第81回全国高等学校サッカー選手権大会
第81回全国高等学校サッカー選手権大会は、2002年(平成14年)12月30日から2003年(平成15年)1月13日までの15日間にわたって行われた全国高等学校サッカー選手権大会である。 概要
日程
使用会場
レギュレーションの変更点
出場校
試合結果1回戦国立競技場(開幕戦)
駒沢陸上競技場
西が丘サッカー場
埼玉スタジアム2002
三ツ沢球技場
柏の葉公園総合競技場
千葉県総合運動場陸上競技場
平塚競技場
さいたま市駒場スタジアム
2回戦西が丘サッカー場
駒沢陸上競技場
埼玉スタジアム2002
平塚競技場
柏の葉公園総合競技場
千葉県総合運動場陸上競技場
三ツ沢球技場
さいたま市駒場スタジアム
3回戦駒沢陸上競技場
さいたま市駒場スタジアム
三ッ沢球技場
千葉県総合運動場陸上競技場
準々決勝駒沢陸上競技場
三ツ沢球技場
準決勝
決勝
得点王
大会優秀選手GK
DF MF
FW 2年生以下優秀選手DF MF FW ※選考合宿を行って、デュッセルドルフ国際ユース大会に参加する日本高校選抜を編成した。 大会記録
主な出場選手
岡山県予選決勝2002年11月10日高校選手権岡山県大会決勝、水島工業高校-作陽高校戦の1-1で迎えた延長前半、作陽2年青山敏弘のシュートがゴールに入りVゴールが決まったかに思われた。この際、ゴール内のポールにボールが当たり、外に出てきたのを水島工GKがキャッチした。これを見た主審は副審に確認せずインプレーと勘違いし、ノーゴールと判定した。その後PK戦までもつれ5-3で水島工が勝利し優勝、全国への切符をつかんだ。 負けた作陽側は主管の岡山県高校体育連盟に抗議するものの判定は覆らず、勝った水島工側もサッカー部内で本大会出場するか辞退するかで割れ、本大会前に水島工のエースストライカーが退部するなど両者に暗い影を落とした[5][6][7]。世間は作陽を擁護する一方で、水島工は誹謗・中傷され本大会への移動の際には護衛がついた[7]。再試合を要求する声も出たが日本サッカー協会(JFA)は同年11月14日の理事会でこれを誤審と認めた[7] ものの、主管の判断を尊重し結果を覆さなかった。これらを重く見た川淵三郎JFA会長は、全国選手権開会式の際に水島工を訪れ一連の騒動を謝罪した[5][6]。 それから10年後にあたる2012年12月15日、遺恨解消を目的として両校関係者による再試合が行われている[7][8][9]。さらに12年が経過した2024年には当時サンフレッチェ広島に所属していた青山がプロサッカー選手から現役引退したことを受け、同年12月22日に再びOB戦が行われ、青木が主審を務めた[10]。 脚注
関連項目外部リンク
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