車内広告車内広告(しゃないこうこく)とは、鉄道やバス、タクシーなどの公共交通機関の車両内にある広告。 通路に沿って吊り下げる横長の長方形の紙による吊り広告(中吊り広告)や、窓上、ドア横、つり革などに広告スペースが設定されていて、交通機関事業者から期間単位で、広告枠として販売されている。近年では、動画を組み込んだデジタルサイネージもある。 歴史日本では1878年(明治11年)3月11日に、鉄道局によって児玉少介の乗り物酔止薬「鎮嘔丹」の広告が交通広告第1号として列車内への掲出が許可された[1][2]。これは車内の「まど上」広告と見られ、つり下げられる「中づり」広告は1879年(明治18年)頃、馬車鉄道に初登場した[3]。 1890年(明治23年)の外報では、フランスにおいて鉄道列車内の広告を特権的に扱う大会社が組織され、間もなく営業が開始されることが報告されている[4]。 1894年(明治27年)頃の日本の車内広告の料金は、半紙版1日30銭から大きさ・期間によって27円を超えるものまでさまざまあった[5]。交通広告は1897年から1906年頃の明治30年代半ばから広告媒体として評価を高め、地位を確立した[3]。 鉄道省の鉄道有料広告は1910年(明治43年)よりはじまったが、風致を害するという理由などで1924年(大正13年)8月末限りで廃止されていた。しかし、不況により鉄道収入が減少したため、その対策として1927年(昭和2年)9月より再開されることになった[6]。 車両による形態鉄道車両
バス車両
吊り広告車両通路中央の天井部から吊り下げられている[7][8]。材質は薄い紙である場合が多く、通常表面は平らであるが、ぬいぐるみ[11][12]や製品の模型[13]のような立体物を貼り付けるなど、工夫を凝らしたものもある[14]。 西武40000系電車のようにデジタルサイネージ化しているものもある[15]。一方、保有車両が数両の私鉄では、手描きの吊り広告も存在する[16]。 その前にものが置かれて見えなくなるということがないため、窓上額面ポスター(網棚の向こうにある広告)と比べて優位性がある。 中吊り広告は張り替えの頻度が高い。そのため、情報が頻繁に入れ替わる業態、すなわち定期的に刊行する雑誌や新聞、また季刊セールや限定フェアが多い百貨店などの広告が多く見られる。ビジネス客を狙ったビジネス本、自己啓発、週刊誌等の広告も多い。 阪急電鉄では、週刊誌の広告が掲出されていない。これは、週刊誌の広告に関し公共交通機関である電車にふさわしくない内容が含まれる場合があっても、広告の内容を個別にチェックすることができないため、週刊誌と一切契約していないからである[17][18]。 2021年、『週刊文春』は8月26日発売号を最後に首都圏の電車向けの中吊り広告を廃止すると発表した[19]。『週刊新潮』も東京メトロに掲載している中吊り広告を2021年9月30日発売号を以て終了することを発表した[20]。『週刊ポスト』は2015年に『週刊現代』は2017年にそれぞれ中吊り広告を終了しており、『週刊新潮』の中づり終了により、実売部数上位の主要週刊誌4誌の中吊り広告は姿を消すことになる[21]。 週刊誌の中吊り広告終了の理由としては、週刊誌自体の需要減退に加え、車内でスマートフォンを見る乗客が増え広告を見なくなったり、読者層が高齢化して退職し電車を利用しなくなったことが挙げられている[22]。 照明付き広告帝都高速度交通営団(営団地下鉄)では1968年(昭和43年)に千代田線向けに試作した6000系1次試作車において、当時海外の地下鉄で使用していた厚紙による窓上額面ポスターを、アクリル天井板の裏側から照明(蛍光灯)で照らして目立たせる「照明付き広告」(照明広告)を試作した[23]。同時期に製造した銀座線用の1500N形にも正式採用した[24]。 しかし、静電気によるホコリ付着や期待したほどの効果がなかったことから[23]、6000系1次試作車は営業運転開始前に、1500N形は後年に撤去している。 メディアライナー電車などで車内広告をすべて一社で独占する形態はメディアライナー(広告貸切電車)などと呼ばれる[7]。中吊り広告のみ一社のクライアントが独占する形態もある[8]。 ギャラリー
脚注出典
関連項目Information related to 車内広告 |