産茶区を巡り、安徽省 の松蘿山一帯が最高の緑茶の産地であると報告している。実際、19世紀後半から、インド、スリランカで本格的な茶樹栽培が始まると、中国茶は市場を失うようになった。
日本
東京国立博物館 本『七十一番職人歌合 』二十四番。左は茶釜や水桶を天秤棒で持ち歩き 茶を売る茶売人で、この図では「煎じ物売」。右は僧形が抹茶 (粉茶)を勧めている「一服一銭」。茶屋 の原型であり室町時代 に誕生していたもの。狩野養信 ・雅信 父子による模写 (養信歿年にあたる弘化 3年[1846年]の作)。
茶がいつ中国から日本に伝わったのかははっきりしていないものの、公事根源の記録によると奈良時代である天平元年(729年)聖武天皇 の時代に「宮中に僧を召して茶を賜った」と記されている。茶樹の栽培においても、805年に永忠と帰国した最澄 は嵯峨天皇に茶を点てて差し上げた御製の漢詩がある。帰国前には、僧は酒が禁物なため、茶で送別の会を開き、友人たちと漢詩を応酬した。滋賀県比叡山の
日吉茶園は彼ら天台僧が育てた茶の木が元との伝説がある。翌年、大同元年(806年)に弘法大師(空海 )が唐より茶の種子を持ち帰り、弟子の堅恵大徳が宇陀市榛原赤埴の佛隆寺に播種され、その製法を伝えられたのが「大和茶」の始まりといわれている。
また、空海も茶に親しんだことが、在唐中に求めた典籍を嵯峨天皇 に献じた際の奉納表の中に記されている[ 122] 。
『日本後紀 』には、弘仁 6年(815年)4月、嵯峨天皇の近江 行幸 の際、梵釈寺 (滋賀県 大津市 )の僧永忠 が茶を煎じて献上したと記されている。永忠は在唐35年の後、805年に帰国しており、この時に茶樹の種子あるいは苗を持ち帰ったと見られる。815年6月、畿内 、近江、丹波 、播磨 の諸国に茶を植え、毎年献進することが命じられた。『凌雲集 』の嵯峨天皇御製 に「詩を吟じては厭わず香茗(こうめい)を搗(つ)くを/興に乗じては偏(ひと)えに宜しく雅弾を聴くべし」との聯があり、搗いて喫していたことが分かる。平安朝の宮廷人 も茶を飲んでいたことがいくつかの詩に残っており、菅原道真 も、「煩懣(はんまん)胸腸(きょうちょう)に結び/起ちて飲む茶一椀」と詠んでいる。しかし、遣唐使 が停止されてからは、唐風のしきたりが衰え、茶もすたれていった。だが、この見方については異論もあり、平安時代中期の漢詩 集『本朝麗藻 』に採録された大江以言 が園城寺 を訪問した時の読まれた漢詩に「山の御厨(みくりや)の茶は熟し、暮煙興(おこ)る」とあり、平安時代末期に藤原忠通 ・藤原周光 によって編纂されたとみられる『本朝無題詩』に所収されている漢詩には11世紀から12世紀中期にかけて寺で茶を供された話を盛り込んだ詩が7首[ 注釈 11] 存在しており、平安時代を通じて京都の寺院を中心に茶を喫する伝統が継承されてきたと考えるべきであるとする指摘がある[ 129] 。
茶の再興は、栄西 が1191年に宋 (南宋 )から種子や苗木を持ち帰ってからである。栄西は、1187年から5年間の2回目の渡宋中、素朴を尊ぶ禅 寺での抹茶の飲み方を会得して帰ったと考えられる。当初は薬としての用法が主であった(戦場で、現在の何倍も濃い濃度の抹茶 を飲んで眠気を覚ましていた等)が、栽培が普及すると共に嗜好品 として、再び飲まれるようになった。
一時(貴族社会の平安時代 の遊びとして)中国のように闘茶 が行われることもあったが、日本茶道の祖・南浦紹明 により、中国より茶道具 などと共に当時、径山寺 などで盛んに行われていた茶会などの作法が伝わり、次第に場の華やかさより主人と客の精神的交流を重視した独自の茶の湯 へと発展した。
茶室「如庵 」。国宝
戦国期 から江戸時代 初期にかけては、茶の湯 という文化が、政治面でも重要な役割を果たした。織田信長 、豊臣秀吉 などの多くの武将たちは茶が持つ「結縁性」に気づき、茶の湯に腐心した。戦国時代は古い権威や宗教が否定され、戦場では親兄弟からも裏切られることが多く、確かだったはずのものが瓦解してしまった時代だが、「茶を点てる方とそれを飲む方」との間に自然と人間関係が結ばれる現象に気づいた武将たちは、互いの関係を確認するために茶の湯を利用するようになった。密接な人間関係の存在を確認するために、他人が入らないよう、わずか数人のみで茶の湯が出来る小さな茶室 が造られた。戦国時代の武将には「死 」は常に側にあるもので、茶の湯の芸術も、生を謳歌し温かみのある美術的価値よりも、「冷え枯れた」精神的な価値に比重がおかれ、「わび 」の美へと傾倒していった。こうした茶の湯を千利休 が完成させた[ 131] 。
茶は江戸時代 前期では贅沢品として、『慶安御触書 』や『直江四季農戒書』[ 注釈 12] でも戒められていたが、やがて有利な現金作物として生産が増えて大いに普及した。生産者にとっては現金収入となる一方で、金肥 といわれた干鰯 や油粕 のような高窒素 肥料を購入しなければならなかったので、生産地では農村への貨幣経済 浸透を促した。
女性の嗜みとなった茶道。水野年方 画『濃茶の圖』「茶の湯日々草」より。明治30年
長火鉢 を囲んで茶を愉しむ(明治時代 )
茶の湯は明治時代 に茶道 と改称され、ついには女性の礼儀作法 の嗜みとなるまでに一般化した。
だが明治時代 になって西洋文明が入ってくると、コーヒー と共に紅茶が持込まれて徐々に普及していくこととなる。昭和 期に芸能マスコミの話題(人気絶頂期のピンク・レディー [ 注釈 13] が減量のためにウーロン茶 を飲んでいると言ったこと)から半発酵茶の烏龍茶 が注目を集め、伊藤園やサントリー から缶入り烏龍茶が発売されると一般的な飲み物として定着した。また、この流行のため中国では烏龍茶が主であるかのようなイメージが広がった。
缶入り烏龍茶の好評を受けて飲料メーカーは缶 ・ペットボトル 入りの紅茶・日本茶を開発し、一つの市場を形成するに至った。家庭で急須 に入れた茶葉から茶を抽出して飲むことは、茶殻の処理が面倒といった理由で敬遠されるようになったが、日本茶用ティーバッグ 、家庭用に碾茶から抹茶をつくれる機械が販売されるようになっている[ 133] 。このほかにも新しい茶製品が相次いで開発されている。
茶道は、礼儀作法が敷居が高いイメージがあり、趣味人の芸道としての存在に回帰しつつある。その一方で、茶道を気軽に日常に取り入れる動きも存在し、文化誌、婦人誌では、日本を含めた様々な茶の紹介、正式・略式・個人式の茶会の記事も紹介され、緑茶のみならず、世界の茶が紹介されている。旅茶セット、野点 セットなど、趣味人だけではなく一般を対象とした道具もある。
朝鮮半島
朝鮮半島 には首露王 の妃である許黃玉がインドで茶の種子を持ってきたという伝説があるが、新羅 興徳王 3年(828年)12月に大廉が茶の種子を唐から持って来て智異山 に植えたという記録が最初である(『三国史記 』)。しかし、緯度 が高く冷涼乾燥気候の朝鮮半島は茶の栽培には適さず、生産量は限られたものであった。また、その品質も悪く、後述の『高麗図経』では「土産茶、味似苦渋不可入口(高麗産の茶は苦く渋くて、口に入れることができない)」と記されている。『三国史記』や『三国遺事 』に現れる茶に関する記述は、大部分が僧侶にまつわる話であって、当時寺院を中心に喫茶が儀礼と関係して用いられていた様子が窺われる。さらに、中国宋 王朝の使節である徐兢の記録『高麗図経』(正確には『宣和奉使高麗図経 』)からは高麗 の喫茶法が確認されるが、その記述が不十分なことから、当時の喫茶法については明確でない。熊倉功夫 氏などは抹茶法であったと推測しているが[ 135] 、宋時代の抹茶法では用いない「湯鼎」を使う、あるいは、明時代の茶書『製茶新譜』で団茶法 (鼎や鍋で茶葉を煮出す方法)に対して用いられている動詞「烹」を使うなど、疑問点が多い(抹茶の場合は通常「点」を用いる)。
李氏朝鮮 時代には崇儒 廃仏によって仏教 的な文物の多くは破棄されており、この時期に喫茶の風習も途絶えていたとみなされる場合が多い。しかし、慶尚道 慶州府、全羅道 羅州牧、南原 都護府などで茶が生産されており、王宮では贈答用の「天池団茶」という固形茶も製造されていた(さらに「青苔銭」と呼ばれる固形茶もあったようである)。なお、日本による併合後に持ち込まれた茶の品種に対して、DNA の形質から区別される在来種を「韓国野生茶」と呼んでいる。このように李朝においても製茶自体は存続していたが、しばしば記録に登場する高級茶は中国からの輸入品であったようである。
李氏朝鮮の喫茶法は古い喫茶道具や文献資料の不足から不明な点が多く、『朝鮮王朝実録 』の記録からは中国明 王朝の使節を迎える際に、茶を用いた儀礼(茶禮 )が行われていた様子が確認されるが、儒教を国教とし仏教文化の茶文化も禁圧して消滅させ、茶を奉げる仏教儀礼の「茶礼(茶禮、チャレ)」は禁じられ、酒を奉げる献杯の儒教「祭祀」を奨励していた[ 136] 。ただし儒教の祭祀の名前はそのまま「茶礼」と呼ばれ続けた。慶長の役 の時(1598年)に明の楊鎬が南原の茶は高品質なのになぜ採取しないのかと問うのに対し、「私たちには茶を飲む風習が無い」と答えている[ 137] 。楊鎬は朝鮮茶の中国への輸出を推奨した。清への朝貢物品の中で1637年 から1645年 まで茶千包が含まれていたが、前述のように茶葉の産出量が少なかったことから、朝鮮で使用される茶葉は北京 からの輸入品が主であった。
このように、茶の国内への供給量がごく限られたものであったことから、茶葉を用いた喫茶の習慣は上流階級や一部の寺院のみのものであった。このため、朝鮮半島で「茶」と言う場合は、中国・日本などで言われる「茶」ではなく、木の根などを煎じた薬湯や、果実を湯に浸した物(柚子茶 )等を指す場合が多い(韓国伝統茶 )。庶民の間では茶の代用として、焦げ飯のついた釜で沸かした湯「スンニュン 」が食後の口直しに飲まれていた。なお、李氏朝鮮時代の文献『朝鮮歳時記』には、中国で茶の新芽を意味する「雀舌」が、杉など他の植物の新芽を指している例も見られる。
李氏朝鮮の末期には大興寺の禅僧である草衣 (초의、意恂、ko:의순 、1786 - 1866)が現れ、『東茶頌』『茶神伝』などの著書を遺しているが、同書の章立は宋・明の茶書に近いものがある。
明治 9年(1876年)7月に、日本政府が日朝修好条規 に基づき、条規付録や通商章程を協議決定するため宮本小一 外務大丞 を京城 へ派遣した際の記録で、宮中での食事、建物、一般情勢の記録には茶について「茶(緑茶)は無い。干した生姜 の粉と陳皮 (蜜柑 の皮を干したもの)を砕いたのを煎じたものを「茶」としている。貴人はこれに人参(朝鮮人参 )を入れて人参湯と称する。つまり、煎じ薬を飲むにも似ている」とある。1894年から1897年にかけ、李氏朝鮮を訪れ『朝鮮紀行 』を記したイザベラ・バード は、朝鮮には茶はなく、柑橘類 を溶かしたもの(柚子茶 )を飲む風習があることを紹介している。
朝鮮戦争 以後は、民族主義活動家で僧籍にあった崔凡述(ko:최범술 、暁堂、1904 - 1979)が、草衣の茶礼を受け継いだと称して般若露茶礼を創始し、これが現代韓国の茶の儀式の基礎となっている[ 138] 。なお、文献では例外的なものを除いて「茶道」という言葉は使われていない。朝鮮半島において、「道」の語は道教 (道家思想)を意味するものであり、芸道修行意図で用いられている日本の「茶道」とは異なっている。また、朝鮮半島で抹茶 (点茶法)が飲まれていた資料も無い。
インド
インド人が茶を飲んでいたことは、17世紀の文献に見える。また、大英博物館 の植物標本室に、東インド会社 の外科医サミュエル・ブラウンとエドワード・バルクリーが、インドのマラバル地方 で1698年から1702年にかけて採集したとされる茶樹があり、中国から移植したものと考えられる。
19世紀後半から、インドやスリランカで本格的な茶樹栽培が始まった。
西ヨーロッパ
ヨーロッパ の最古の茶に関する記述は、ヴェネツィア のジョヴァンニ・ラムージオによるもので、1550年代の著書『航海と旅行』第2巻で、ペルシャ人 からの伝聞として「カタイのチャイ」(Chiai Catai)の効能について記している[ 注釈 14] 。16世紀にはほかにもいくつかの文献が中国や日本の茶について「chia, chaa」などの名で紹介している。
本格的にヨーロッパに茶がもたらされたのは、1609年、オランダ が日本の平戸島 に商館を設け、翌年、日本茶と中国茶がジャワ 経由でヨーロッパに輸出されてからである。薬屋で量り売りされる高価なもので、聖職者 が眠気覚ましの薬に用いたとも言われる。17世紀前半には、オランダの医師が、茶は万病に効き、長生きの妙薬だと述べたのに対し、ドイツ やフランス の医師が、茶の害を説いた文章を発表している。
イギリス でも茶について賛否両論があったが、1640年に初めてティールーム が開業されるなど、徐々に浸透していった。当初はイギリスでも緑茶で飲んでいた。清教徒革命 の後にオリバー・クロムウェル がイングランド共和国 の実権を握った時、その頃に流行り始めていた茶に課税することを思いつき、実行した。この抑制が国王政府への反抗心に作用し、茶の密輸が横行した。聖職者が密輸業に加担していたことが茶の普及に拍車をかけた。クロムウェルの時代が終わったとき、イギリス国民に喫茶の習慣が確立していた。
17世紀後半には、「午後の茶」(アフタヌーン・ティー )の習慣が定着した。同じ頃、緑茶よりも紅茶が優勢となった。これは、中国や日本と異なり、イギリスでは軟水 ではなく硬水 を使っていたためである。サミュエル・ジョンソン は、1757年、喫茶否定論に反論して「私の湯沸かしは、ほとんど冷める暇はない。晩に茶で楽しみ、夜でも茶で慰み、朝でも茶で目が覚める。」と書いている。イギリスでは、他のヨーロッパ諸国に比べて喫茶の風習が広く浸透したが、その理由として、イギリスの水が茶に合ったこと、フランス、イタリアのワイン や、ドイツのビール に当たるような飲み物がイギリスになかったことなどが挙げられている。
茶貿易もオランダではなくイギリスが主導権をとり、中国産の茶がヨーロッパで主役となった。中国貿易を独占していたのがイギリス東インド会社であったが、その三角貿易がアヘン戦争につながった(前述清代 )。19世紀の半ばには、茶を運ぶ「クリッパー 」と呼ばれる高速帆船 による速度記録競争が過熱した。殊勲を上げた海運業者には報奨金とブルーリボン が与えられた。この競争に世界中の港と賭け屋が夢中になったと言われる。
アメリカ
アメリカのイギリス植民地 でも中国産の茶が飲まれていたが、フランスやオランダの商人がイギリスの課税を免れて安い密輸茶を運んでいた。イギリス本国政府は、1773年、茶法 (茶税法)を制定し、密輸茶を取り締まり、東インド会社の市場独占を確立しようとした。しかしこれがアメリカ市民の反発を招いて同年、ボストン茶会事件 が起こり、アメリカ独立戦争 につながった。この時代に茶法の反対運動が激化し、不買運動にまでつながった。代わってアメリカではコーヒーを飲む文化が広まることになった。
アメリカ合衆国 は独立後、自前で中国貿易に参入。アメリカ人参、ラッコ やアザラシ の毛皮 、綿花 、鉛 、胡椒 、羽紗などを清に輸出して、見返りに茶などを買った。このことが太平洋 航路の開発につながった。
産業
生産
2017年における世界生産量に占める割合(色が濃いほど生産割合が高い)。 20% 以上
10 から 20%.
5 から 10%.
1 から 5%.
0.5 から 1%.
0.5% 未満
国連食糧農業機関 (FAO) の統計によれば、2010年における世界の茶葉生産量は、約452万トンである。地域別では、アジア が生産量の約84%、アフリカ が約14%、南北アメリカ が約2%を占める。上位5か国は中国 、インド 、ケニア 、スリランカ 、トルコ であり、国別生産量は次表のとおり[ 155] 。
国
2008
2009
2010
中国
1,274,984
1,375,780
1,467,467
インド
987,000
972,700
991,180
ケニア
345,800
314,100
399,000
スリランカ
318,700
290,000
282,300
トルコ
198,046
198,601
235,000
ベトナム
173,500
185,700
198,466
イラン
165,717
165,717
165,717
インドネシア
150,851
146,440
150,000
アルゼンチン
80,142
71,715
88,574
日本
96,500
86,000
85,000
合計
4,211,397
4,242,280
4,518,060
日本 の茶の生産量は静岡県 が1位である(2020年統計)[ 156] 。続いて鹿児島県 が2位、三重県 が3位、宮崎県 が4位である[ 156] [ 157] 。産出額においては静岡県が2019年 に鹿児島県に抜かれ、1970年 から49年間続いた首位の座から陥落した[ 158] [ 159] 。
販売
世界での茶類の販売額は454億ドルと推計され(イギリスの調査会社ユーロモニターインターナショナルによる)、「リプトン 」ブランドを有するユニリーバ が10%強のシェアを持つ最大手である[ 160] 。
成分と効能
酸化成分が異なるお茶
色々な茶(浸出液)100 g中の主な成分の比較[ 161]
玉露
煎茶
ほうじ茶
番茶
玄米茶
紅茶
ウーロン茶
タンパク質
1.3 g
0.2 g
0 g
0 g
0 g
0.1 g
0 g
ビタミンB2
0.11 mg
0.05 mg
0.02 mg
0.03 mg
0.01 mg
0.01 mg
0.03 mg
葉酸 (ビタミンB9)
150 μg
16 μg
13 μg
7 μg
3 μg
3 μg
2 μg
ビタミンC
19 mg
6 mg
0 mg
3 mg
1 mg
0 mg
0 mg
カフェイン
16 mg
20 mg
20 mg
10 mg
10 mg
30 mg
20 mg
タンニン
23 mg
70 mg
40 mg
30 mg
10 mg
10 mg
30 mg
茶を嗜好品として特別視せしめたのはカフェイン が含有されている事であるが、茶には他にも次のような各種有効成分があると言われている。
カフェイン の主な作用は、中枢神経 を興奮させることによる覚醒作用及び強心作用、脂肪酸 増加作用による呼吸量と熱発生作用の増加による皮下脂肪燃焼効果[ 162] 、脳細動脈収縮作用、利尿作用などがある[ 163] 。
カテキンには実に多様な生理活性があることが報告されており、それらを列挙すると、血圧 上昇抑制作用[ 164] [ 165] 、血中コレステロール 調節作用、血糖値 調節作用(詳細は以下を参照のこと)、抗酸化作用 [ 166] [ 167] [ 165] 、老化 抑制作用[ 注釈 15] 、抗突然変異 、抗癌[ 164] [ 165] 、抗菌 、抗う蝕 [ 164] [ 165] などとなる[ 162] 。
チャの葉や種子のテアサポニン(theasaponin)類、アッサムサポニン(assamsaponin)類には小腸 でのグルコース の吸収抑制等による血糖値 上昇抑制活性が認められた[ 168] (詳細は「サポニン 」参照)。動物実験で日本茶 、特に番茶 、中でも多糖類 (ポリサッカライド)を有効成分とする番茶冷浸エキスでの血糖降下作用が認められた[ 169] 。
テアニン にはリラックス効果[ 170] 、抗ストレス作用[ 171] 、睡眠の質の改善[ 172] 月経前症候群(PMS) の軽減[ 173] 、認知活動や気分の改善[ 174] の作用がある(詳細はテアニン を参照のこと)。
モンゴル など野菜が不足する地域では、茶を飲む習慣があり、1日に10杯程度飲むと言われているが、遊牧民 が愛飲するレンガ 状に固められた茶葉を分析すると、ビタミン はほとんど存在しなかった[ 175] 。むしろ、遊牧民が夏場に愛飲する馬乳酒 中の乳酸菌 がビタミンCを生成するため、野菜 や果物 を摂れない遊牧民のビタミンC 補給源となっていると言われている[ 176] [ 177] 。
茶はデザイナーフーズ計画 のピラミッドで2群に属しており、タマネギ やターメリック と共に、2群の最上位に属する高い癌 予防効果のある食材であると位置づけられていた[ 178] 。
茶にはシュウ酸 が含まれており、乾燥茶葉100 g中の含有量は、玉露 (上級)1,290 mg、煎茶 (上級)820 mg、番茶740 mg、ほうじ茶 770 mgであった[ 179] 。
ハーバード大学医学部によると、お茶にはフラボノイドが豊富に含まれているため、野菜や果物と同様に物忘れをふせぐ効果があるとのことである[ 180] 。
なおデメリットもあり、先述の利尿作用は度が過ぎると水分不足につながることもある[ 181] 。
飲用のために熱湯もしくは常温、冷却された水に茶葉を浸して成分を抽出する場合、茶葉の種類にもよるが温度によって時間単位での溶け出す量が変化し、これにより成分や風味を調整することができる。
様々な茶と、茶を利用した食品
他の材料と混合した茶
茶を使った酒類
茶はサワー 、チューハイ の割材として使われるほか、静岡県では茶のファンや需要を増やすため、各種茶葉を様々な酒類(ジン 、ウォッカ 、焼酎 など)に浸漬して香りや甘味を抽出したクラフトリキュール やカクテル を「宵茶」として飲食店で提供している[ 182] 。
茶葉を用いた料理、菓子など
料理
菓子
ほか、抹茶アイスクリーム 、抹茶ババロア 、抹茶ケーキ など、緑茶の風味を添えた洋菓子 ・和菓子 が日本には多い。また、チョコレート菓子(※「準」扱い含む)の製品は特に多い。
また、北タイ のラーンナー 地方には茶葉にナッツなどをくるんだものをガム のように噛んで味わう、噛み茶 が存在する[ 注釈 16] 。
これら以外にも、茶葉を使った料理は日本や中国を中心に様々なものがある[ 184] 。
食用以外での利用
日本では平安時代 より江戸時代 まで、茶は染料 として利用されており「茶色」は正しく茶の色だった。時代とともに、茶そのものよりも茶色が出しやすい別の染料に置き換わる形で次第に利用されなくなった。元禄 時代には茶色ブームが起き、当時の「茶」の付く色の和名は80種を超える[ 185] 。
茶ではない「茶」
本項ではこれまでISOの定義[ 30] に従い「チャノキ の」「生葉」「のみ」を使った茶について論じてきたが、これ以外にも「茶」と呼ばれる嗜好品は存在し、民族学者の周達生[ 186] はこれらを「茶外の茶」と呼んだ[ 187] 。
中尾佐助[ 188] によると中国の西部や西南部では多数の樹木が茶のような利用法で飲まれており[ 189] 、「これがチャで作った茶の代用品と考えることはむつかしく,むしろこの地域の漢族以外の民族集団がいろいろな植物の葉を加工して,それを貯蔵し,煮出して飲む習慣が広く存在していたと推定している」[ 189] 。
周達生もはじめは様々な野生植物の葉が茶として利用されていたが、その後チャの葉が選択的に利用されるようになったのではないかと想定している[ 186] 。
守屋毅[ 190] は「茶外の茶」をも含めた「茶」の文化は以下の3つのレベルからなると論じた:
上記とは別軸で、ジャスミン茶 のような花茶 、茶葉を固めた緊圧茶 、ティーバッグ や粉末茶 などはチャノキの葉を原料とした「茶」をさらに加工した加工製品で、「再加工茶 」と呼ばれる[ 191] 。
以下では上述した3分類によらず、「植物由来の茶」「真菌 由来の茶」「動物 に由来の茶」のように茶の生成に関わった生物種によって「茶外の茶」を分類して紹介する:
植物由来
ほか、多数
真菌類由来
動物由来
虫糞茶 (虫屎茶): 茶の材料とする茶葉(チャノキの葉に限らず)を蛾 の幼虫 に食べさせる。その結果として得られる物は糞 であるが、分解が進み、動物性の旨み も加わった自然加工物である。
象糞茶 : アフリカ大陸 東部に暮らすマサイ族 などが乾期 のゾウ の糞を元に作る飲み物。別名・サバンナティー。
ティーバッグ
ティーバッグ は1907年に、アメリカの茶商トーマス・サリヴァンが、絹 の小さなバッグの中に茶葉を入れ、配布したのが始まり。
茶の音楽
邦楽
『宇治巡り』(地歌 ・箏曲 )
文化 文政 の頃、京都で活躍した盲人 音楽家・松浦検校 が作曲した手事(てごと)もの 地歌曲。箏 の手付は八重崎検校 。「喜撰 」「雁が音」など、多数の茶の銘を詠み込み四季の順に配列しつつ、春夏秋冬の茶の名産地である宇治 を巡り歩くという風流な趣向の曲。大曲で、二箇所の手事(楽器だけで奏される器楽間奏 部)も音楽的に凝ったもので、転調 も頻繁に現れ、技術的にもなかなか難しい曲。「松浦の四つ物(四大名曲)」の一つとされている。
『茶音頭 』(地歌・箏曲)
文化文政時代 、京都で活躍した盲人音楽家・菊岡検校 が作曲、八重崎検校が箏の手付をした手事もの地歌曲。俳人 横井也有 の「女手前」から抜粋した歌詞で、多数の茶道具 を詠み込みつつ男女の仲がいつまでも続くよう願った内容。三味線 の調弦 が「六下り」という非常に特殊なもので、独特な響きがこの曲独自の雰囲気を作り出しており、歌の節も凝っている一方で手事が長く、八重崎検校の箏手付も巧みで合奏音楽としてもよくできているので、現代でも演奏会でよく採り上げられる曲である。「音頭 」という語が付いているが、民謡 ではなく、れっきとした芸術音楽。お点前 の伴奏として演奏されることもある。
『宇治茶』(上方歌 ・端唄 ・うた沢 )
『茶摘み 』(文部省唱歌 。作詞 作曲 者不詳)
『ちゃっきり節 』(静岡県の新民謡 。作詞:北原白秋 、作曲:町田嘉章 )
クラシック音楽
その他、茶製造に関する労働歌 、民謡として「茶摘み歌」「茶揉み歌」などが各地にある。またこれらに、茶に関する童謡や歌謡曲を含めて「茶歌」と言われることがある。
茶の庭
1790年にジョージ・モーランド がラネラーガーデン に作ったThe Tea Garden の絵
茶の庭、ティーガーデン(Tea garden)とは、茶や軽食を提供する屋外 空間 や庭園 、あるいは茶を飲むことを連想させる庭園のことである。特にインドでは茶畑 の俗称でもある[ 193] 。茶園は初期のイギリスの商業的な遊園 の一部で、しばしばカップル などの出会い目的で訪れた。男性はローンボウルズ に興じてビールまたはワインで過ごし、女性はティーガーデンで過ごすのだった。ただし現代ではカフェ や喫茶店 の屋外スペースを意味することが多い。
2017年のアッサム茶 の収穫風景
伊勢神宮 の霽月茶室 に通じる露地 で、飛び石、苔、竹 門、外苑と内苑への区分などが典型的
日本庭園 において茶の庭は露地 といった比較的小さな庭の特殊な様式であり、元々は茶室 の入口の庭として、茶道 のために到着した客の気分を盛り上げるために作庭される[ 194] 。庭園は建物へ通じる道から見えるようにしか設計されておらず、通常その中で茶道 をたしなむ。この様式は小規模な前庭 に適しており、日本や西洋でしばしば用いられてきた。
このほか、カモミール 、ビーバーム 、ペパーミント 、レモンバーム 、ラベンダー などのお茶として飲むハーブ に特化したキッチンガーデン のハーブ ガーデンに対して用いられることもある[ 195] 。
脚注
注釈
出典
^ “3 Terms and definitions, 3.2 tea ”. ISO 20715:2023(en) Tea — Classification of tea types . 2024年3月19日 閲覧。
^ “3 Terms and definitions, 3.1 fresh tea leaf ”. ISO 20715:2023(en) Tea — Classification of tea types . 2024年3月19日 閲覧。
^ “シュート ”. BotanyWeb . 筑波大学 . 2024年3月25日 閲覧。
^ a b c “Camellia Sinensis ” (英語). Purdue University Center for New Crops and Plants Products. 2010年10月26日 閲覧。
^ Turner, Robin (2009年10月3日). “Duo plant tea in Wales ” (英語). Wales Online. 2011年4月26日 閲覧。
^ “Tea ” (PDF) (英語). The Compendium of Washington Agriculture . Washington State Commission on Pesticide Registration (2010年). 2011年8月10日時点のオリジナル よりアーカイブ。2011年4月26日 閲覧。
^ “お茶の栽培 ”. 伊藤園 . 2013年1月25日 閲覧。
^ 中曽根英雄、山下泉、黒田久雄、加藤亮「茶園地帯の過剰窒素施肥がため池 の水質に及ぼす影響」『水環境学会誌』第23巻第6号、日本水環境学会、2000年6月10日、374-377頁、doi :10.2965/jswe.23.374 、ISSN 0916-8958 、NAID 10007661145 。
^ “薬草園歳時記(16)チャノキ(茶の木)と茶 2022年4月 | 大学案内 ”. 静岡県公立大学法人 静岡県立大学 . 2024年3月21日 閲覧。
^ “植物としてのチャ ”. 入間市博物館 アリット . 2024年3月21日 閲覧。
^ Wambulwa, M. C.; Meegahakumbura, M. K.; Chalo, R. (February 2016). “Nuclear microsatellites reveal the genetic architecture and breeding history of tea germplasm of East Africa” . Tree Genetics & Genomes 12 (1). doi :10.1007/s11295-015-0963-x . https://www.academia.edu/28051971 .
^ “Domestication origin and breeding history of the tea plant (Camellia sinensis) in China and India based on nuclear microsatellites and cpDNA sequence data” . Frontiers in Plant Science 8 : 2270. (2018). doi :10.3389/fpls.2017.02270 . PMC 5788969 . PMID 29422908 . https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5788969/ .
^ “Laoshu Dianhong (Old Tree Yunnan) ”. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ 。2023年6月13日 閲覧。
^ “Yunnan da Bai Silver Needles – Tea Trekker ”. 2017年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ 。2017年4月10日 閲覧。
^ Liu, Yang; Yang, Shi-xiong; Ji, Peng-zhang; Gao, Li-zhi (2012). “Phylogeography of Camellia taliensis (Theaceae) inferred from chloroplast and nuclear DNA: Insights into evolutionary history and conservation”. BMC Evolutionary Biology 12 .
^ a b c “Tea production ”. Encyclopedia Britannica. 2013年1月26日 閲覧。
^ a b “What Is Tea? ” (英語). Tea Horse. 2013年5月25日時点のオリジナル よりアーカイブ。2013年1月26日 閲覧。
^ a b “茶樹の原産地 ”. 静岡紅茶株式会社. 2013年1月26日 閲覧。
^ “第166回:ISOの国際規格『茶類の分類』の内容を考察-六大分類が世界基準に ”. 合同会社ティーメディアコーポレーション (2023年5月1日). 2024年3月21日 閲覧。
^ “お茶の摘採 ”. 伊藤園. 2013年1月26日 閲覧。
^ Elizabeth S. Hayes (1980). Spices and Herbs: Lore and Cookery . Courier Dover Publications. p. 74. ISBN 0-486-24026-6
^ 中川致之 日食工誌(1970)。#改訂版 日本茶のすべてがわかる本 p.23, 25より重引。
^ a b 成川真隆(京都女子大学 家政学部 准教授). “(2022年7月発行)味を感じる仕組み ”. 食品分析開発センターSUNATEC . 2024年5月6日 閲覧。
^ 山西貞 お茶の科学(1992)。#改訂版 日本茶のすべてがわかる本 p.33より重引。
^ “中国茶の種類 ”. 伊藤園. 2013年1月26日 閲覧。
^ “3 Terms and definitions ”. ISO 20715:2023(en) Tea — Classification of tea types . 2024年3月19日 閲覧。
^ a b “3 Terms and definitions, 3.1 fresh tea leaf, 3.2 tea ”. ISO 20715:2023(en) Tea — Classification of tea types . 2024年3月19日 閲覧。
^ a b c “中国茶の種類|お茶の種類|お茶百科 ”. お茶百科 . 2024年3月21日 閲覧。
^ a b “中国茶の種類 ”. 中国茶の清香花楼チンシャンファーロウ (2022年9月5日). 2024年3月21日 閲覧。
^ a b “緑茶と紅茶、ウーロン茶の違いを教えて下さい。 ”. 公益社団法人 静岡県茶業会議所 . 2024年3月21日 閲覧。
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad “中国茶の分類と製造方法 日本中国茶協会公式サイト ”. chinatea.org . 2024年3月20日 閲覧。
^ a b c d e f “お茶の製造工程|お茶ができるまで|お茶百科 ”. お茶百科 . 2024年3月20日 閲覧。
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s “第166回:ISOの国際規格『茶類の分類』の内容を考察-六大分類が世界基準に ”. 合同会社ティーメディアコーポレーション (2023年5月1日). 2024年3月21日 閲覧。
^ “中国茶の分類と製造方法 日本中国茶協会公式サイト ”. chinatea.org . 2024年3月20日 閲覧。
^ ZHOU, Ji-rong; CHEN, Yu-qiong; SUN, Ya; NI, De-jiang (2005). “Studies on the Piling Technological Effects on Luyuan Yellow Tea”. Food Science : [要ページ番号 ] .
^ “緑茶と紅茶、ウーロン茶の違いを教えて下さい。 ”. 公益社団法人 静岡県茶業会議所 . 2024年3月21日 閲覧。
^ “中国茶のこと | 甘香茶屋 ”. moca-chaya.com . 2024年3月21日 閲覧。
^ “3 Terms and definitions ”. ISO 20715:2023(en)
Tea — Classification of tea types. 2024年3月19日 閲覧。
^ #大森 第四章3節の「緑茶は「味」が勝負」より。本書では煎茶、玉露、番茶、ほうじ茶のアミノ酸/カテキン/カフェインの含有量を紅茶と比較しているので、本項の以下の記述における「緑茶」はこれに準ずる。
^ a b #大森 第4章2節の「緑茶らしい香りの成分」より
^ a b c #大森 第3章1節の「緑茶の作り方~機械製造の場合」と 第4章1節の「鮮やかな緑を保つ秘訣」より
^ a b #大森 第四章3節の「緑茶は「味」が勝負」より。本書では煎茶、玉露、番茶、ほうじ茶のアミノ酸/カテキン/カフェインの含有量を紅茶と比較しているので、本項の以下の記述における「緑茶」はこれに準ずる。
^ a b #大森 第一章2節の『緑茶「非発酵茶」』の「(1)玉露」と「(5)抹茶」より
^ 原口健司(京都府農林水産技術センター 農林センター 茶業研究所). “抹茶の特徴 ”. におい・かおり環境学会誌 46巻 2 号 ― 特 集 ― お茶の香り . p. 123. 2024年3月20日 閲覧。
^ #大森 第一章の『緑茶「非発酵茶」』の節の「(5)抹茶」より
^ a b c d e #大森 第4章2節の「緑茶らしい香りの成分」より
^ Cotton, Simon (2017). Molecule of the Month: Hexenal . Chm.bris.ac.uk. doi :10.6084/m9.figshare.5245834 . http://www.chm.bris.ac.uk/motm/hexenal/hexenalh.htm 2018年7月26日 閲覧。 .
^ “Chemistry World (Internet Archive) ”. 2024年3月24日 閲覧。
^ a b “蒸青緑茶 ”. 中国茶情報局 (2018年2月22日). 2024年3月20日 閲覧。
^ #大森 第3章1節の「緑茶の作り方」より
^ “第166回:ISOの国際規格『茶類の分類』の内容を考察-六大分類が世界基準に ”. 合同会社ティーメディアコーポレーション (2023年5月1日). 2024年3月25日 閲覧。
^ a b c 谷本陽蔵『中国茶の魅力』柴田書店、1990年。 pp.120-121,156-179
^ #改訂版 日本茶のすべてがわかる本 p.102.
^ “緑茶の表示基準 ”. 公益社団法人日本茶業中央会. p. 21. 2024年3月19日 閲覧。
^ 消費者庁 食品表示企画課 (平成27年3月(最終改正 令和3年3月17日消食表第115号)). “食品表示基準Q&A ”. p. 24. 2024年3月20日 閲覧。
^ a b c d e f g h i #大森 第4章1節の「紅茶の赤い色を決めるもの」
^ a b c d e f g #大森 第4章3節の「「本当の紅茶の味」を知ってますか?」より
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r #大森 第4章2節の「300でもまだ足りない紅茶の香り」
^ a b c #大森 第4章1節の「多様なウーロン茶の色」
^ a b “白茶 | 商品カテゴリー | おいしい中国茶の旺徳福 ”. 2024年3月29日 閲覧。
^ a b “意外と知らない白茶の3つの顔 ”. お茶の専門店HOJO (2020年6月6日). 2024年3月29日 閲覧。
^ a b c “お茶のプロが教える白茶の魅力。おすすめの白茶の選び方 ”. お茶の専門店HOJO (2014年12月26日). 2024年3月29日 閲覧。
^ Chow, Kit Boey; Kramer, Ione (1990). All the Tea in China . San Francisco: China Books. p. 142. ISBN 978-0-8351-2194-1 . http://www.chinabooks.com/shop/china-books/all-the-tea-in-china/
^ “茶殻育ちの牛肉いかが 静岡の新たなブランドに” . 日本経済新聞 . (2017年6月17日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG16H0Z_W7A610C1000000/ 2019年3月8日 閲覧。
^ 「伊藤園、茶殻の再利用拡大/麦茶も販売増で/紙・ゴムなどに 環境配慮PR」食品・日用品・サービス面、『日経産業新聞 』2019年1月16日。
^ Dahl, Östen. “Chapter 138: Tea ”. The World Atlas of Language Structures Online . Max Planck Digital Library. 2008年6月4日 閲覧。
^ “THEE ” (オランダ語). Historische woordenboeken op internet. 2015年5月22日 閲覧。
^ 有坂秀世 「唐音に反映したチ・ツの音価」『国語音韻史の研究 増補新版』三省堂、1957年。
^ 中村羊一郎「ミャンマーにおける茶の起源伝承と「食べるお茶・ラペソー」について」『比較民俗研究 』第12巻第1995/9号、1995年、35-62頁、hdl :2241/14344 。
^ 河添房江 『唐物の文化史 -舶来品からみた日本』岩波書店、2014年、32頁。ISBN 9784004314776 。
^ 井上辰雄『平安儒家の家 大江家のひとびと』(塙書房、2014年)pp.201-208
^ 嘉悦大学研究論集 48 1、2005年4月30日、石田雅彦 『戦国期茶の湯成立の一背景』[1]
^ 原田信夫『江戸の食生活』岩波書店 、2003年、[要ページ番号 ] 頁。ISBN 9784000222679 。
^ 「【トレンド情報局】リーフ茶 低迷脱出に弾み/若年層に訴求 キーワードは「手軽さ」「エコ」」16面、『日本農業新聞 』2021年7月16日。
^ 熊倉功夫『茶の湯の歴史 千利休まで』 404巻、朝日新聞社 〈朝日選書 〉、1990年、[要ページ番号 ] 頁。ISBN 978-4022595041 。
^ 崔吉城 (2010年6月18日). “<随筆>◇お茶文化◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授” . 東洋経済日報 . http://www.toyo-keizai.co.jp/news/essay/2010/post_3993.php 2015年10月31日 閲覧。
^ “宣祖實錄101卷, 31年6月23日 ”. 『朝鮮王朝実録 』 . 国史編纂委員会 . 2015年10月31日 閲覧。 [リンク切れ ]
^ ヴィクター・H・メア 、アーリン・ホー『お茶の歴史』河出書房新社 、2010年、[要ページ番号 ] 頁。ISBN 9784309225326 。
^ “FAOSTAT ”. FAO. 2013年1月27日 閲覧。
^ a b 『作物統計調査 令和2年産茶の摘採面積、生葉収穫量及び荒茶生産量 -全国の荒茶生産量は、前年産に比べ15%減少- 』(PDF)(プレスリリース)農林水産省大臣官房統計部、2021年2月19日。オリジナル の2021年3月13日時点におけるアーカイブ。https://web.archive.org/web/20210313061934/https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/sakumotu/sakkyou_kome/attach/pdf/index-9.pdf 。2021年3月14日 閲覧 。
^ “静岡県 茶生産量、薄氷の日本一 鹿児島、1300トン差に迫る” . 静岡新聞 . (2021年2月20日). オリジナル の2021年3月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210314175839/https://www.at-s.com/news/article/economy/shizuoka/863289.html 2021年3月14日 閲覧。
^ “静岡県 茶産出額1位陥落 史上初、鹿児島県に譲る” . 静岡新聞 . (2021年3月13日). オリジナル の2021年3月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210314174013/https://www.at-s.com/news/article/economy/shizuoka/870204.html 2021年3月14日 閲覧。
^ “鹿児島、茶産出額全国1位に 19年252億円、初めて静岡抜く” . 南日本新聞 . (2021年3月16日). オリジナル の2021年3月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210317055414/https://373news.com/_news/?storyid=134233 2021年3月17日 閲覧。
^ 【点検 世界シェア】「リプトン」ユニリーバ独走『日経産業新聞』2019年7月31日(食品・日用品・サービス面)
^ “五訂増補『日本食品標準成分表』 ”. 2014年6月15日 閲覧。
^ a b 池ケ谷賢次郎「茶の機能と衛生」『食品衛生学雑誌』第30巻第3号、1989年、254-257頁、doi :10.3358/shokueishi.30.254 。
^ “Caffeine ” (英語). American Heart Association. 2007年11月10日時点のオリジナル よりアーカイブ。2007年11月17日 閲覧。
^ a b c 田中達郎,石垣正一:『食品と科学』,12,110(1989)
^ a b c d 梶田武俊「お茶の話」『調理科学』第25巻第1号、1992年、51-59頁、doi :10.11402/cookeryscience1968.25.1_51 。
^ 梶本五郎「茶葉中の抗酸化成分および抗菌性成分について(第3報) カテキン類の抗酸化性とカフエインの相乗作用について」『日本食品工業学会誌』第10巻第9号、1963年、365-368頁、doi :10.3136/nskkk1962.10.9_365 。
^ 山口真彦「天然抗酸化物質に関する研究」『日本食品工業学会誌』第22巻第6号、1975年、270-274頁、doi :10.3136/nskkk1962.22.270 。
^ 吉川雅之「薬用食物の糖尿病予防成分」『化学と生物』第40巻第3号、2002年、172-178頁、doi :10.1271/kagakutoseibutsu1962.40.172 。
^ 清水岑夫、和田修治、林利光、有澤宗久、池ヶ谷賢次郎、大角誠治、矢野三郎、森田直賢「日本茶の血糖降下作用成分に関する研究」『藥學雜誌』第108巻第10号、1988年、964-970頁、doi :10.1248/yakushi1947.108.10_964 。
^ 小林加奈理、長戸有希子、L.R.ジュネジャ、金武祚、山本武彦、杉本助男「L-テアニンのヒトの脳波に及ぼす影響」『日本農芸化学会誌』第72巻第2号、1998年、19-23頁、doi :10.1271/nogeikagaku1924.72.153 。
^ Kimura K, Ozeki M, Juneja LR, Ohira H (2007). “L -Theanine reduces psychological and physiological stress responses”. Biol. Psychol. 74 (1): 39-45. doi :10.1016/j.biopsycho.2006.06.006 . PMID 16930802 .
^ 小関誠、L.R.ジュネジャ、白川修一郎「アクチグラフを用いたL-テアニンの睡眠改善効
果の検討」『日本生理人類学会誌』第9巻第4号、2004年、143-150頁、doi :10.20718/jjpa.9.4_143 、NAID 110002510948 。
^ 上田智子、小関誠、大久保勉、朱政治、L.R.ジュネジャ、横越英彦 、松本清一「PMSと健康食品: L-テアニンの月経前症候群改善効果に関する研究」『女性心身医学』第6巻第2号、2001年、234-239頁、doi :10.18977/jspog.6.2_234 、NAID 110004012542 。
^ Haskell CF; Kennedy DO; Milne AL; Wesnes KA; Scholey AB (2008). “The effects of L-theanine, caffeine and their combination on cognition and mood”. Biol. Psychol. 77 (2): 113-22. doi :10.1016/j.biopsycho.2007.09.008 . PMID 18006208 .
^ 石井智美. “第2回 遊牧民宅のはなし ”. 2010年7月12日時点のオリジナル よりアーカイブ。2014年2月25日 閲覧。
^ “館内展示パネル - 自然がささえる草原の食卓 ”. キッコーマン国際食文化研究センター . キッコーマン . 2014年2月25日 閲覧。
^ 石井智美 (2003年1月31日), “内陸アジアの遊牧民の製造する乳酒に関する微生物学的研究” (PDF), JCAS連携研究成果報告4 (国立民族学博物館地域研): pp. 103-123, http://www.cias.kyoto-u.ac.jp/files/img/publish/alpub/jcas_ren/REN_04/REN_04_009.pdf 2014年2月25日 閲覧。
^ 大澤俊彦「がん予防と食品」『日本食生活学会誌』第20巻第1号、2009年、11-16頁、doi :10.2740/jisdh.20.11 。
^ 堀江秀樹、木幡勝則「各種緑茶中のシュウ酸含量とその味への寄与」『茶業研究報告』第2000巻第89号、2000年、23-27頁、doi :10.5979/cha.2000.89_23 。
^ Godman, Heidi (2021年9月17日). “Can flavonoids help fend off forgetfulness? ” (英語). Harvard Health . 2022年1月8日 閲覧。
^ “夏の熱中症予防にはスポーツドリンクよりスイカが最適な理由…低カロリーで食物繊維が豊富 ”. Business Journal (2020年8月6日). 2020年11月23日 閲覧。
^ 「宵茶ほろ酔い良い香り/若者の需要拡大へ クラフトリキュール/酒に漬け込み成分抽出/産地の静岡県 提案」13面、『日本農業新聞 』2021年6月11日。
^ 冨田竹二郎編著『タイ日大辞典〈第三版〉』めこん、1997年10月1日、1176頁。ISBN 978-4-8396-0114-0 。
^ “お茶を使った料理たち ”. AllAbout . 2007年2月6日 閲覧。 [リンク切れ ]
^ 山田新市『江戸のお茶:俳諧 茶の歳時記』八坂書房、2007年、152-164頁。ISBN 9784896948974 。
^ a b 周達生『中国茶の世界』保育社 1994, p136-146。#落合 p.271より重引。
^ #落合 p.271.
^ 中尾佐助 「茶」『栽培植物の世界』p.194-195、中央公論社。#落合 p.272より重引。
^ a b #落合 p.271.
^ a b c d 守屋毅「『茶の文化』研究の課題と展望-問題提起」『茶の文化―その総合的研究第一部』、p.3-18.淡交社。#落合 p.272から重引。
^ “再加工茶-花茶、緊圧茶など再加工したお茶 ”. Teamedia (2020年4月17日). 2024年3月20日 閲覧。
^ “Tea garden Definition & Meaning ”. Merriam-Webster . 2023年4月9日 閲覧。
^ “Landscape architecture ”. Encyclopedia Britannica . 2023年4月9日 閲覧。
^ McLaughlin, Chris (June 29, 2013). “Plant an Herbal Tea Garden ”. Fine Gardening . 2023年4月9日 閲覧。
文献
参考文献
その他の文献
関連項目
外部リンク