齋藤鶴吉齋藤 鶴吉(さいとうつるきち、1933年1月[要出典] - )は日本のチェロ奏者(チェリスト)、音楽家、音楽活動家。NHK交響楽団団友、横浜室内楽協会代表、一般社団法人横浜音楽文化協会特別顧問。妻は横浜市助役を務めた齋藤龍[1]。 来歴東京に三兄弟の末子として生まれる。長野県大町高等学校を卒業。[要出典] 9歳年長の次兄で作曲家の筆名斎藤高順(本名齋藤孝順)[2]の影響でチェロを始め、堀内静雄、広田幸夫、吉田貴壽、小沢弘に師事。[要出典] 1957年に東京芸術大学音楽学部器楽科を卒業。海野義雄らと、アカデミー弦楽四重奏団を結成。絶大な人気を博し全国で華々しい演奏活動を行う。[要出典] 1958年、東京芸術大学音楽学部音楽専攻科修了。旧姓渡邊龍と結婚。[要出典]横浜市磯子区に居住を始める[1]。NHK交響楽団に入団。併行して、アルス弦楽四重奏団、オルビス弦楽四重奏団、古典音楽協会、のチェリストとして活動[要出典]。 1978年、地元横浜に根ざした演奏活動を志向し、植村泰一、齋藤龍と 横浜室内楽協会を設立する[要出典]。「横浜室内楽シリーズ」横浜美術館に於ける「東西の風シリーズ」など33回のコンサートに対し、1991年に、第40回 横浜文化賞を横浜室内楽協会として受賞した[3]。 プロデュースと演奏において、1980年頃から2000年頃にかけて、横浜市磯子区主催「N響メンバーによる磯子コンサート」全20回、NHK横浜放送局「NHK横浜室内楽」のプロデュースと演奏、近郊都市や地域における「N響メンバーによるコンサート」のために、地域での活動をおこなった。[要出典] 1988年、横浜音楽文化協会を設立[4]。初代会長に山田一雄を迎える[要出典]。 1989年、NHK交響楽団を定年(55歳)で退職[5]。 1993年、横浜音楽文化協会会長に就任。「ヨコハマ・ワーグナー祭」「よこはまマリンコンサート」など継続事業の基礎をつくる。[要出典] 昭和音楽大学、尚美学園大学 及び 尚美ミュージックカレッジ専門学校 の前身「尚美高等音楽学院」「尚美音楽短期大学」「東京コンセルヴァトアール尚美」「尚美学園短期大学」「専門学校 東京コンセルヴァトアール尚美」「専門学校東京ミュージック&メディアアーツ尚美」講師を務めた[要出典]。 このほか、全日本高等学校吹奏楽大会in横浜(第1回 - 第6回)や、東京国際ギターコンクール、日本ハープコンクールの審査員(ハープコンクールについては審査委員長も)を務めた[要出典]。 特製チェロイタリアの弦楽器名工 マリノ・カピキオーニに、恩師の吉田貴壽を介して特注、直接書簡を交わしながら、1960年に齋藤のためのチェロが製作された[6]。 CD
脚注
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