寺西成騎
寺西 成騎(てらにし なるき、2002年10月18日 - )は、石川県能美郡根上町(現:能美市)出身[2]のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 経歴プロ入り前能美市立浜小学校で3年生の時に根上学童野球クラブで野球を始める。能美市立根上中学校では軟式野球部に所属し、3年時にはBFA U-15アジア選手権の日本代表に選出された[3][4]。その時のチームメイトには内山壮真(東京ヤクルトスワローズ)、根本悠楓、山城航太郎(ともに北海道日本ハムファイターズ)、平尾柊翔(くふうハヤテベンチャーズ静岡)がいる。 星稜高等学校に進学し、1年春からベンチ入り。同年夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会、2年春の第91回選抜高等学校野球大会、夏の第101回全国高等学校野球選手権大会に控え投手として出場した。2年夏に右肩の肩関節唇を損傷し、3年春に手術を受けた[5]。同年は新型コロナウイルスの影響で公式戦が中止となり、県で行われた独自大会でも登板はなかった。同学年に内山壮真、1学年上に奥川恭伸、山瀬慎之助がいた。 高校卒業後は日本体育大学へ進学。投手コーチ辻孟彦からの「1、2年生は投げなくてもいい。4年生でピークを持ってきてプロに行こう。」という助言のもと、1、2年時は右肩のリハビリやトレーニングに専念した[5]。3年春のリーグ戦で実戦復帰し、リーグ最多となる5勝、防御率0.31を記録した[5]。4年時の2024年にはハーレムベースボールウィークの日本代表に選出された[4]。 2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、オリックス・バファローズから2位指名を受けた[2]。11月25日、契約金7000万円、年俸1100万円で入団に合意した(金額は推定)[1]。背番号は13[6]。担当スカウトは小林敦[7]。 選手としての特徴最速153km/hの質のいいストレートを中心[8]に縦スライダー、カットボール、フォーク、カーブを投げ分ける[9]。 家族3歳上の兄・建も野球選手で、星稜高等学校時代に第98回全国高等学校野球選手権大会に出場した。 詳細情報背番号
代表歴脚注
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