火刑法廷
『火刑法廷』(かけいほうてい、原題:The Burning Court )は、ジョン・ディクスン・カーが1937年に発表した小説。 カーの代表作のうちの1つであり、推理小説と怪奇小説を融合させた作品として、後述のとおり海外ミステリー作品ベストテン内に評価されることもある。第三者的ないわゆる「神の視点」から記述されるが、視点は主に編集者エドワード・スティーヴンスを追う。彼の隣人である弁護士マーク・デスパードの伯父マイルズ・デスパードを襲った不可解な事件を題材に、毒殺犯の消失、納骨室からの死体の消失という2つの不可能興味を扱う。 作品の評価
事件仮面舞踏会が開催された夜、マークの伯父マイルズは自宅で死んだ。初めは病死と考えられたが、砒素を飲まされたのではないかという疑いがもたれ、使用人の証言によって、マークの妻ルーシーに嫌疑がかかる。ところが、その証言は奇怪なもので、女の毒殺者が部屋から消失したように見えたというのである。殺人かどうか調べるため遺体を検(あらた)めようとしたところ、衆人環視の下に地下納骨室に葬ったはずの遺体が見つからなかった。 その遺体発掘に協力した1人、エドワード・スティーヴンスは、流行作家のゴーダン・クロスの新作の原稿を受け取ったところだった。その作品は17世紀フランスに暗躍した女性毒殺者を描いたもので、添えられていた毒殺魔の姿は驚いたことに妻・マリーにうり二つであった。このマリーにもまた毒殺の嫌疑がふりかかる。 事件の結末本作は同一の事件に対し、まず本格推理小説としての解決を行い、後にマリーを中心とした視点から、怪奇小説としてのエピローグを付けている[5]。地の文ではどちらが正解かは判らないように記述されており、前者をとれば後者はマリーの幼少期の経験によってもたらされた単なる妄想であり、後者をとれば前者は魔女仲間の手による煙幕に過ぎない。 推理小説的な犯人の1人とされる女性はニューヨークで堕胎した既往歴をもっており、それを執刀したマークの妹の元婚約者はアメリカ合衆国を追われる立場となった。当時の人工妊娠中絶への見方の一端が知られる。 推理小説的プロット物語の終盤にゴーダン・クロスが現れ、主に安楽椅子探偵的手法で、次のような解決を示す。 犯人はマークとその元愛人、ジャネット・ホワイトである。直接の犯人であるホワイトはマイラ・コーベットを名乗ってマイルズの看護婦として働いていた。殺人の動機は金銭欲と、マークの妻への当てつけである。マークは病死に見せ掛けて伯父を抹殺し金銭を得ることを目論んだが、ホワイトはそれに乗じて、ルーシーが毒殺者であるかのように偽装した。ここでは鏡と暗室のトリックと、看護婦が殺人者であるという盲点をついた心理トリックが組み合わされている。マリーに嫌疑がかかるような噂を流したのもホワイトである。 死体の消失は共犯者マークの仕業であり、ホワイトの犯行とレッドヘリングに気付いた彼が妻を有罪にしないために行った。納骨室に葬った際数分の隙を作り、棺から死体を取り出し大型の花瓶に入れておいた。簡単にあけることができる木の棺を用いることを不自然に見せないよう、怪奇小説的な要素を持ち込んだ。納骨室を検(あらた)める際にも巧妙に時間をつくり、死体を近くにある使用人の家に運び込んだ。 怪奇小説的プロット首謀はマリーである。マリーは自らを不死の魔女、毒殺魔ド・ブランヴィリエ侯爵夫人の生まれかわりだと考えている。ゴーダン・クロスはブランヴィリエ侯爵夫人の愛人の生まれかわりであり、マリーの嫌疑をはらすべく世俗的な解決を行った。黒ミサによる魔術的犯行(超自然的な方法で自ら毒殺したとも、ホワイトを操ったとも解釈できる)の動機は1つには自分の楽しみのため、もう1つには不死者の仲間を増やすことであるとしているが(不死者になるには有罪になる必要がある)、デスパード家は元はフランスにおり、火刑法廷でブランヴィリエ侯爵夫人を処刑したのもその家系の者であったことが暗示され、復讐も動機として匂わされている。まずはホワイトとマークを仲間にし、いずれは夫も仲間にしたいが、さすがに妻としての愛情があり、そちらは後回しにしている。 映像化作品映画
テレビドラマ
脚注
外部リンク
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