小篠 菊雄(おざさ きくお、1930年 - 2020年[注 1])は、日本のアナウンサー。東京プロ野球記者OBクラブ会員[注 2]。神奈川県横浜市出身[注 3]。慶應義塾大学文学部卒業[注 4]。
来歴・人物
1958年に[要出典]文化放送へ入社し、その後にフジテレビジョンへ移籍(同期に鶴岡巍)[要出典][注 5]。主にスポーツ実況で活躍。プロ野球中継、ボクシング中継などを担当、特にボクシングではファイティング原田(笹崎ボクシングジム)の試合を中心に実況を担当[5]。また、オリンピック大会の中継でも活躍。1964年東京大会では、開会式の実況を担当[注 6]。1972年ミュンヘン大会ではジャパンコンソーシアムの一員として中継を担当した[5]。冷静なアナウンスが特徴[注 7]。
フジテレビではアナウンサーののち、アナウンス室長、スポーツ部プロデューサーを歴任。また、テレビ新広島(TSS)が開局したころには、新人アナウンサーだった神田康秋の教育係を兼ねる形でフジテレビから派遣され、プロ野球広島東洋カープ戦中継の実況を務めた[9][10]。
のちに日本リトルリーグ野球協会事務局長[11]を務めた。
2011年に東京プロ野球記者OBクラブへ入会[12]。
2020年に死去したことを、フジの後輩アナウンサーだった岩佐徹が自身のブログやTwitterにて公表した[注 8]。90歳没[5][注 9]。
担当番組
※特記なき限り、フジテレビでのもの。
出演映画
脚注
注釈
- ^ 参考:
- ^ 2019年9月1日現在の会員名簿にて、フジテレビOBの一人として明記(2021年途中頃まで公式サイトで掲載[6])。一方、没後の2021年に更新された名簿(7月1日現在)でも、そのまま掲載されている[7]。
- ^ 参考:
- ^ 参考:
- 岩佐徹のブログより、「慶応の放送研究会の先輩」という記載あり[5]。
- ^ 参考:
- 文化放送を経てフジテレビへ入社したことは、次の資料を参照[5]。
- ^ 参考:
- ^ 参考:
- 1964年に『読売新聞』で掲載された東京オリンピック放送を特集した記事より、開会式実況担当者として紹介する際“同局の数少ないスポーツ・アナの一人で、時には場違いなくらい冷静にプロ野球を中継したりする”と記述[8]。
- ^ 参考:
- ^ 参考:
- SOCKETS人物データベースでは「享年90歳」と明記[1]。
- ^ 参考(『プロ野球ニュース』担当について):
- 当時の新聞記事…1964年の東京オリンピック放送を特集した記事[8]
- 『オレたちのプロ野球ニュース』より、吉村功(元東海テレビアナウンサー、地上波時代の『プロ野球ニュース』東海担当キャスター)のコメント部分を参照。大学在学当時に見ていた第1期『プロ野球ニュース』にて小篠がキャスターを務めたことがつづられている[17][2]。
- ^ 参考(プロ野球中継担当について):
- 当時の新聞記事…1964年の東京オリンピック放送を特集した記事より、プロ野球中継担当である旨が明記[8]
- ^ 参考(プロボクシング中継担当について):
- ^ 参考(競馬中継について):
- 当時の新聞番組表(「小篠アナ」の表記あり)…1962年10月[23]
- ^ 参考(映画『酔っぱらい天国』出演について):
- 国立映画アーカイブのデータより、役名「アナウンサー」、出演者名「小篠菊雄(フジTV)」の記載あり[24]
- 次の資料では、役名「アナウンサー」、出演者名「小篠アナウンサー」の記載あり[25][26]
出典
- ^ a b c d e 小篠菊雄(おざさきくお)の解説 - goo人名事典 ※『SOCKETS人物データベース』による解説が掲載。
- ^ a b 『オレたちのプロ野球ニュース』文庫版P129
- ^ a b 岩佐 徹(@toruiwa)による2020年7月29日のツイート
- ^ a b @toruiwaの2020年12月4日のツイート、2020年12月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『8月 小篠さん、いま、山田さん~フジテレビ・ アナウンス部からの訃報~』 岩佐徹:思うこと思うままに(ブログ)2020年12月4日付
- ^ OBクラブ紹介 - 東京プロ野球記者OBクラブ公式サイトより ※インターネットアーカイブ2021年3月1日付保存キャッシュ
- ^ OBクラブ紹介 - 東京プロ野球記者OBクラブ公式サイトより
- ^ a b c d 『読売新聞』1964年10月1日付51面に掲載された、東京オリンピック放送を特集した記事。開会式のテレビ中継実況担当者一覧より、フジテレビの担当として紹介。
- ^ 『オレたちのプロ野球ニュース』P123-125
- ^ 『オレたちのプロ野球ニュース』文庫版P136-138
- ^ 枚方リトルリーグが見たベースボール - 『HAB Research & Brothers』1999年9月12日付記事(文:形山昌由=Feature Press)
- ^ 東京プロ野球記者OBクラブ会報『談話室』2011年11月14日発行・第6号(同クラブ公式サイトで配信されたもの。インターネットアーカイブ2014年7月14日付保存キャッシュ)より、P8を参照。新会員の一人として明記。
- ^ 『報知新聞』東京版1962年4月8日付朝刊掲載フジテレビ番組表(『ザ・テレビ欄0』P33にも掲載)より、夜11:15 - 11:35『プロ野球ニュース』を参照。番組名に続いて「飯島滋弥」「小篠アナ」の表記あり。 ※局名・日時表記については、原資料に基づく。
- ^ 『報知新聞』東京版1962年4月11日付朝刊掲載フジテレビ番組表(『ザ・テレビ欄0』P36にも掲載)より、夜11:15 - 11:35『プロ野球ニュース』を参照。番組名に続いて「服部受弘」「小篠アナ」の表記あり。 ※局名・日時表記については、原資料に基づく。
- ^ 『報知新聞』東京版1962年4月12日付朝刊掲載フジテレビ番組表(『ザ・テレビ欄0』P37にも掲載)より、夜11:15 - 11:35『プロ野球ニュース』を参照。番組名に続いて「飯島滋弥」「小篠アナ」の表記あり。 ※局名・日時表記については、原資料に基づく。
- ^ 『報知新聞』東京版1962年4月14日付朝刊掲載フジテレビ番組表(『ザ・テレビ欄0』P39にも掲載)より、夜11:30 - 11:50『プロ野球ニュース』を参照。番組名に続いて「飯島滋弥」「小篠アナ」の表記あり。 ※局名・日時表記については、原資料に基づく。
- ^ 『オレたちのプロ野球ニュース』P116
- ^ 『読売新聞』大阪本社発行1963年9月3日付朝刊ラジオ・テレビ欄(7面 F☆ ラジオ・テレビ版)掲載の「関西テレビ」番組表より、午後8:00 - 9:30の『大洋=巨人戦実況(川崎)』を参照。「解説=服部受弘」「担当=小篠アナ」の表記あり。 ※局名・日時表記については、原資料に基づく。
- ^ 『サンケイ新聞』大阪本社発行1963年9月3日付朝刊ラジオ・テレビ欄(7面 テレビ 岡山)掲載の「広島テレビ」番組表より、午後8:00 - 9:30の『〇…「大洋-巨人」(川崎)』(※〇=野球ボールを表すマーク)を参照。「解説=服部受弘 小篠アナ」の表記あり。 ※局名・日時表記については、原資料に基づく。
- ^ 『報知新聞』東京版1962年10月10日付朝刊掲載フジテレビ番組表(『ザ・テレビ欄0』P42にも掲載)より、午後8:00 - 9:15『プロボクシング世界フライ級タイトルマッチ ポーン・キングピッチ対ファイティング原田』を参照。番組名に続いて「(林国治 石川輝 小篠アナ)蔵前国技館」の表記あり。 ※局名・日時表記については、原資料に基づく。
- ^ 『報知新聞』東京版1963年4月10日付朝刊掲載フジテレビ番組表(『ザ・テレビ欄0』P51にも掲載)より、午後8:00 - 9:00『プロボクシング 前溝隆男対ヒラリオ・モラレス』を参照。番組名に続いて「(林国治 小篠アナ)後楽園ジムから中継」の表記あり。 ※局名・日時表記については、原資料に基づく。
- ^ 『報知新聞』東京版1963年10月9日付朝刊掲載フジテレビ番組表(『ザ・テレビ欄0』P57にも掲載)より、午後8:00 - 8:56『プロボクシング(1)小口章対ソムサク・ラエルファパー10回戦(2)徳田秀雄対佐藤勝美8回戦』を参照。番組名に続いて「(林国治 小篠アナ)」の表記あり。 ※局名・日時表記については、原資料に基づく。
- ^ 『報知新聞』東京版1962年10月14日付朝刊掲載フジテレビ番組表(『ザ・テレビ欄0』P46にも掲載)より、午後2:45 - 4:50『中山競馬中継』を参照。番組名に続いて「(井上康文 蛯名・野平両調教師 小篠アナ)」の表記あり。 ※局名・日時表記については、原資料に基づく。
- ^ 酔っぱらい天国 - 国立映画アーカイブより
- ^ 酔っぱらい天国 : 作品情報 - 映画.com
- ^ 酔っぱらい天国|MOVIE WALKER PRESS
参考資料
関連項目
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小篠菊雄1961-1962 / 鳥居滋夫1963-1972 / 盛山毅1973-1974、1976-1981、1983-1985 / 大林宏1975 / 堺正幸1982、1986、1988、1991-2004 / 大川和彦1987、1989-1990 / 三宅正治2005-2011 / 青嶋達也2012-2013、2017-現在 / 塩原恒夫2014-2016
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