東京アパッチ
東京アパッチ(とうきょうアパッチ、英: Tokyo Apache)は、かつて存在した日本のプロバスケットボールチーム。本拠地は東京都。2005年から2011年まで日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)に所属していた。 概要
チームカラーユニフォームスポンサー過去のユニフォームスポンサー
ユニフォームサプライの遍歴ホームゲーム
チームの特徴
マスコット
応援怪獣2010-11シーズンを前に行われた「ウルトラ怪獣ドラフト」でノーバを獲得した。 スタジアムMC
ブースターソング歴史2005-06シーズンリーグ初年度の2005-06シーズン序盤は失点が多く苦しんだものの、その後徐々に勝ち星を重ね、レギュラーシーズンの最終結果は20勝20敗で3位だった。個人タイトルは、レギュラーシーズンでハンフリーが平均得点でリーグ首位、ピペンは3位。その他ハンフリーはスティールとスリーポイントシュート成功数で、ピペンは出場時間でリーグ上位に入った。青木康平はフリースロー成功率でリーグ首位。ピペンはベスト5に選ばれた。プレイオフでは、初戦で新潟アルビレックスに敗れ、3位決定戦では仙台89ERSを下し3位の成績だった。 2006-07シーズンいわゆる異競技交流の一環として、元西武ライオンズ選手・監督の東尾修を代表取締役社長兼ゼネラルマネージャーに迎える。また、同じく東京を本拠地とするプロ野球球団・東京ヤクルトスワローズとも協力関係を締結した。 なお、選手については日本人選手及びハンフリーと契約を更新。新外国人としてNBADLで田臥勇太のチームメイトだったニック・ビリングス(開幕直後契約解除)とNBAのキャンプに参加したジェレミー・マクガイヤ、(12月に契約解除)元仙台89ERSのマイケル・ジャクソンの3選手と契約。外国人以外の補強は行わずにシーズンを迎えた。リーグ屈指の得点力を誇ったが、リーグ最多失点を喫し、外国人選手の入退団も頻繁であったためチームの歯車が狂い、結果として、8チーム中最下位に終わった。個人タイトルは、青木康平はリーグベスト5、最高フリースロー成功率、ハンフリーは、試合平均得点の個人タイトルを2年連続で獲得している。 2007-08シーズン青木康平、ハンフリーら主力が残留し、大阪から城宝匡史(仲村直人の優先交渉権とのトレード)を、新潟からニック・デービスと大型補強に成功した。攻撃力のアップと崩壊した守備の改善に成功し、新潟、埼玉とのプレーオフ争いを演じる。2月には中村友也やディーン・ブラウンを獲得し、チームのムードも良くなり、6連勝するなどしたが、埼玉、新潟も勝ち星を積み重ねたため、東京はプレーオフ争いから抜け出すことができない。そんな中、リーグ終盤の新潟との直接対決で連勝し、1ゲーム差に詰め寄ると、埼玉との直接対決の2戦目を勝利し、埼玉をプレーオフ争いから脱落させると、新潟も仙台に連敗を喫し、勝率で新潟と並ぶ。次の沖縄戦で勝利し、プレーオフ圏内である3位以内は確定したが、史上初の聖地・代々木第二体育館での開催を目指すべく、チームは踏ん張り4連勝。逆に新潟は、最終戦で黒星を喫し、東京の東地区2位が確定した。史上初の代々木第二でのワイルドカードゲームは東京が新潟に勝利し、プレーオフ進出が決まった。プレーオフでは仙台89ERSに勝利したが、決勝で大阪エヴェッサに敗れた。 2008-09シーズンドラフトではJBLレラカムイ北海道でアシスタントコーチだった矢田公作を指名、2006-07シーズンで高松ファイブアローズのファイナル進出の原動力となったジュリアス・アシュビーとドイツリーグでプレイしていたティッゾ・ジョンソンを新たに加えた以外は選手の入れ替えはほとんど行わず、また、アシスタントコーチの役割は置かないまま、シーズンを迎える。また、レギュラーシーズン初となる代々木第二体育館及び駒沢体育館での開催が決まった。 レギュラーシーズンはイースタンカンファレンスで新規参入の浜松・東三河フェニックスに次ぐ2位に終わる。プレイオフではカンファレンスセミファイナルで仙台を破り、カンファレンスファイナルでは浜松に勝利し2年連続の決勝進出を果たすが、琉球ゴールデンキングスに敗れ2年連続の準優勝に終わる。 2009-10シーズン2009年オフをもって東尾GM及びブライアントHCが退任し、第2代HCに前年度まで高松を率いた青木幹典が就任。チーム運営会社も東京バスケットボール・プロモーションからエクスターホールディングス(眼科医療機器メーカー「エクスター」の持株会社)に変更され、2009-10シーズンは新体制での船出となる(シーズン開始後にエクスターエンターテイメントに移管)。このシーズンは代々木第二をメインとし、初の東京都外開催となる大和スポーツセンターおよび横浜文化体育館でも各2試合を行った(当初は横浜文化体育館の滋賀戦が初の都外開催の予定であったが、開幕後に発表された日程変更で初の都外開催は大和スポーツセンターでの新潟戦となった)。11月30日、前運営会社である東京バスケットボール・プロモーションに対し、「有明コロシアム」の管理会社が主催試合の会場使用料の未払い分計約2700万円の支払いを求め東京地裁に提訴したと報じられた[1]。2010年4月には開館したばかりの墨田区総合体育館でも試合を行う。 選手ではジョン・ハンフリー、城宝匡史らが退団。新入団選手として板倉令奈を獲得したが、シーズン前の経営問題による準備不足で開幕をロスター8名(内、外国人2名)で迎えた。前半戦は7連敗を喫して最下位沈むなど苦戦したが、シーズン中に前高松のラシード・スパークスや元仙台のマイケル・シャペールらを補強。後半戦になるとチーム状態は上向き、埼玉、富山を追い抜いて東地区4位になり、3シーズン連続でプレイオフ進出を果たす。しかし、カンファレンスセミファイナルでは浜松に敗れてファイナル4進出はならず。 2010-11シーズン2010年オフ、チーム運営会社であるエクスターエンターテイメントはエクスターグループ保持分の株式をエボリューション・キャピタル・マネジメントに売却[2]。これに伴い、社名も「EVOエンターテイメント」に変更となる[3]。なお、エクスターグループはスポンサーとして引き続きチーム運営に関わる。代表取締役には一時、日下部大次郎事務局長(2009年まで株式会社日本プロバスケットボールリーグ経営企画室ディレクター)が就任した後、9月にフォックスマークの山本雄一が就任し、日下部は顧問となった。 プレジデントとして、エボリューションからの出向で元NFL選手のクリス・ヘザリントンが就任。ゼネラルマネージャーにコナー・ヌウ、ヘッドコーチには青木幹典に代わりNBAチームヘッドコーチ経験者であるボブ・ヒルが就任。大分から牧ダレン聡が復帰し、新戦力として元NBAプレイヤーのロバート・スウィフト、2011年のNBAドラフト候補に挙がっていたジェレミー・タイラーを獲得した。 2010年9月14日、会場確保に不具合が生じたため、2010年10月30日~31日に長野県の佐久市総合体育館および千曲市戸倉体育館で行われる浜松戦以外全てのホームゲームを2011年1月以降に開催するとした日程変更を発表した。1月から3月までの試合は全て国立代々木第二体育館で行われる[4]。 2010年10月にシーズンが開幕した後は、開幕当初を除いてプレーオフ進出圏内の順位を保っていた。しかし3月11日に東日本大震災が発生したことを受け、不安定な電力供給事情による節電への協力や、被災地へ物資を優先させる等、「人道的理由」により、以後の活動をすべて休止すると発表し、シーズンを終えた[5]。 活動停止2011年6月7日、当初予定されていたビジネスパートナーやスポンサーの確保が難しくなったため、2011-12シーズンに参戦しないと発表した[6]。そのため、FA権行使選手以外の全選手がプロテクトの対象から外れエクスパンションドラフトの対象となることと、エクスパンション・ドラフト対象選手が指名されなかった場合は全て自由契約選手となることも決まった。 2011年11月、調布市に新会社「東京プロバスケットボール準備株式会社(後に東京プロバスケットボールクラブ株式会社に改称)」が設立され、東京アパッチの活動再開ではなく新規参入に方針転換。2012年1月に新規参入が承認され、新チーム名を公募した結果、3月に「東京サンレーヴス」と発表された。そのため、「東京アパッチ」は2011年をもって事実上消滅(bjリーグ史上初の脱退チームでもある)することになった。 2008-09シーズンまでの運営会社であった東京バスケットボール・プロモーションは、その後債権者から破産を申し立てられ、2017年3月6日に東京地方裁判所から破産手続開始決定を受けた[7]。 成績
ゲーム差は()外は1位、()内はプレイオフ圏との差をそれぞれ表している 個人別タイトルベスト5
フリースロー成功率
得点
その他受賞リーグ戦の主な記録チーム記録得点失点関連記録最多得点・最多失点
連勝記録最多連勝
最多連敗
同一カード最多連勝 同一カード最多連敗 観客動員記録最多観客動員試合
最少観客動員試合
年度別観客動員記録
選手とスタッフ→詳細は「東京アパッチの選手一覧」を参照
チアリーダー2006-07シーズンより「ゴリエ杯争奪全日本チア選手権」準優勝の「ガムQ」(スーパーイコリーダンスプロダクション)が応援パフォーマンスを披露しており、2007-08シーズンには「東京アパッチダンスチーム」も結成された。 2010-11シーズンはEVOエンターテイメント主導でオーディションを行い、日本人とアメリカ人混成の新チアダンスチーム「東京ガールズ」が結成され、ロサンゼルスで合宿が行われた後、2010年1月の代々木第二体育館でのホーム開幕戦から専属チアチームとして活動していた。シーズン終了後に東京アパッチは活動を休止したが、東京ガールズはあらためてオーディションを行い、8月の女子バレー ワールドグランプリ2011で再デビューして活動を継続している。プロデューサーは柳下容子。 メディア
脚注
関連項目外部リンク
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