数学において写像の終域(しゅういき、英: codomain; 余域)あるいは終集合(しゅうしゅうごう、英: target set)は、写像を f: X → Y と表すときの集合Y、すなわち写像 f の出力する値がその中に属するべきという制約を定める集合をいう。終域の代わりに「値域」という語を用いる場合もあるが、値域は写像の像(出力される値すべてからなる集合、f: X → Y で言えば f(X))の意味で用いることが多いので注意すべきである。
定義と注意
写像(函数)を Bourbaki (1954) の意味で定義するのであれば、終域は写像 f の構成要素として含まれる[1]。写像 f とは三つ組(X, Y, F) であって F が直積集合X × Y の函数的部分集合(すなわち函数関係)[2]かつ F に属する順序対の第一成分の成す集合(すなわち定義域)が X に一致するものをいう。このとき集合 F はこの写像のグラフと呼ばれ、またこの定義における集合 Y を終域という。x が写像 f の定義域 X の元を亙るとき、f(x) の形に書ける元全てからなる集合を f の値域と呼ぶ。一般に値域は終域の部分集合であって、従って一般には両者は一致しないことが起こり得る。一致する場合(すなわち全射)でないならば、終域に属する適当な元 y に対して、方程式 f(x) = y は解を持たない。
ブルバキはまた別な定義として、「写像」を単に函数的グラフそのものと定め[3]、これはまた広く用いられている定義である[4]が、これには終域が定義として含まれない。例えば集合論において、定義域 X が真の類であることを許す方が望ましいという場合には、三つ組 (X, Y, F) といったものは厳密な意味では存在しないため定義に用いるには不適当だが、グラフによる定義ならば自然である。ただ、文献によっては f: X → Y という見かけ上終域に言及する形で写像を導入していながら、その後は暗黙にこの終域を含めない定義を用いる場合もあるので注意が必要である[5][6][7][8][9]。
値域と終域
例 1
函数
を「元の対応」
によって定義するとき、f の終域は R だが、f は任意の負の数に写る元を持たない。然るに f の値域は非負の数全体 R≥0(R+ 0, 無限半開区間[0, ∞) などとも書く)である。
別な函数 g を
と定める。f と g は与えられた x をまったく同じ数に写すけれども、終域を重視する立場では、終域が異なるから同じ函数とは考えない。このことが意味のある区別であることを見るために、もう一つ函数 h を
このとき f の値域はほかで特に言及するのでなければ(R の部分集合であることだけが分かっているが)未知であるから、h ∘ f が有効であるかどうかも未知である。つまり、h を f と合成するとき、h が値を定義されていない引数(つまり平方根函数(英語版)h の定義域に属さない負の数)を f から受け取る可能性がある。その意味で、写像の合成は合成の右側に来る写像の終域が左に来る写像の定義域に一致する場合のみ有効な概念である(つまり右側の写像の「値域」ではいけない、というのは写像ごとに値域がどうなるかは異なるし、それは合成するという話の段で未知ということが起こり得るから)ということができる。
終域は、写像が全射か否かということにも関係する。つまり写像が全射であるための必要十分条件はその終域と値域が一致することである。先の例で言えば g は全射であり f はそうでない。一方、写像が単射か否かには終域は何も関係しない。