青山 忠雄(あおやま ただお)は、江戸時代前期の大名。遠江国浜松藩2代藩主。官位は従五位下・和泉守。青山家宗家12代。
略歴
慶安4年(1651年)、のちの浜松藩初代藩主(当時は信濃国小諸藩主)青山宗俊の次男として信濃国小諸城で誕生した。
寛文3年(1663年)12月28日に従五位下・和泉守に叙位・任官する。延宝7年(1679年)、父が死去したため家督を継いだ。
貞享2年(1685年)8月8日に死去。享年35。跡を弟で養子の忠重が継いだ。
系譜
- 父:青山宗俊(1604年 - 1679年)
- 母:石橋氏
- 正室:真田信政の娘
- 養子
青山家 浜松藩2代藩主(1679年 - 1685年) |
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桜井松平家 |
- 松平忠頼1601-1609
- 殺害され、養子も認められず改易
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水野家 | |
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高力家 | |
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大給松平家 | |
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太田家 | |
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青山家 | |
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本庄松平家 | |
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大河内松平家 | |
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本庄松平家 | |
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井上家 | |
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水野家 | |
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井上家 | |
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