第4次吉田内閣(だいよじ よしだないかく)は、衆議院議員・自由党総裁の吉田茂が第50代内閣総理大臣に任命され、1952年(昭和27年)10月30日から1953年(昭和28年)5月21日まで続いた日本の内閣。
第4次内閣は大日本帝国憲法下での1900年(明治33年)に伊藤博文が明治天皇からの大命降下を受けて組閣した第4次伊藤内閣以来であり[1]、日本国憲法下では初めてであった。また、この後第4次内閣を組閣した内閣は長らく存在しなかったが、65年後の2017年(平成29年)に安倍晋三が第195回国会で首班指名を経て第4次安倍内閣を組閣した[1]
内閣の顔ぶれ・人事
国務大臣
内閣官房長官・副長官
政務次官
1952年(昭和27年)11月10日任命。
- 法務政務次官 - 押谷富三
- 外務政務次官 - 中村幸八
- 大蔵政務次官 - 愛知揆一
- 文部政務次官 - 広瀬与兵衛
- 厚生政務次官 - 越智茂: - 1953年(昭和28年)3月3日(罷免) /菅家喜六 :1953年(昭和28年)3月11日 -
- 農林政務次官 - 松浦東介: - 1953年(昭和28年)3月3日(罷免) /篠田弘作:1953年(昭和28年)3月5日 -
- 通商産業政務次官 - 小平久雄
- 運輸政務次官 - 木村公平
- 郵政政務次官 - 平井義一
- 労働政務次官 - 福田一
- 建設政務次官 - 三池信: - 1953年(昭和28年)5月14日
- 行政管理政務次官 - 中川幸平
- 自治政務次官 - 鈴木善幸
- 保安政務次官 - 岡田五郎
- 経済審議政務次官 - 小川平二
- 北海道開発政務次官 - 青山正一
概要
今日、バカヤロー解散として知られる吉田の発言があったのが、この内閣の時である。第25回衆議院議員総選挙の結果発足した内閣だが、この発言によりわずか半年余りで衆議院解散となった。
脚注
注釈
出典
関連項目
参考文献
外部リンク
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名前は内閣総理大臣、名前の後の数字は任命回数(組閣次数)、「改」は改造内閣、「改」の後の数字は改造回数(改造次数)をそれぞれ示す。 カテゴリ |