川島亮
川島 亮(かわしま りょう、1981年9月9日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 経歴プロ入り前稲毛中学校から「北千葉ポニー」[注釈 1]に所属し、野球を始める。千葉経済大学附属高校を卒業後、八戸大学に進学、硬式野球部に所属。大学の同期には石川賢がいる。1年から登板して2年で同校初の大学選手権に出場。3年時は2回戦で先発勝利しベスト8[1]。日米大学野球に出場したが、4年時は右肩痛を発症した[2]。 2003年度ドラフト会議でヤクルトスワローズに自由獲得枠で入団。背番号はかつてスワローズのエースであった松岡弘や川崎憲次郎が背負った「17」となった。 ヤクルト時代2004年は中盤以降から防御率を向上させて先発の柱となり、終盤には5連勝で10勝を挙げ、防御率もリーグ3位の3.17を記録し[3]新人王に選出された。 2005年は前年の活躍から一転して右肩痛で出遅れたが、復帰後は29回連続無失点を記録するなど好投を見せた。しかし、打線の援護に恵まれなかったため2桁勝利には及ばなかったが、自己最高となる防御率2.81を記録し、課題だった被本塁打も半減、打撃でも投手ながら打率3割以上を記録するが、終盤に右肩痛を再発症させて離脱。 2006年から2007年にかけては通算6勝に留まり、2007年オフに右肩のクリーニング手術を行った。 2008年からチームに同姓の川島慶三が移籍してきたことにより、スコアボード表記や場内アナウンスがフルネームとなる。前年の手術によるリハビリの影響で開幕一軍登録を逃す。5月4日に昇格するが好不調の波が激しいため、即二軍へ降格。6月7日の再昇格以降は勝ち星を積み重ねるも、対読売ジャイアンツ戦を極端に苦手とした(防御率7.51)ほか、終盤は5試合で8本塁打を浴びるなど、成績を悪化させた。 2009年は不安定ながらも開幕から先発ローテーションの一角を守る。しかし、セ・パ交流戦で組まれる変則ローテーションの都合によって二軍へ降格すると、7月の一軍再昇格以降は、登板すれば失点する状態が続いたことで7月30日に二軍へ降格。8月26日に一軍へ昇格、同日の広島東洋カープ戦(明治神宮野球場)で先発登板するが自滅して翌日に二軍へ再降格、そのままシーズンを終えた。 2010年5月3日に一軍へ昇格すると、約1ヶ月間を中継ぎ登板によって実戦の感触を掴み、6月1日の福岡ソフトバンクホークス戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)でシーズン初勝利を挙げる。その後は登板機会がないことで6月21日に二軍へ降格、そのままシーズンを終えた。同年12月24日、幼稚園教諭として勤務していた一般女性と入籍[4]。 2011年8月14日に一軍へ昇格、同日の阪神タイガース戦(神宮)で先発するも3回2失点で降板。翌日に二軍へ降格、シーズン1試合の登板に終わった。同年11月21日、金銭トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍することが発表された[5][6]。背番号は「61」。 楽天時代2012年には二軍で12試合に登板し、1勝2敗、防御率6.60(通算投球回数15回で自責点11)。一軍には一度も登録されることなく、10月2日に球団から戦力外通告を受けた[7]。11月9日の12球団合同トライアウトに参加したものの獲得球団はなく、2013年3月17日に現役引退を発表。 現役引退後ヤクルトの二軍スコアラー兼打撃投手に就任することが決まった。 現在は、東京ヤクルトスワローズの一軍マネージャーを務めている。 プレースタイル人物
詳細情報年度別投手成績
表彰
記録
背番号
脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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