貴族院議長 (日本)
貴族院議長(きぞくいんぎちょう)は、大日本帝国憲法に基づき設置されていた日本の帝国議会の両院制を構成する貴族院(上院)の議長である。 日本国憲法施行後は、帝国議会に代わる国会において下院である衆議院は維持されたが、貴族院は廃止され上院として参議院が設置され、参議院議長(さんぎいんぎちょう)が後継役職となった。 概要帝国議会における貴族院の議長及び副議長は、議院の意思によらず、内閣の輔弼により天皇から勅任されることとなっていた[1]。任期は7年。任期の定めのある議員の場合は議員としての任期の期間、その職に就くこととなっていた[2]。仮議長は、議長及び副議長の両者共に身体の故障等のある際に議院において選挙された[3]。
歴代貴族院議長
歴代最長議長:4.5.6.7.8代徳川家達(10780日)(1903年12月4日-1933年6月9日) 歴代貴族院副議長
歴代貴族院仮議長
記録最年少就任記録は近衛篤麿の33歳、最長在任記録は徳川家達の29年6ヶ月。いずれも衆議院議長・参議院議長も含めた最年少・最長記録である。 親子二代で議長を務めたのは近衛篤麿・文麿と徳川家達・家正の二組。これも衆議院議長・参議院議長には例がない(三権の長としては内閣総理大臣を親子二代で務めた福田赳夫・康夫の例や最高裁判所長官を親子二代で務めた寺田治郎・寺田逸郎の例がある)。 貴族院議長になった内閣総理大臣経験者は初代伊藤博文、貴族院議長退任後内閣総理大臣になったのは伊藤と近衛文麿。 上記一覧のとおり、歴代の貴族院議長はいずれも華族議員で、勅選議員など非華族からの議長就任はなかった。また、勲功華族出身者の議長も初代の伊藤だけで、残りは皆公家・大名の出身である。そのほとんどが公爵であり、侯爵として蜂須賀茂韶、伯爵としては初代の伊藤(後に公爵に陞爵)と松平頼寿があるだけで、時代を経て「正副議長は侯爵以上」という慣例が成立する中で副議長から議長へと進んだ松平は異例とみなされていた。 脚注 |