神吉 拓郎(かんき たくろう、1928年(昭和3年)9月11日 - 1994年(平成6年)6月28日)は、日本の放送作家、小説家、俳人、随筆家。日本文芸家協会、日本放送作家協会、各会員[1]。
東京府(現:東京都)麻布出身[1]。父は英文学者の神吉三郎。麻布中学、成城高等学校文科卒業。
1949年NHKに入り、トリローグループの一人として「日曜娯楽版」などの放送台本を執筆[1]。傍ら、雑誌のコラム、雑文、短篇小説などを手がける[1]。1968年放送の世界から引退、以後小説、エッセイに転じ、都会生活の哀愁を見事に描いた作品「私生活」によって、1984年第90回直木賞受賞[1]。
東京やなぎ句会にも参加し、俳号は「拓郎」、「尊鬼」。
経歴
- 1983年(昭和58年)- 『私生活』で第90回(1983年下半期)直木三十五賞を受賞
- 1984年(昭和59年)- 『たべもの芳名録』で第1回グルメ文学賞を受賞
著作
- 『男性諸君』(三一書房、1971年)のち文春文庫
- 『東京気侭地図』(文藝春秋、1981年)
- 『ブラックバス』(文藝春秋、1981年)- 直木賞最終候補作、のち文春文庫、のち『二ノ橋柳亭』として光文社文庫
- 『無着成恭の詩の授業』(太郎次郎社、1982年)
- 『ラグビーにトライ/ラグビー音痴に捧げる本』(野坂昭如と共編)(新星出版社、1983年)
- 『私生活』(文藝春秋、1983年)- 直木賞受賞作、のち文春文庫
- 『たべもの芳名録』(新潮社、1984年)のち文春文庫、のちちくま文庫
- 『タマに別れの接吻を』(自由書館、1984年)のち文春文庫
- 『笑う魚』(旺文社文庫、1984年)
- 『芝の上のライオンたち』(旺文社文庫、1984年)
- 『曲がり角』(文藝春秋、1985年)のち文春文庫
- 『明日という日』(文藝春秋、1986年)のち文春文庫
- 『私流 アゲイン』(日本経済新聞社、1986年)のち『たたずまいの研究』として中公文庫
- 『洋食セーヌ軒』(新潮社、1987年)、のち光文社文庫
- 『ベルトの穴』(毎日新聞社、1988年)
- 『夢のつづき』(文藝春秋、1988年)のち文春文庫
- 『食・味事典:漢字百話 食・甘・辛・鹵・香・皿の部』(大修館書店、1989年)
- 『フツーの家族』(文藝春秋、1989年)のち文春文庫
- 『おらんだ恋歌』(読売新聞社、1989年)
- 『みんな野球が好きだった』(PHP研究所、1994年)
- 『或る日のエノケン』(新しい芸能研究室、1994年)
- 『花の頃には』(文春ネスコ、1995年)
- 『友あり駄句あり三十年―恥多き男づきあい春重ね』(共著)(日本経済新聞社、1999年3月)
- 『神吉拓郎傑作選 1 珠玉の短編』、『2 食と暮らし編』大竹聡編、国書刊行会 2016年
脚注
- ^ a b c d e 日外アソシエーツ現代人物情報
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1930年代 - 1950年代(第1回 - 第42回) |
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1930年代 | |
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1940年代 |
- 第11回 堤千代『小指』他/河内仙介『軍事郵便』
- 第12回 村上元三『上総風土記』他
- 第13回 木村荘十『雲南守備兵』
- 第14回 該当作品なし
- 第15回 該当作品なし
- 第16回 田岡典夫『強情いちご』他/神崎武雄『寛容』他
- 第17回 山本周五郎『日本婦道記』(受賞辞退)
- 第18回 森荘已池『山畠』『蛾と笹舟』
- 第19回 岡田誠三『ニューギニヤ山岳戦』
- 第20回 該当作品なし
- 第21回 富田常雄『面』『刺青』他
- 第22回 山田克郎『海の廃園』
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1960年代 - 1970年代(第43回 - 第82回) |
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1980年代 - 1990年代(第83回 - 第122回) |
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2000年代 - 2010年代(第123回 - 第162回) |
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2020年代 - 2030年代(第163回 - ) |
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