新羽町
新羽町(にっぱちょう)は、神奈川県横浜市港北区の町名[5]。丁目の存在しない単独町名であり、2017年(平成29年)12月31日現在、住居表示は施行されていない[2]。 地理東端から南端にかけて鶴見川が流れる沖積平野であるが、西端は多摩丘陵にかかっている[6]。港北ニュータウンの開発以前から住宅・工場などが進出してきていた[6]。交通網としては、中央部を南北に横浜市営地下鉄ブルーラインと宮内新横浜線が通るほか、南北に神奈川県道13号横浜生田線、東西に神奈川県道・東京都道140号川崎町田線(緑産業道路)が通り、北西端を第三京浜道路が通過している。 新羽町は北端で新吉田町・新吉田東と、東端で鶴見川を挟んで大倉山と、南端で北新横浜や小机町と、西端で都筑区の川向町・大熊町・仲町台・新栄町と接する。
小字名
歴史史料に「新羽」の名が現れるものとして、鎌倉時代の正応3年(1290年)に、「武州新羽郷」の所領の相続をめぐり相論となったことが残っている[7]。また、道興准后が当地に立ち寄ったことが、『廻国雑記』に残されている[5]。 江戸時代の当地は都筑郡新羽村であり、天領や複数人の旗本領に分割されていた[5]。村高は、『武蔵田園簿』で1095石あまり、『元禄郷帳』では1124石あまり、『天保郷帳』では1268石あまり、『旧高旧領取調帳』では1285石あまりというように推移していた[5]。年貢以外に神奈川宿への助郷も負担していた[5]。鶴見川の堤防をめぐり、周辺の村と騒動となることも何度かあった[5]。 明治維新以降は新羽村などが合併して新田村が成立し、新羽はその大字となった。のちに横浜市へと合併され、港北区に属することとなり、新羽町が設置された。昭和38年から49年(1963年から74年)にかけて、当地の人口は急激に増加した[5]。 地名の由来由来にはいくつかの説がある。
沿革
世帯数と人口2024年(令和6年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)[26]。
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[27]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
交通鉄道横浜市営地下鉄ブルーラインが通り、新羽駅が設置されている。なお、北新横浜駅や新羽車両基地の所在地は北新横浜であるが、もとは新羽町の一部であった。 路線バス域内に東急バス新羽営業所が設置されているほか、横浜市営バスも当地を通っている。 道路ブルーラインと並行して宮内新横浜線が通るほか、神奈川県道13号横浜生田線と神奈川県道・東京都道140号川崎町田線が当地の「新羽十字路」で交差している。 施設教育
その他の施設その他日本郵便警察町内の警察の管轄区域は以下の通りである[30]。
参考文献脚注
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