日健総本社
岐阜県羽島市に本社を置く健康食品製造販売会社である。ここでは創業者の田中美穂(たなかよしほ)の解説も行う。 (にっけんそうほんしゃ)は、概要「マイクロアルジェは、どれだけ人間を幸せにできるだろう。」を基本理念[生立ち 2]に掲げたクロスタニンブランドで有名であり、ドナリエラなどの藻類を健康食品化している(詳細は後述)。 永松昇(ヤクルト本社の初代社長、後に日本科学開発(略称:日科)を設立[生立ち 3])のもとで修行した田中美穂が1975年(昭和50年)9月に当社を設立し[生立ち 1]、1988年(昭和63年)にワイツマン科学研究所(イスラエル)との事業提携を締結した[生立ち 4]。その後、1989年(昭和64年・平成元年)にイスラエルに海外工場(N.B.T.)を建設し[生立ち 5]、同年に本社ビルが完成した[生立ち 6]。本社ビル内には微細藻類を扱う水族館が併設されており、それに関連する国際大会は年1回のペースで開催されている[生立ち 7]。なお、N.B.T.は1990年(平成2年)1月に当社の子会社となっている[生立ち 5]。 1995年(平成7年)4月に当社の製造工場として微細藻類未来工場が完成し[生立ち 6]、2022年(令和4年)2月24日に日本工営・東京農業大学との間で包括連携協定が締結された[4][5][新聞 1]。 沿革年表
付記田中美穂日健総本社の創業者であり、会社設立前は永松昇のもとで修行を行った。1975年(昭和50年)に「クロスタニン」の商品化に成功したが、同年8月に永松が亡くなり、その翌月(9月)に日健総本社を設立した。なお、当項は2000年(平成12年)に毎日新聞で25回に渡って連載されたものを再構成したものである。 略歴
人物・エピソードなど
著書
本社ビル1989年(平成元年)4月に完成した11階建てのビルであり、本社機能[注 13]および研究室と下記の各施設で構成される[生立ち 6]。なお、社員および関係者は当ビルのことを「新藻殿」や「健康情報の発信基地」と呼ぶ[生立ち 6]。
事業所
研究機関下記の研究所・大学・病院を微細藻類応用事業のパートナーとしている[18]。
主な製品現行商品は公式サイトを参照[19]。
上記の他、商品詰め合わせセットとして「ヘルシーバリューセット」[注 15]の販売も行っている。 販売網代理店方式を用いており、日本(5ブロック制[生立ち 22])では東北から九州にその事業社(販社[生立ち 22])や特約店[注 16]が複数設けられている[21]。また、台湾・フィリピン・オーストラリアなど海外(計14ヵ国)にもその事業社が設けられている[21]。 読み物健康に関する読み物として、「健康の輪新聞」を月1回のペースで発行している[注 17]。 広告活動ドラム演奏を用いたCM、ダジャレ[注 18]を用いたCM、CGを用いたCMなど、多くのCMが製作・放映された。提供番組および出演者は下記のとおり。 提供番組2024年(令和6年)9月1日時点では提供番組が無いため、過去の提供番組を紹介する。 テレビ
ラジオ
出演者ここではテレビCMの主な出演者を紹介する。
この他、豊島泰三(田中角栄のそっくりさん)が出演したCMもあった。 マイクロアルジェ微細藻類のことであり[27][28]、当社の基本理念(先述)にもこの語が用いられている[生立ち 2]。マイクロアルジェは水中のほか、土の表面やその中・樹木の樹皮表面・岩やコンクリートなどの表面・金属の表面・タイル温泉の中など、多くの所に生息する植物プランクトンである[注 24][28]。マイクロアルジェは、マイナス20℃の冷凍庫内やビニール袋に約20年間放置した土の中にも生存していたことが研究で明らかとなっている[30]。 マイクロアルジェは、当社が開発したもの[31]と世界で発見されたもの[29]がある。ここではそれらを分類して紹介する。 日健総本社が開発したもの世界で発見されたものクロスタニン国際大会1979年(昭和54年)から年1回開催されているイベントであり、当社の1年間の総決算を兼ねる[生立ち 7]。日本の地域代表が参加するが、アメリカや中国など海外からの参加者も居るため、「国際色豊かな微細藻類の甲子園」と称されている[生立ち 7]。なお、同大会は長良川国際会議場で開くことを基本とするが、他のホテルなどで開催する年もある[生立ち 7]。例として、1993年(平成5年)に開催した第15回大会は約1万人が参加するため会場を岐阜メモリアルセンター内にあるドームに変更したが、収容できないぐらいの人出となってしまった[生立ち 7]。同会の来賓として駐日イスラエル大使・岐阜県知事・羽島市長や大学の名誉教授が招かれる[生立ち 7]。過去には丹波哲郎(当社CM出演者(前述))[生立ち 7]やルツ・カハノフ(駐日イスラエル大使)[32]が来賓として招かれたことがあった。また、「コミュニケーションパーティ」は歌謡ショーとして開催するが、同ショーには北島三郎・細川たかし・瀬川瑛子が招かれたことがあった[生立ち 7]。 ちなみにこの大会は「健康社会の建設に向かって、お互いに励まし合う健康を願う同志の集い」も兼ねている[生立ち 7]。 イスラエルとの交流1969年(昭和44年)にヘブライ大学の修士課程を終えたアミー・ベンアモツがワイツマン基礎科学研究所に来て、モルデハイ・アブロン副所長の下で死海に生息する「ドナリエラ・バーダウィル」の光合成の研究を開始した[生立ち 4]。その後、同研究所のライフ・サイエンス研究棟内に培養試験施設が設けられ、ドナリエラ・バーダウィルの培養に成功した[生立ち 4]。同製造法の特許を取得し、ドナリエラ・バーダウィルの粉末化までこぎつけたが、当時はその事業化や販売のノウハウが無かった[注 25][生立ち 4]。 クロレラ事業の現状を調べるため、アブロン副所長が来日し、ドナリエラ・バーダウィルの商品化して日本で販売するため提携話を持ち上げると大手の食品会社や石油会社などが名乗りを挙げた[生立ち 4]。その後、アブロン副所長らの調査で、日健総本社との事業提携が合意に至り、1988年(昭和63年)にワイツマン基礎科学研究所との提携を公表した[生立ち 4]。 アブロン副所長が亡くなった後は、アミー・ベンアモツ教授に引き継がれ、「ドナリエラ・バーダウィルは抗酸化物質であること」を発見し、「藻の体内に8%の天然ベータカロチンが蓄積する培養技術の開発」に成功している[生立ち 4]。ちなみに、この技術で培養したドナリエラ・バーダウィルに含まれるベータカロチンはニンジンの900倍以上である[生立ち 4]。なお、「ドナリエラ」に含まれるベータカロチンの成分で成果をあげたものの例としてチェルノブイリ原子力発電所4号炉で発生したチェルノブイリ原子力発電所事故が挙げられる。 1986年(昭和61年)4月26日、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国(ソビエト社会主義共和国連邦(旧ソ連)の構成国)にあるチェルノブイリ原子力発電所4号炉で原子力事故が発生[33]。同事故の影響で放射能被害者数が60万人(子供25,000人を含む)となり、ハダサ病院は1,001人の被爆児童を受け入れて治療をすることとなった[34]。ベンアモツ教授はインタビュー動画で「ガンにかかる前にベータカロチンが(ガンを)抑制する作用がある」と話した後、「もし(ガンが)発生した場合、治療する時に必要となる薬の副作用を抑えることが出来るのです」と語っている[34]。この際、(ガン発病予防を兼ねる)治療薬として「ドナリエラ」を使用することとなったが、数が足りなくなる事態が発生したため日健総本社に提供を要請すると田中は「病気で苦しんでいる人の手助けするのは当社の大切な使命」と話し、「ドナリエラ」を無償で提供している[34]。同事故から5年以上の年月が経過した後に中間報告が出されたが、「ドナリエラ」で治療を受けた子供たちにガンは発生しなかった[34]。なお、同治療を受けていない子供たちの大半は放射能被害による後遺症に苦しみ、甲状腺ガンで亡くなった人もいた[34]。「ドナリエラ」で抗酸化作用の成果をあげたベンアモツ教授はその後、他の臨床研究の牽引役となり、ぜんそく・アレルギー・糖尿病などの研究を行った[34]。ベンアモツ教授はエイラット培養工場や日健総本社の指導も行い、現在は「ドナリエラ・バーダウィルの父」として講演会を行うことがある[注 26][生立ち 4]。 1989年(昭和64年・平成元年)1月に 1996年(平成8年)秋にイスラエル・ドナリエラ研修視察団を1,000人派遣し、死海やN.B.T.工場などを視察したが、緑の少ない国土に心を痛めたクロスタニン全国経営協議会の会長(当時)が1997年(平成9年)10月に開かれた全経協会議の席上で「『イスラエル緑の基金』を設けてはどうか?」と発案すると、満場一致で設置が決定した[生立ち 24]。同基金はイスラエルの緑化事業を支援するものであり、募金箱に寄せられた基金をもとに苗木を贈呈するものである[生立ち 24]。 1998年(平成10年)春に苗木1万本の目録贈呈式が行われ、イスラエルにある「クロスタニンの森」に植樹され、(天然石の)記念碑が建立された[生立ち 24]。それ以来、イスラエルへ苗木1万本を毎年贈る国際交流が続いている[生立ち 24][大研修 4]。この功績が評価され、2000年(平成12年)にゴールデン・ブックへ登録することが決定し、同年秋に登録式が行われた[大研修 1][大研修 2]。なお、国際交流は研究助成金の援助もその対象となっている[生立ち 9]。この助成金はワイツマン基礎科学研究所や国立ハダサ病院などに贈られ、ドナリエラ・バーダウィルを応用した研究開発を支援し、多くの商品開発に携わっている[生立ち 9]。ちなみに、ドナリエラ・バーダウィル培養の特許はワイツマン基礎科学研究所が所有し、世界各国の販売権は当社が譲受している[生立ち 5]。 2000年(平成12年)に田中が死去し、同年秋に「イスラエル2000大研修視察団」を開催[大研修 1]。なお、同事業は田中が1998年(平成10年)に提案したものであった[大研修 5]。この事業では「イスラエル功労賞」の授与式およびゴールデン・ブック登録証贈呈式[大研修 1][大研修 2]、アミー・ベンアモツ(国際応用藻類学会上級理事)への質問会[大研修 6]、記念植樹[注 27][大研修 4][大研修 7][大研修 8]、マイクロアルジェの採集[大研修 9]などが行われた。 田中の死去から4年が経過した2004年(平成16年)2月21日、N.B.T.工場内に田中の銅像が建立された[注 28][聖地 2]。同年から日本とイスラエルの国際交流を更に発展するため、2013年(平成25年)までの10年間をイスラエル聖地の旅「10年プロジェクト」と定め、チャーター機の運航を継続した[注 29][聖地 2]。日本とイスラエルを結ぶ定期便の就航は創業者の田中が願ったものであり[聖地 2][聖地 8]、「10年プロジェクト」ではそれを実現するための会談が行われたことがあった[聖地 9]。 両国間を結ぶ定期便(成田国際空港 - ベン・グリオン国際空港間)は2023年(令和5年)3月2日から運航を開始し[注 30][航路 2][航路 3][航路 4]、同路線を運航する全日本空輸(ANA)とエルアル航空の両航空会社は同年6月5日にコードシェア提携契約を締結している[注 31][新聞 4][航路 1][航路 8]。 脚注注釈
出典本文
新聞
生い立ち
大研修視察団
聖地の旅
航路
関連資料外部リンク
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