菅野昭夫
菅野 昭夫(かんの あきお、1950年1月1日 - )は、日本の元騎手。 来歴1969年3月1日の東京第8競走5歳以上200万下・イーグルロック(15頭中8着)で初騎乗[1]を果たし、8月16日の新潟第9競走4歳未勝利・イーグルツバメで初勝利[2]を挙げる[3]。1年目の同年は2勝に終わったが、2年目の1970年には初の2桁勝利となる10勝を挙げ、3年目の1971年は11勝、1972年は福島・新潟で6勝ずつの12勝[4]と3年連続2桁勝利を記録[5]。 1970年には秋の新潟戦で10月3日に初の1日2勝[6] [7]を記録するなど10勝中6勝[8]をマークし、1971年には2月20日・21日の中山で初の2日連続勝利[7]、1972年には10月21日の新潟で初の1日3勝[9]を記録。 1973年は7勝[5]に終わったが、7勝中4勝は秋の新潟で挙げ[10]、10月27日の新潟第2競走3歳未勝利では10頭中10番人気のコザンで勝利し単勝38160円、枠連35620円の大波乱を呼んだ[11]。 1974年には秋の福島で6勝[12]を挙げるなど、2年ぶりの2桁となる10勝をマークし、同年から1978年まで5年連続2桁勝利を記録[5]。 1976年にはジャンボキングで東京優駿に騎乗し[13]、1978年には自己最多の19勝[5]をマーク。 1979年と1980年は2年連続で9勝と2桁に届かなかったが、1981年には3年ぶりの2桁となる15勝をマークし、1983年まで3年連続2桁勝利を記録[5]。 1985年秋からは春のデビュー2戦で手綱を執ったトレードマークに嶋田功からの乗り替わりで再び騎乗し、菊花賞でミホシンザンの5着、続くステイヤーズステークスでは2着に入る[14]。1986年のダイヤモンドステークスでロンスパークとカネクロシオを抑えて人馬共に唯一の重賞勝利[14] [15]を挙げ、同年には3年ぶりで自身最後の2桁となる14勝[5]をマーク。 1987年は6勝、1988年は3勝、1989年は7勝であったが[5]、3年間で挙げた16勝の内、9勝を新潟、6勝を中京で挙げた[16] [17][18]。 1991年は福島3勝・新潟2勝[19]の計5勝を挙げ、1992年3月22日の中山第1競走4歳未勝利をカオリローマンで逃げ切ったのが最後の勝利となり、同馬に騎乗した4月26日の東京第11競走スイートピーステークス(18頭中16着)を最後に引退[20]。 騎手成績
脚注
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