末吉 忠晴(すえよし ただはる、1832年2月2日(天保3年1月1日[1])- 1903年(明治36年)7月20日[2][注釈 1])は、明治期の政治家。衆議院議員、東京市会議長。旧姓・庄屋。
経歴
大和国[3][注釈 2](現奈良県)で幕臣・庄屋庄蔵の三男として生れ[1]、1856年(安政3年2月)葉山重信の養子となり分家して一家を創立した[1]。
小学校世話掛、区総代、町総代、地租改正地価鑑定人、麹町区会議員、同副議長、同議長、所得税調査委員、徴兵参事員、東京府会議員、東京市会議員、同参事会員、同議長、学務委員長、日本赤十字社東京府委員などを務めた[1][2][3][4][5]。
1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(東京府第1区、無所属)で初当選し[3][6]、第4回総選挙でも再選され[7]、公同会に所属して衆議院議員に連続2期在任した[1][2][4]。
1903年7月、麹町区紀尾井町3の自宅で死去した[3]。
国政選挙歴
脚注
注釈
- ^ 『講談社日本人名大辞典』995頁では明治36年7月10日死去。
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』326頁では東京都出身。
出典
- ^ a b c d e 『人事興信録 初版』1150-1151頁。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』326頁。
- ^ a b c d 『明治過去帳』新訂初版、687頁。
- ^ a b 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』231-232頁。
- ^ 東京都議会議会局議事部庶務課『東京都議会議員略歴集録』東京都議会議会局議事部庶務課、1968年、122頁。
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』2頁。
- ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』66頁。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。