高根町
2004年(平成16年)11月1日、高根町を含めた北巨摩郡7町村が合併して北杜市が発足し、高根町は廃止された。 地理![]() 地形高根町は山梨県の最北端に位置している。八ヶ岳連峰の南麓にあり、八ヶ岳連峰の最高峰である赤岳(標高2899メートル)の山頂は高根町と長野県茅野市と長野県南佐久郡南牧村にまたがっている[1]。
隣接していた自治体歴史先史時代清里丘の公園が建設された際には遺跡の調査も行われ、旧石器時代の丘の公園内遺跡群が発見されている[2]。縄文時代の遺跡は高根町の全域に分布しており、特に八ヶ岳の南麓は縄文遺跡が豊富なことから「縄文の回廊」と呼ばれている。その一方で、その後の弥生時代、古墳時代、奈良時代の遺跡は極めて少ないとされる[2]。 古代大和朝廷の時代、この地域は巨麻郡(後の巨摩郡)の逸見郷(へみごう)に属していたとされる[2]。古くから甲斐国は名馬の産地として知られており、その貢上馬は京で「甲斐の黒駒」と称えられた。平安時代には甲斐国の3か所に御牧(朝廷の直轄牧場)が置かれたが、柏前牧は現在の高根町念場原付近だったとする説が最有力である[2]。紀貫之は逸見郷などの御牧を「都まで なづけて索くは をがさ原 へみの御牧の 駒にゃ有るらむ」と詠んでいる[2]。 中世鎌倉時代以後の荘園制の時代、この地域は逸見荘に属していた[2]。源義光(新羅三郎義光)を祖とする甲斐源氏は逸見荘を発祥地としている[2]。源義清や源清光らがこの地域に館を構え、源清光は谷戸城を築いて逸見荘を治めた[2]。源清光の子である逸見光長は逸見氏の祖である[2]。 戦国時代、後の高根町域の大部分は熱那庄に含まれていた[2]。天正17年(1589年)には徳川家康の下で伊奈熊蔵による検地が行われ、国中地方3郡の行政区画(九筋二領)が定められたことで、この地域は逸見筋に属した[2]。 近世江戸時代のこの地域には北巨摩郡樫山村、浅川村、長沢村、村山北割村、堤村、箕輪村、箕輪新町、村山東割村、村山西割村、蔵原村、小池村、五町田村、上黒沢村、下黒沢村の14か村があった[2]。文化11年(1814年)に成立した『甲斐国志』によると、石高は計5,736.512石、戸数は計1,317戸、人口は計5,189人だった[2]。 近現代1871年(明治4年)に廃藩置県が行われると、この地域は山梨県に属することとなった[2]。 行政区分の変遷
行政歴代町長
姉妹都市
教育![]() 小学校高根町には筑波大学附属小学校清里若桐寮があった。 中学校交通![]() 鉄道施設
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
出身・関連著名人出身者
居住者
関連項目脚注参考文献
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