小野寺祐太 |
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2023年阪神SJ |
基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
宮城県栗原郡栗駒町(現・栗原市) |
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生年月日 |
(1990-03-12) 1990年3月12日(34歳) |
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身長 |
162cm |
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体重 |
46.5kg |
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血液型 |
O型 |
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騎手情報 |
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所属団体 |
日本中央競馬会 |
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所属厩舎 |
美浦・伊藤正徳(2009.3.1 - 2012.4.20) 美浦・フリー(2012.4.21 - 2014.1.31) 美浦・木村哲也(2014.2.1 - 2018.8.15) 美浦・フリー(2018.8.16 -2022.5.24) 栗東・フリー(2022.5.25 -) |
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初免許年 |
2009年 |
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免許区分 |
平地・障害[1] |
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小野寺 祐太(おのでら ゆうた、1990年3月12日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンター所属の騎手。
来歴
宮城県出身。競馬とは無縁の家庭で育ったが、中学時代に競馬好きの同級生から影響を受け、ゲームや雑誌で競馬にハマり騎手を志した[2]。
競馬学校に2度目の受験で合格。25期生で、同期には国分恭介・国分優作・松山弘平・丸山元気がいる。座右の銘は「日進月歩」、目標とする騎手は岩田康誠としていた[3]。
伊藤正徳厩舎に所属し、2009年3月1日、中山競馬場第5レースでデビュー。エアダーミに騎乗し5着だった。同年3月29日、中山競馬場第5レースでキングヴィオラに騎乗し、13戦目で初勝利を挙げた。同期で勝利を挙げたのは松山に続き2人目。
デビュー2年目の2010年には伊藤厩舎のネヴァブションが香港遠征し、師匠から指名を受け現地で調教をつけた(レースで騎乗したのは兄弟子の後藤浩輝)。後藤について、「後藤さんは僕がデビューする時に腹帯とか鞍とか、必要な馬具を買い揃えてくれました。また、競馬のアドバイスは勿論、伊藤厩舎の馬が走るようにするため、僕やスタッフを誘って食事会をよく開いてくれました」と語っている[2]。
2011年3月11日、小倉滞在時に東日本大震災が発生し、宮城の実家も被害を受けた。同年11月20日以来勝利から遠ざかっていたが、2015年1月18日の中山2レースでトーセンスパンキーに騎乗し3年2ヶ月ぶりに勝利し、「いつ以来の白星か忘れてました」とコメントした[4](最長間隔勝利は鈴木慶太の6年3ヶ月ぶり)。
騎乗馬確保のため2012年から障害競走にも騎乗を開始したがなかなか勝てず、2014年10月25・26日の福島では土日連続で落馬するなど苦しんだ。障害での初勝利は2015年7月19日であり、3年がかり(障害125戦目)でのものであったが、その前に同年4月18日に中山グランドジャンプでJGI初騎乗を障害未勝利のままで果たしている。
2016年7月17日の福島4レース障害3歳上未勝利で2番人気シゲルヒノクニに騎乗し勝利。2鞍目となった7レース3歳未勝利では5番人気セシルクラウンで勝利し、初めて1日で2勝を挙げた。
2014年から木村哲也厩舎に所属していたが2018年8月にフリーとなった[5]。
2022年から栗東に活動拠点を移しており[6]、同年5月25日から正式に栗東所属に変更することになった[7]。その後も美浦からの騎乗依頼があるため、時間が許す限りは美浦での調教にも騎乗している[8]。デビュー以来、重賞は5着が最高着順だったが、同年5月14日の京都ハイジャンプでは6番人気ワーウルフでタガノエスプレッソと半馬身差の2着となり重賞初連対。「惜敗でした。デビュー14年目での初重賞があと一歩のところで逃げていき、悔しくて仕方ありませんでした」と語り、その後、何度も重賞を勝つ夢を見るようになったという[2]。
2023年3月11日の阪神スプリングジャンプでジェミニキングに騎乗し、12頭立て単勝10番人気ながら勝利し、デビュー15年目で重賞初勝利を飾った[9]。レースが行われた3月11日は12年前に東日本大震災が発生した日で、「家族と連絡が取れたのは数日後。自分の誕生日前日に起きたのもあるし、忘れられない日。そういう日に勝てて感慨深いものがあります」と語っている[10]。
エピソード
主な騎乗馬
騎乗成績
年度 |
平地競走 |
障害競走
|
1着 |
2着 |
3着 |
騎乗数 |
勝率 |
連対率 |
複勝率 |
1着 |
2着 |
3着 |
騎乗数 |
勝率 |
連対率 |
複勝率
|
2009年 |
3 |
3 |
9 |
187 |
.016 |
.032 |
.080 |
-
|
2010年 |
9 |
11 |
17 |
351 |
.026 |
.057 |
.105 |
-
|
2011年 |
7 |
6 |
18 |
370 |
.019 |
.035 |
.084 |
-
|
2012年 |
0 |
0 |
0 |
45 |
.000 |
.000 |
.000 |
0 |
0 |
0 |
25 |
.000 |
.000 |
.000
|
2013年 |
0 |
0 |
0 |
20 |
.000 |
.000 |
.000 |
0 |
1 |
0 |
36 |
.000 |
.028 |
.028
|
2014年 |
0 |
2 |
0 |
61 |
.000 |
.033 |
.033 |
0 |
0 |
1 |
29 |
.000 |
.000 |
.034
|
2015年 |
1 |
0 |
0 |
70 |
.014 |
.014 |
.014 |
1 |
5 |
5 |
53 |
.019 |
.113 |
.208
|
2016年 |
1 |
0 |
0 |
24 |
.042 |
.042 |
.042 |
2 |
4 |
5 |
69 |
.029 |
.087 |
.159
|
2017年 |
0 |
1 |
0 |
20 |
.000 |
.050 |
.050 |
4 |
5 |
4 |
52 |
.077 |
.173 |
.250
|
2018年 |
0 |
0 |
0 |
4 |
.000 |
.000 |
.000 |
2 |
1 |
3 |
41 |
.049 |
.073 |
.146
|
2019年 |
0 |
0 |
1 |
3 |
.000 |
.000 |
.333 |
4 |
0 |
3 |
57 |
.070 |
.070 |
.123
|
2020年 |
0 |
0 |
0 |
2 |
.000 |
.000 |
.000 |
3 |
1 |
1 |
64 |
.047 |
.063 |
.078
|
2021年 |
0 |
0 |
0 |
4 |
.000 |
.000 |
.000 |
6 |
5 |
8 |
74 |
.081 |
.149 |
.257
|
2022年 |
0 |
0 |
0 |
7 |
.000 |
.000 |
.000 |
5 |
8 |
7 |
77 |
.065 |
.169 |
.260
|
2023年
|
0
|
0
|
0
|
3
|
.000
|
.000
|
.000
|
8
|
13
|
13
|
99
|
.081
|
.212
|
.343
|
通算 |
21 |
23 |
45 |
1171 |
.018 |
.038 |
.076 |
35 |
43 |
50 |
676 |
.051 |
.115 |
.189
|
|
|
日付 |
競馬場・開催 |
競走名 |
馬名 |
頭数 |
人気 |
着順
|
平地 |
初騎乗 |
2009年3月1日 |
2回中山2日5R |
3歳未勝利 |
エアダーミ |
16頭 |
7 |
5着
|
初勝利 |
2009年3月29日 |
3回中山2日5R |
3歳未勝利 |
キングヴィオラ |
18頭 |
1 |
1着
|
重賞初騎乗 |
2010年11月7日 |
5回東京2日11R |
アルゼンチン共和国杯 |
マキハタサイボーグ |
18頭 |
18 |
11着
|
障害 |
初騎乗 |
2012年2月12日 |
1回東京6日4R |
障害4歳上未勝利 |
バンクーバーリズム |
14頭 |
14 |
中止
|
初勝利 |
2015年7月19日 |
2回福島6日4R |
障害3歳上未勝利 |
トーセンハナミズキ |
9頭 |
2 |
1着
|
重賞初騎乗 |
2014年10月13日 |
4回東京3日8R |
東京ハイジャンプ |
アポロドーロス |
14頭 |
14 |
11着
|
重賞初勝利 |
2023年3月11日 |
1回阪神9日8R |
阪神スプリングジャンプ |
ジェミニキング |
12頭 |
10 |
1着
|
JGI初騎乗 |
2015年4月18日 |
3回中山7日11R |
中山グランドジャンプ |
ミヤコデラックス |
15頭 |
12 |
9着
|
関連項目
- 後藤浩輝 - 兄弟子。ただし同時に所属した時期はない。
脚注
外部リンク