山本一徳
山本 一徳(やまもと かずのり、1983年6月13日 - )は、島根県安来市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 経歴プロ入り前島根県安来市出身。小学校1年生の頃から野球を始め、安来高校では2年夏の県大会2回戦で7回コールドながらノーヒットノーランを達成し、ベスト4進出に貢献[1]。3年生の5月に腰を痛め、同年夏は外野手として7安打3打点を挙げたが、ベスト8で出雲工業高に敗れた[1]。高校卒業後は上京し浪人生活を送る[2][3]。一浪の末、一般入試で早稲田大学に入学[4]。 東京六大学では宮本賢、大谷智久の左右のエースの存在もあり未勝利に終わった。リーグ通算12試合に登板、0勝0敗、防御率4.70、20奪三振を記録。独特のスリー・クォーターから繰り出す最速144km/hの動く速球と184cm、90kgという恵まれた体格を買われ、2006年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムから5巡目で指名された。既にトヨタ自動車に進むことが内定していたが、同年11月30日に契約金と年俸それぞれ6,000万円、1,200万円(いずれも推定)で契約を結び[5]、宮本らとともに入団した。 日本ハム時代2007年はルーキーながら開幕一軍に登録され、12試合に登板した。2008年は一軍出場はなかったが、二軍でイースタン・リーグ最多の43試合に登板し経験を積んだ。 2010年オフ、根本朋久との交換トレードが11月22日に公示され、高口隆行と共に千葉ロッテマリーンズへ移籍した[6]。 ロッテ時代2011年7月20日、対オリックス戦でプロ5年目にして初勝利を挙げた[7]。同年は、自己最多の14試合に登板し、防御率2.87の成績を残した。 2012年は一軍登板なし。二軍では17試合に登板したが、防御率10.45と散々な結果に終わった。2012年10月7日付けで戦力外通告を受け[8]、現役を引退する。 引退後2013年からは古巣日本ハムに戻り、ベースボール・オペレーション・システム担当職員となった。 詳細情報年度別投手成績
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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