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この項目では、レーシングドライバーについて記述しています。その他の同名の人物については「田中実」をご覧ください。 |
田中 実(Minoru Tanaka, たなか みのる、1963年6月1日 - )は、京都府出身の元レーシングドライバー、実業家。血液型B型。
プロフィール
1982年、全日本F2最終戦のJAF鈴鹿グランプリをサーキットで観戦し、レースの世界に魅入られレーサーを志すきっかけとなった。1983年にFLB(フォーミュラ・リブレ)でレースデビュー。寝る間を惜しんでレース資金作りのためにアルバイトに明け暮れる生活を送る。その貯めた資金で片山右京が1984年鈴鹿FJ1600チャンピオンを獲得した車両(ERD83J)を購入し[1]、1985年のFJ1600クラスに10レース出場する。
1986年、新車ウエスト・86Jで参戦し、鈴鹿FJ1600A,Bと西日本FJ1600でシリーズチャンピオンを獲得し、FJ三冠王者となる[1]。
1987年、武者修行のためジュニア・フォーミュラカテゴリーが盛んなイギリスに渡る。現地のトムスGBのファクトリーで働きながらイギリスフォーミュラ・フォードに参戦を開始。1988年はイギリスFF1600エッソシリーズに参戦。
1989年からイギリスF3選手権にステップアップ、しかしF3初年度はポイント獲得できなかった。1990年にウエストサリー・レーシングに移籍し継続参戦。チームメイトはミカ・ハッキネンとクリスチャン・フィッティパルディだった。田中は開幕戦から初ポイント獲得に成功、第7戦スラクストンでは待望の表彰台を獲得する。イギリスF3ではハッキネンの他、ミカ・サロ、スティーブ・ロバートソン、リカルド・リデルらと同じレースで戦った。イギリスでの同年シーズン終了後帰国し、全日本F3000選手権の最終戦にスポット参戦しF3000デビューとなった。
1991年から1993年まで全日本F3000選手権に参戦。1994年はN1耐久シリーズ参戦。1995年は全日本GT選手権スポット参戦。1996年はスーパーN1耐久(旧N1耐久シリーズ)。1997年は全日本ツーリングカー選手権(JTCC)参戦。1998年は十勝24時間レース優勝。1997年から2004年は全日本GT選手権参戦。2005年からSUPER GTシリーズ(旧全日本GT選手権)参戦。2006年シーズン終了とともに現役を退いた。
レースの傍ら、自動車部品の製造・販売を行う「ミノルインターナショナル」を経営。『BILLION(ビリオン)』ブランドの名で主に冷却系パーツを中心に展開している。
2006年11月26日のトヨタモータースポーツフェスティバル(TMSF)を最後にレーサーを引退し、同フェスティバルは引退イベントとなった。
レース戦績
イギリス・フォーミュラ3選手権
全日本F3000選手権
全日本ツーリングカー選手権(JTC)
全日本ツーリングカー選手権(JTCC)
全日本GT選手権/SUPER GT
脚注
注釈
出典
- ^ a b 片山右京の走り屋対談レーサーヤローの輪ッ Vol.2 田中実の巻 Racing OnNo.022 122-125頁 武集書房 1988年2月1日発行
外部リンク
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