安中榛名駅
安中榛名駅(あんなかはるなえき)は、群馬県安中市東上秋間[1]にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)北陸新幹線の駅[2]。一部の「あさま」のみ停車する[4]。 歴史→「北陸新幹線 § 歴史」も参照
北陸新幹線高崎駅 - 長野駅間のルートは、群馬・長野県境の標高差をいかにして通過するかが問題であり、当初は直線的に高崎から長野原町付近を通過して長野へ抜ける案や、松井田町(現:安中市)付近を通過して下仁田町の物見山の直下を貫く長大トンネルで佐久へ抜ける案などが検討されたが、地質的な工事の難易度、通過される軽井沢町の反対、急勾配を通過可能な新幹線車両の設計にめどがついたことなどから、高崎駅から連続30‰勾配を登坂しつつ軽井沢駅を経由し、長野駅へ向かう計画となった[5]。 このうち、高崎駅 - 軽井沢駅間のルートは2案が検討された。一つは、高崎駅を出たのちに榛名町中里見(現:高崎市中里見町)付近を通って北に迂回し、榛名山南麓の霧積山や子持山の直下を連続急勾配トンネルで抜けつつ南下し軽井沢へ抜けるという、現行ルートに近い北回り案。もう一つは、高崎駅を出たのちに榛名町下里見(現:高崎市下里見町)付近から南西に迂回し、信越本線を磯部駅 - 松井田駅間で跨ぎ(駅設置も考慮)、妙義山南麓をトンネルと連続急勾配で大きく迂回しつつ軽井沢に抜ける南回り案であった[5]。 結果、トンネル建設にあたって比較的地質が安定しており、比較的大回りとならない北回り案(開業時点で信越本線比で+0.9 km、南回り案では+約9 km)が採用されることとなった[5]。 1982年(昭和57年)には日本鉄道建設公団(以下、鉄道公団)では環境影響評価実施のために駅・ルートの概要を公表するが、この当初工事実施計画の時点では高崎駅 - 軽井沢駅間に駅は設置される計画はなかった[6]。これに対して群馬県は、同年12月に鉄道公団が環境影響評価報告書案を沿線各県に提出したのちも、新駅設置の強い要望があることを主張した上で、報告書案に対する知事意見書の提出を渋るなど慎重姿勢を取った[6]。群馬県がこのような態度をとった理由としては、整備新幹線建設にあたっては、建設のための財源枠組み計画により、群馬県なども拠出を行うことや、南回り案に見られるように松井田附近に駅が設置される噂が広まっていた経緯などがある[5]。 1985年(昭和60年)に入り群馬県では関係各所へ新駅設置について要望を重ね、同年11月には自由民主党と群馬県知事清水一郎の間で、新安中駅(仮称)設置の確約がなされた[6]。なお同年12月25日に、鉄道公団は北陸新幹線高崎駅 - 小松駅間の工事実施計画を運輸大臣に申請している[7]。この時点で工事実施計画に新安中駅の設置は組み込まれなかったものの、駅設置の要望が出ることを織り込んで、中間に水平区間を確保していたとの話もある[5]。 翌1986年(昭和61年)3月、群馬県知事の清水は鉄道公団総裁に対し、関係市町村から構成する西毛地区開発協議会が策定した、具体的な道路整備計画、駅周辺整備計画、観光開発計画を添えて、駅設置の知事要望書を提出した[7][6]。 これを受けて鉄道公団では、安中市に駅を設置することは列車運行上も支障なく、地域振興の中心となり、観光ルートの拠点ともなるとして、1986年(昭和61年)8月29日、ルートを微調整の上、当駅を設置する工事実施計画の追加申請を運輸大臣宛てに行い、当駅が設置されることとなった[7]。 年表
駅構造地上駅。通過線なしの可動式安全柵付相対式ホーム(幅 4.5 m[21])2面2線(長さ 310 m[21])を有し[22]、積雪もさほど多くないため長野までの各駅と同様半覆いタイプの上屋としている[23]。上屋には安中市の木であるスギ材を一部に使用し、可動式安全柵には安中市の花であるウメの花をあしらっている[21]。この可動式安全柵は開業当初から設置済みである。当初は8両編成分だったが、後に12両編成分まで拡張された。 また、先述の通り軽井沢に向かって碓氷峠を急勾配で登ることから、当駅の東側が北向きに大きく迂回している都合上、駅全体が北向きに大きくカーブしており、線路のカント(高速走行を支えるための傾き)も大きい。この影響でホームと電車の間に所々隙間や多少の段差ができてしまうため、車内放送(日本語と英語)での注意喚起が当駅到着前に流れる。 地上駅ではあるが、ホームは駅舎から見ると2階相当の位置にあり、各ホームと駅舎は地下通路により連絡する[22]。 駅舎のデザインは「新しい街に相応しく個性的でモダンな駅[23]」を志向し、晴天率が高いという土地柄を意識して青空・自然をイメージしている[21]。駅舎は青く着色したガラスで構成された中央のアトリウムとチェック模様のタイルからなる壁面から構成される[23]。また、意識的に周囲の景観を内部に取り込むため、タイルのチェック模様を室内に連続させるなどの工夫がされている[23]。構内には待合室・便所のほか、みどりの窓口、自動券売機、指定席券売機が設置されているほか、立ち食いそばなどの売店(荻野屋安中榛名駅売店[24])、駅レンタカー窓口がある[22]。 のりば
駅弁前述の荻野屋運営の売店により、峠の釜めしが販売されている[24][26]。 利用状況JR東日本によると、2023年度(令和5年度)の1日平均乗車人員は250人である[利用客数 1]。 開業前は1日1,500人程度の乗降を見込んでいたが、駅周辺開発の遅れなどから利用は伸び悩み、開業1か月時点の速報で、1日平均乗降人員は523人(1/2した値を乗車人員とするとおおよその乗車人員262.5人)となり、当時全国の新幹線駅で最低の乗降人員とされていた白石蔵王駅(当時1日乗降人員850人)を下回って、1か月速報値ながら全国最低となり[27]、2000年度(平成12年度)時点では1日平均乗車人員は169人となっていた[利用客数 2]。 2019年度(令和元年度)の時点では、1日平均乗車人員285人となったが、北陸新幹線の駅としては最低値であり、当駅以後に開業した他の新幹線路線駅を含めても、5番目に少ない乗車人数(奥津軽いまべつ駅、木古内駅、いわて沼宮内駅に次ぐ)となった[28][29]。 なお、2000年度(平成12年度)以降の推移は以下のとおりである。
駅周辺前述の経緯から当駅は特に集落などもない丘陵上の山林を切り開いて開業したこともあり、マスメディアなどからは開業同年に公開されたアニメ映画『もののけ姫』になぞらえて「もののけ駅」と揶揄されたこともあった[31]。 駅周辺の開発については、開業前の1993年(平成5年)に、群馬県と安中市、および上越新幹線上毛高原駅が所在する月夜野町(現:みなかみ町)、JR東日本によって「定住型リゾートオフィスモデル事業調査」が行われた[32][33]。これは、東京 100 km 圏、新幹線で1時間、かつリゾート地(安中榛名の場合は軽井沢)を後背地に持つ立地を活かして、快適な住環境と都内の本社と通信回線で結ばれたサテライトオフィスをセットとして、職住に加えて「遊」を近接させた開発を行おうとする構想であり[32]、当駅については住宅地開発と併せてソフトウェア開発企業など高度情報産業を誘致する「新安中マルチメディアタウン構想」が提案された[32][34]。 このうち駅南方の住宅地についてはJR東日本を主体に開発が行われ、着手の遅延により駅開業には間に合わなかったものの、2003年(平成15年)10月に「びゅうヴェルジェ安中榛名」の名称で約600区画の分譲を開始し[35]、2016年(平成28年)6月末に完売した[36]。 しかし、商業区画についてはその後大企業のデータバックアップ施設の誘致などに切り替わったものの[34]、企業等の誘致には至っていない。 また、駅前にはびゅうヴェルジェ安中榛名の販売センターとコンビニエンスストアが入居する「秋間みのりが丘コミュニティプラザ」が設けられていたが、分譲終了に伴い閉鎖されてしまい[37]、駅構内の売店を除き商業施設は皆無となった。その後、コミュニティプラザは安中市の所有となり、2023年(令和5年)には民間企業のサテライトオフィスとして賃貸されている[38]。 主な施設等
バス路線ボルテックスアークの磯部駅や安中駅周辺への路線バスが発着する[42]。 隣の駅脚注記事本文注釈出典
利用状況
参考文献
関連項目外部リンク
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