窯神町(かまがみちょう)は、愛知県瀬戸市道泉連区の町名。丁番を持たない単独町名である。
地理
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。また、公立高等学校普通科に通う場合の学区は以下の通りとなる[11]。
歴史
町名の由来
1937年(昭和12年)に磁祖民吉の銅像が建てられた窯神神社がこの地にあることによって名付けられたとされる。
沿革
世帯数と人口
2024年(令和6年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[5]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年)
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135世帯 |
[14]
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2000年(平成12年)
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138世帯 |
[15]
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2005年(平成17年)
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130世帯 |
[16]
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2010年(平成22年)
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123世帯 |
[17]
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2015年(平成27年)
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114世帯 |
[18]
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2020年(令和2年)
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103世帯 |
[19]
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交通
鉄道
町内に鉄道は走っていない。最寄り駅は、名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅になる。
バス
町内にバスは走っていない。最寄りのバス停は、名鉄バス「しなの線(瀬戸北線)」【1】【1H】【2】【2H】【3】【4】系統、同「本地ヶ原線」【10】【36】【50】【51】【52】系統、同「東山線」【16】【16H】【17H】【18】系統、瀬戸市コミュニティバス「上之山線」の瀬戸駅前バス停になる。
道路
愛知県道207号定光寺山脇線 : 町の北端、背戸側町との境を南北に通っている。
施設
150 m
4
3
2
1
略地図
1
窯神神社
2
無風庵
3
忠魂碑
4
殉国慰霊塔
- 窯神神社 : 窯神社。1818年(文化11年)磁祖加藤民吉が製品の完成祈願の為、太宰府天満宮と火具土神を祀ったことに始まる。全国的に知られる「せともの祭」はこの神社の神事であり、民吉の命日にちなんで毎年9月の第2土・日曜日に開催されている[20]。
- 無風庵 : 近代美術工芸家・藤井達吉ゆかりの、茅葺き入母屋作りのギャラリー兼休憩所。藤井と弟子たちが共同工房として使用していた建物を、小原村(現豊田市)から移築[21]。
- 忠魂碑 : 日露戦争に従軍した水野甚蔵が戦友との約束に基き建設をしたもので、最初は瀬戸川と一里塚川との合流点に建てられ、その後記念橋駅の地点へ移り、さらに現在の位置に移転したという[22]。
- 殉国慰霊塔 : 1963年(昭和38年)に建立。毎年、8月15日には市の戦没者追悼慰霊式の一環として、慰霊塔の前に祭壇がしつらえられる[23]。
その他
日本郵便
脚注
出典
注釈
- ^ 昭和20年代に地区公園として窯神町・東安戸町・西谷町にまたがる12.1haで都市計画決定が行われているが、供用中なのは窯神グラウンドの1.5haのみで、整備率は12.4%という状況である(2021年現在)[9]。
- ^ グラウンド自体は、北隣の東安戸町内にある。
- ^ 隣接する旧水野村大字上水野(瀬戸市大字上水野)にも字安戸が存在した。読み方は旧瀬戸村が「やすと」で、旧水野村は「やすど」だった。
参考文献
- 瀬戸市 編『昭和17年1月9日施行 町名設定調書(其ノ一)瀬戸地区』瀬戸市、1942年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。
- 瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会 編『郷土史研25周年誌-瀬戸・尾張旭の寺社・街道・地名-』瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会、2020年。
関連項目
外部リンク
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廃止 | |
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注 | |
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