海軍中佐海軍中佐(かいぐんちゅうさ、英語: commander)は、海軍の階級。海軍大佐の下、海軍少佐の上。 「コマンダー」の系譜イギリス海軍において、日本の「海軍中佐」(二等海佐)に相当する階級が「コマンダー」(commander)である[1]。これは階級制度が未発達で配置を基準として補職を行っていた時代のイングランド王国海軍において、艦長である「キャプテン」(後の海軍大佐)と、これを補佐する「レフテナント」(後の海軍尉官)とのあいだに生まれた配置を起源とし、後に配置と階級のヒエラルキーが整合されるようになっても、その時代の配置名がそのまま階級の呼称として残されたものである[2]。 初期ステュアート朝期の17世紀初頭の時点で、イングランド王国海軍の兵力の半分は民間船の徴用に依存しており[3]、共和制期には更に商船の軍艦転用が進められた[4]。これらの船は船長・船員とともに海軍に雇入れられたが、戦闘で損害を被っても海軍や国家による補償はない一方、船長たちは依然として船主に対して船の安全確保の責任を負わねばならなかったことから、極力危険を回避する傾向が強く、しばしば戦列を離脱して味方を危険に晒した[5]。この問題に対して、17世紀半ばからは熟練のレフテナントが雇入船に配されるようになったが、これらのレフテナントは指揮官(コマンダー)と船長ないし航海長(マスター)を兼ねることから当初はコマンダー・アンド・マスター、後に前後が逆転してマスター・アンド・コマンダーと称された[2]。 1674年、6等艦艦長の資格に、トリニティ・ハウスでのマスター試験に合格することが加わった[2]。1748年にセカンド・マスターが正式な階級となり、ノンポストシップにも配員されるようになると、マスター・アンド・コマンダーが航海専門士官を部下に持つことになることから「マスター・アンド」の部分が不要となり、1794年にこの部分を外して「コマンダー」という階級が制定された[2]。また1827年には、コマンダーは小型艦の艦長だけでなく大型艦の副長としても配置されるようになった[2]。なお、当初は陸軍少佐と同等の階級として扱われていたが[6] [注 1]、1912年にレフテナントのうち先任者が「レフテナント・コマンダー」として少佐と同等に扱われるようになると、コマンダーは中佐相当となった[2]。 なお階級制度への移行期にあたるナポレオン戦争期を扱ったホーンブロワーシリーズを翻訳するにあたり、「コマンダー」については、高橋泰邦は「海尉艦長」[10]、菊池光は「准海佐」という造語をあてている[11][注 2]。 また、1872年(明治5年)の海軍省刊本である英国海軍官名録や1881年(明治14年)の五国対照兵語字書では「准艦長」の語を充てている[13] [注 3]。 各国の例「キャプテン」との上下関係に由来するものを含めて、下記のような例がある。
「フリゲート艦長」の系譜イギリス海軍では、帆走フリゲートの艦長としてはポスト・キャプテン(後の海軍大佐)が補されていた[2]。これに対し、大陸ヨーロッパでは下記のように「フリゲート艦長」を意味する名称が海軍中佐に当てられている例が少なくない[22]。 各国の例
律令に由来する系譜日本その他の漢字圏北朝鮮軍は日本と同様の呼称である。 著名な海軍中佐日本
諸外国架空の海軍中佐脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
|