東神奈川駅
東神奈川駅(ひがしかながわえき)は、神奈川県横浜市神奈川区東神奈川一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。 乗り入れ路線当駅に乗り入れている路線は、線路名称上は東海道本線と横浜線の2路線で、そのうち東海道本線を当駅の所属線としているが、東海道本線は電車線を走行する京浜東北線電車のみが停車し、列車線を走行する東海道線列車は停車せず、旅客案内では「東海道(本)線」は使用されていない。したがって、当駅は京浜東北線と横浜線との乗換駅として案内されている。また横浜線は当駅が起点となっているが、一部電車は京浜東北線とともに横浜駅を経て根岸線へ直通する。
歴史東神奈川駅は東海道本線上にある駅であるが、この区間の東海道本線開通時にはまだなく、横浜と八王子を結ぶことを目的として建設された私鉄の横浜鉄道(後の横浜線)が、東海道本線との接続駅として建設した。横浜鉄道では、横浜側の接続駅として神奈川駅や平沼駅などを検討していたが、土地が狭いなどの理由で、東神奈川駅の位置において接続する方針となった[3]。こうして1908年(明治41年)9月23日に、横浜鉄道線の開通とともに東神奈川駅は開設された。国鉄側の設備も含めて横浜鉄道の費用負担で建設されている[4]。 さらに横浜鉄道では、経営陣を同じくする横浜倉庫を通じてこのあたりの沖合を埋め立てて岸壁と倉庫を建設し、そこに鉄道を乗り入れて海陸連絡を図る構想を持っていた。このため東神奈川駅からさらに海側へ延伸する免許を取得し、1911年(明治44年)12月10日に海神奈川駅までの支線が開通した。しかし結局より沖合の埋立免許を取得して岸壁を建設することができなかったため、この支線は横浜倉庫の倉庫群への連絡鉄道に留まった[5]。この当時、東神奈川駅のすぐ海側にはすでに京浜電車(後の京急本線)が通っていたため、貨物支線を通すために仲木戸駅(現:京急東神奈川駅)付近を高架化する工事を行っている[4]。この横浜鉄道線は1910年(明治43年)4月1日から国鉄が全線を借り受けて営業することになり、1917年(大正6年)10月1日付で正式に国有化され、国鉄横浜線となった[6]。 大正時代初期の、1912年(大正元年)9月現在の停車場平面図によれば、線路の海側に駅本屋があり、これに面する番線を横浜鉄道が使用し、また駅舎の両側に側線群があった。さらに島式ホームが2つあり、これらの島式ホームに挟まれた2本の番線を国鉄東海道本線が使用する構造となっていた。海神奈川へ至る支線は、駅より北側で分岐して海へ向けてカーブを切っていた[7]。 1914年(大正3年)12月20日、東京駅の開業に合わせて東京と高島町(2代目横浜駅付近に位置していた駅)の間で京浜線電車(後の京浜東北線)の運転が開始された。しかし開業を急ぐあまり準備が不十分で故障が相次ぎ、12月26日に運転中止に追い込まれた。運転再開は1915年(大正4年)5月10日となった[8]。また、京浜線電車の運転が開始されたのちも、しばらくの間は東海道本線の蒸気機関車牽引列車が東神奈川駅にも停車していた[9]。1915年(大正4年)12月30日から蒸気機関車列車の停車は廃止された[10]。京浜線電車開通に伴う東神奈川駅付近の配線変更などは判然としない。1917年(大正6年)6月17日には、高島駅までの東海道本線貨物支線が開通した。 国鉄買収後の横浜線は、東京に近くかつダイヤが過密でないという特性が便利であったこともあり、各種の試験に用いられたが、その一環として1925年(大正14年)4月4日には当駅から原町田駅(現在の町田駅)までの区間が電化されている。これは横浜線に電車を運転するためのものではなく、東海道本線における電車や電気機関車の運転を担当する乗務員の訓練や試験に用いるものであった。この設備を生かして横浜線の電車運転が開始されるのは、1932年(昭和7年)10月1日からであった[11][12][13]。この電車運転開始に合わせて、京浜線と横浜線の間の渡り線の新設やホームの扛上[注釈 1]などが行われ[14]、横浜線の電車が京浜線に乗り入れて桜木町駅まで走るようになった[15]。横浜線が蒸気機関車で運転されていた時代には、駅舎側のホームの行き止まりになる部分に1番線があり、ここで横浜線の列車が発着していたが、電車運転開始により桜木町への直通のために2番線使用が普通となり、後に1番線は埋め立てられて倉庫などに転用された[16]。 第二次世界大戦に際しては、1945年(昭和20年)5月29日に横浜大空襲で東神奈川駅舎は全焼した。また横浜線電車の桜木町直通は、いったん戦時中に打ち切りとなり、戦後1959年(昭和34年)4月13日から再開されている。この間、横浜港における貨物輸送の変化などから、海神奈川および東高島への支線が1959年4月1日に同時に廃止となった[17][18]。 1960年(昭和35年)に橋上駅舎が使用開始され、これに合わせて自由通路も併設された[19]。1968年(昭和43年)3月20日付で、横浜線の東神奈川 - 大口間の複線化が完成した。この際に東神奈川構内の配線変更が行われ、3番線が横浜線専用となった。これにより京浜東北線北行と同一プラットホームでの乗換ができるようになった[20]。 1985年(昭和60年)3月10日のダイヤ改正に際して、横浜線の輸送改善のためにそれまで2面3線であった当駅の配線を、2面4線化する改良工事が行われた。具体的には、2番線のあるプラットホームの海側に1番線を新設し、それまで約100 m新子安側にずれていた京浜東北線南行ホームを北行ホームとほぼ同じ位置に揃えるように工事を行った。この変更後、1番線が京浜東北南行、2番線と3番線が横浜線、4番線が京浜東北北行という配置になった。またこの工事に合わせて、国鉄で最初の電子連動装置の実運用が開始された[19][21]。 2013年(平成25年)3月16日付のダイヤ改正で、4番線が京浜東北線専用ホームから京浜東北線と横浜線の兼用ホームに変更になり、横浜方面から直通する横浜線の一部(平日のみ)が、4番線の発着となった(それ以前は臨時列車やダイヤ混乱時のみ横浜線の4番線発着があった)。そのため、誤乗防止の目的でラインカラーを点灯するインジケーター付のLED照明器具が導入された(運用開始は9月15日)[22]。 年表
駅構造10両編成対応の島式ホーム2面4線を有し、橋上駅舎が設置されている地上駅である。ホームは北東から南西に延び、東口および西口を持つ。改札とホームは南側から階段・エレベーター・上下各1台のエスカレーターで連絡しているほか、北側に乗換え専用の階段がある。 当駅の北方で京浜東北線の複線の内側から横浜線の複線が分岐し、高架で東海道・横須賀・京浜東北の各線を乗り越えていく。外側2線を京浜東北線、内側2線を横浜線が使用する。また、横浜線および京浜東北線・根岸線の車両基地として鎌倉車両センター東神奈川派出所が北東側に併設されている。 のりば番線は東から順に付番され、東側のホームに1・2番線、西側のホームに3・4番線を設置している。京浜東北線電車と横浜線電車で使用番線を分けているが、一部2番線から京浜東北線電車が発車する。
(出典:JR東日本:駅構内図)
発車メロディ1996年2月21日より、全てのホームで東洋メディアリンクス制作の発車メロディを使用していたが、2015年8月26日に、2・3番線のメロディをスイッチ制作のものに変更している。
駅構内設備改札内駅コンコースには、2~3店分の店舗用地が確保されている。 乗車券の区間外乗車の特例→「区間外乗車」も参照
当駅周辺には、3つの運賃計算の特例が設定されている。いずれも途中下車しない限り横浜駅 - 当駅間の折り返し乗車を認めるものであるが、いずれも別個の規定であり、適用範囲が異なっている。
以上を表にまとめると、以下のようになる。なお、以下の表の○は特例が適用されるもの、×は適用されないものである。そして、横須賀線経由としての特例が適用されるのは、新川崎駅・武蔵小杉駅・西大井駅で乗降する場合、あるいは武蔵小杉駅から南武線経由の場合のみである (※)。横須賀線で品川 - 鶴見間を乗り通す[注釈 5]と、経路特定区間により東海道線経由とみなされる。
利用状況2023年度(令和5年度)の1日平均乗車人員は33,583人である[JR 1]。横浜線の起点駅だが、利用者は少ない。この理由の一つは、当駅の隣の駅が横浜駅であるため、利用者の多くがそちらに流れるためである。ただし、当駅発着の横浜線電車利用客の大半は京浜東北・根岸線の横浜方面や川崎方面への乗換え客のため、ラッシュ時は特に混雑する。 1991年度(平成3年度)以降の推移は下記の通り。
駅周辺→「東神奈川」も参照
当駅は横浜市神奈川区の中心駅であり、公共施設なども周辺に集中している。 東口周辺はかなっくシティと呼ばれ、再開発が進んでいる。また、付近を走る京急本線の京急東神奈川駅が駅前にあり、両駅を結ぶペデストリアンデッキ(歩道橋、愛称「かなっくウォーク」)が整備されていて、乗換えが可能であるが、このペデストリアンデッキには屋根がない。なお、京急東神奈川駅(当時は仲木戸駅)との連絡運輸は従来実施していなかったが、2008年3月15日より定期券に限り開始することとなった。さらに、乗換駅であることをより分かりやすくするべく2020年3月に仲木戸駅は京急東神奈川駅に改称された。また、駅ビルのCIAL PLATが2009年10月7日に開業した。 周辺施設西口以前から歩道橋が整備されていたが、東口再開発と合わせてペデストリアンデッキに再整備、バスロータリーも整えられた。 周辺施設
バス路線
その他
隣の駅かつて存在した路線どちらの路線も1959年(昭和34年)4月1日廃止 脚注記事本文注釈出典
利用状況
参考文献
関連項目
外部リンク
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