望月 達也(もちづき たつや、1963年4月20日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手・指導者。
来歴
選手時代
清水東3年時の高校選手権、FW沢入重雄やMF反町康治らと共にエースとして活躍したが準優勝に終わる。
当時の高校選抜のメンバーとしてヨーロッパ遠征に参加した際、オランダサッカー協会コーチであったハンス・オフトに見初められる。卒業後の1982年6月にオランダに渡り、同年7月にエールディヴィジ(オランダ1部)のHFCハーレムにアマチュア契約で入団。第4節アウェイのフローニンゲン戦、69分から途中出場でデビューを果たすも、82-83シーズンは2試合(途中出場計37分)の出場に留まった。翌83-84シーズンは第10節ホームでのAZ戦で初先発を果たし70分までプレーしたが、以降エールディビジでの出場機会には恵まれなかった。1986年にエールステ・ディヴィジ(オランダ2部)のテルスターとプロ契約を結ぶ。日本人では奥寺康彦、尾崎加寿夫、風間八宏に次いで4人目の欧州プロ選手となった。
1986年、5シーズンを過ごしたオランダを離れ、日本へ帰国。ヤマハ発動機サッカー部(現・ジュビロ磐田)に入団。期待されるも、故障などでMFとして目立った活躍は出来ず、晩年にはSBとしてプレーし、1990年、27歳で現役引退。
指導者時代
1990年6月からヤマハサッカースクールコーチ、1991年6月からヤマハ発動機コーチ[2]。
1994年から2001年までジュビロ磐田に所属(ユースコーチ、サテライトコーチ、ジュニアユース監督、ユース監督、スカウト担当を歴任)[2]。
2002年-2003年にはアビスパ福岡に所属し、主に下部組織のコーチ・監督を務める。
2004年からは湘南ベルマーレに移り、2005年はトップチームコーチ。2006年にはベガルタ仙台に移り、トップチームのヘッドコーチを務める一方、サテライトチームの監督も務めた。
2007年、仙台の監督に就任。初めてクラブのトップチーム監督として指揮を執るようになる[3]。終盤までチームを昇格争いに絡ませたものの、最終順位は4位。惜しくもJ1昇格に導くことは出来なかった。シーズン終了後、チームをJ1に昇格させられなかった責任から退任。退任後の2008年、フロントからの要請もあり「クラブスタッフ」としてクラブに残留。スカウト活動をはじめ、スポンサー周り、下部組織の指導・支援などを行い、現場の外からチーム強化に携わったが同年終了を以って退団。
2009年4月、清水エスパルス強化育成本部本部長・強化部部長に就任し、2011年シーズン終了まで務めた。
2012年、川崎フロンターレのトップチームコーチに就任[4] し、2014年まで務めた[1]。
2015年、ヴァンフォーレ甲府のヘッドコーチに就任[5]。
2017年、JFL・ラインメール青森FCの監督に就任[6]し、2020年まで務めた[7]。
2021年5月19日、川崎フロンターレのアカデミーダイレクターに就任すると発表された[8]。
所属クラブ
個人成績
指導歴
- 1990年 - 1993年 ヤマハ発動機
- 1990年6月 - 1991年5月 ヤマハサッカースクール:コーチ
- 1991年6月 - 1993年 ヤマハ発動機コーチ
- 1994年 - 2001年 ジュビロ磐田
- 1994年 - 1995年 ユースコーチ
- 1996年 サテライトコーチ
- 1997年 ジュニアユース監督
- 1998年 サテライトコーチ
- 1999年 - 2000年 ユース監督
- 2001年 スカウト担当
- 2002年 - 2003年 アビスパ福岡
- 2002年 ユース統括
- 2002年8月 監督代行
- 2003年 ユース監督
- 2004年 - 2006年 湘南ベルマーレ
- 2004年 サテライト監督
- 2004年7月 - 9月 監督代行
- 2005年 コーチ
- 2006年 - 2008年 ベガルタ仙台
- 2006年 :ヘッドコーチ兼サテライト監督 (途中1試合のみトップチーム監督代行)
- 2007年 監督
- 2008年 クラブスタッフ
- 2009年 - 2011年 清水エスパルス
- 2009年4月 - 2010年 強化育成本部本部長・強化部部長
- 2011年強化育成コーディネーター
- 2012年 - 2014年 川崎フロンターレ
- 2012年 - 2014年 コーチ
- 2012年4月 監督代行
- 2015年 - 2017年 ヴァンフォーレ甲府 ヘッドコーチ
- 2018年 - 2020年 ラインメール青森FC監督
- 2021年 - 川崎フロンターレアカデミーダイレクター
監督成績
脚注
関連項目
外部リンク