高川学園高等学校・中学校
高川学園高等学校・中学校(たかがわがくえんこうとうがっこう・ちゅうがっこう)は、山口県防府市大字台道に所在し中高一貫教育を提供する私立高等学校・中学校である。設置者は学校法人山口高川学園。旧称は多々良学園高等学校(たたらがくえん こうとうがっこう)。 概要前身は1878年(明治11年)に吉敷郡山口町(現在の山口市)に創立された曹洞宗山口専門学支校。曹洞宗の西日本における教化・僧侶養成機関としての役割を果たしていた。 1948年(昭和23年)、新制高等学校制度の施行に伴い多々良学園高等学校に改称。1956年、独立の学校法人に改組。普通科全日制の男子校として整備された。多々良学園高等学校となってからも理事の過半数は曹洞宗の僧侶によって占められ、曹洞宗の僧侶養成機関としての機能を引き続き有した。仏教専修科に所属し、規律に従った寮生活を送った生徒は、僧堂におけるものに準ずる修行歴を取得した。 2004年、防府市台道へ校地を移転し男女共学となったが、移転に伴う資金計画に問題があり、経営難に陥る。2005年に私立高等学校を経営する学校法人としては初めて民事再生法の適用を申請し、徳島市を拠点に予備校を経営するタカガワが再建者となり、経営を譲渡された。2006年9月、現在の法人名、校名に改称した。 スポーツに力を入れており、全国高等学校サッカー選手権大会・全日本バレーボール高等学校選手権大会の常連校として知られる。野球部も春夏の甲子園に出場経験がある。 沿革
校歌先代の多々良学園の校歌は当時学校長であった田中俊英が作詞、山口県出身の作曲家大村能章によって作曲された。当時は「灯燈」「御堂」など仏教に関わる言葉が随所に使用されていた[1]。 現在の高川学園の校歌は、大村作曲のメロディーはそのままに理事長の高川晶によって新たな歌詞が作られた。 設置形態
著名な部活動サッカー部サッカー部は1946年創部。 同校サッカー部出身であった白井三津雄が1983年に監督に就任。1992年から2007年まで15年連続で全国高等学校サッカー選手権大会(選手権)に出場し、全国高校サッカー選手権の強豪校となった。2008年に同校を退職。 2013年より同校出身である江本孝が監督に就任。2017年より「大事なチームの一員であることを自覚させ、社会人として必要なことを身に着けるため」と全国でも珍しい部署制を導入。現在では分析部・強化部・道具部・審判部・グラウンド部、広報部・おもてなし部・農業部・生活部・総務部など10の部署に分かれて活動している。 第100回全国高等学校サッカー選手権大会の県大会から、セットプレー時にペナルティーエリア付近で5人が手を繋いで輪を作り回転することで、相手の守備をかく乱させる「トルメンタ[注 1]」と呼ばれるプレーを考案、披露し日本中のみならず世界でも注目された[2]。 硬式野球部野球部は1911年創部で、同校部活動の中で最も歴史が古い。 夏の甲子園は、2016年(第98回)と2021年(第103回)の2回出場。 2021年夏(第103回)では、1回戦で小松大谷高校(石川)に7×‐6でサヨナラ勝ちし甲子園初勝利を果たす。また、天候不良により第1試合の開始時刻が定刻よりも3時間遅れた影響もあって、試合開始時刻が19時10分、試合終了時刻が21時40分となった。これは2024年現在夏の甲子園で試合開始時刻及び試合終了時刻の最遅記録となっている[3]。 バレーボール部男子バレーボール部は、全日本バレーボール高等学校選手権大会に7回連続出場の常連校。 インターハイは9回出場。 山口県チームとして、鹿児島県で開催された2023年燃ゆる感動かごしま国体では高川学園単独で出場し優勝。 施設
著名な出身者
関連する人物
脚注注釈出典
関連項目
外部リンク |