芝博一
芝 博一(しば ひろかず、1950年〈昭和25年〉4月21日 - )は、日本の政治家。立憲民主党三重県連顧問[1]。 参議院議員(3期)、内閣総理大臣補佐官(菅直人第2次改造内閣)、内閣官房副長官(野田第3次改造内閣)、参議院内閣委員長、参議院懲罰委員長、参議院行政監視委員長、民主党総務委員長、民進党幹事長代理、旧立憲民主党参議院国会対策委員長、社団法人鈴鹿青年会議所理事長(第18代)、三重県議会議員(3期)等を歴任。 来歴三重県名張市生まれ。皇學館高等学校、皇學館大學文学部国文学科卒業。大学卒業後はナショナル証券(現・SMBC日興証券)に勤務した[2]。その後、鈴鹿市の椿大神社に婿入りする形で神職として奉職。1985年に鈴鹿青年会議所理事長に就任[3]。1990年より椿大神社椿会館館長を務める[2]。 1995年、三重県議会議員選挙に鈴鹿市選挙区から出馬し、初当選。以後、三重県議を2004年まで3期9年務める。県議時代は旧新進党の流れを汲む新政みえに所属し、幹事長も務めた。 参議院議員に初当選2004年、第20回参議院議員通常選挙に民主党公認で三重県選挙区から出馬し、当選[2]。 2010年の第22回参議院議員通常選挙で再選[2]。2011年1月、菅直人第2次改造内閣で内閣総理大臣補佐官(政治主導による政策運営及び国会対策担当)に任命される[2]。同年9月、野田内閣の発足に伴い内閣総理大臣補佐官を退任し、参議院内閣委員長に就任した。 2012年10月、長浜博行内閣官房副長官の入閣に伴い、野田第3次改造内閣で内閣官房副長官に任命された。同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で民主党は議席を「231」から「57」に減らし、野田佳彦代表は同日夜、引責辞任を表明[4]。野田の辞任に伴う代表選挙(12月25日投開票)では馬淵澄夫の推薦人に名を連ねた[5]。 2016年参議院議員選挙三重県選挙区は2013年の参院選で現職の高橋千秋が自民新人の吉川有美に敗れ落選。それから3年後の2016年3月5日、安全保障関連法の廃止運動を行う学生組織「SEALDs TOKAI(シールズ東海)」は、この年の同選挙区での4野党共闘を目指し、民主党、維新の党、日本共産党、社会民主党の各党三重県代表者を集めた初の意見交換会を津市内で開いた[6]。同年4月7日、「シールズ東海」「安全保障関連法に反対する学者の会」「平和と自由 ケサラ」「安保関連法に反対するママの会@伊勢志摩」「三重弁護士会」の5団体の有志は、安保法反対や会見阻止に賛同する立候補予定者を支援するため、「市民連合みえ」を設立した[7]。5月23日、民進党、共産党、社民党と「市民連合みえ」は、県庁で会見し、芝を野党統一候補として擁立することを発表した。これに伴って共産党は候補予定だった釜井敏行を取り下げ、比例区に回した[8]。 同年7月、第24回参議院議員通常選挙に民進党公認で野党統一候補として出馬[9]。岡田克也代表が同選挙区で敗北した場合次期代表選への不出馬を表明する中[10]自民党公認の山本佐知子を破り3選した[11]。 2017年7月27日、民進党代表の蓮舫が、同月の東京都議会議員選挙の結果を受けて辞任を表明[12]。蓮舫の辞任に伴う代表選挙(9月1日投開票)では枝野幸男の推薦人に名を連ねた[13]。 2018年、民進党と希望の党が合併して新党を作る構想に反対し、民進党三重県連を地域政党『三重新政の会』に移行し自身が代表に就任した[14]。国政においては民進党と希望の党の合流新党である国民民主党への参加を拒んだ無所属議員らと共に院内会派『民友会』を設立し、立憲民主党との統一会派となった。5月19日に三重新政の会会長を退任[15]、7月28日には新政の会は『三重民主連合』に移行し、同党の顧問に就任した[16]。10月23日、立憲民主党の参議院会派の国会対策委員長に就任[17]。12月25日に立憲民主党に入党した[18]。 2021年11月、翌年7月の第26回参議院議員通常選挙に立候補せず政界を引退する意向を示した[19]。 政策・主張
人物
所属団体・議員連盟脚注
関連項目外部リンク
|