第34回インターナショナル500マイル・スィープステークス (34th International 500-Mile Sweepstakes) は1950年5月3日(火)にインディアナポリス・モーター・スピードウェイで開催された。本レースは1950年のAAAナショナル・チャンピオンシップ・トレイルの1戦として開催された。また、1950年のF1世界選手権の第3戦としても行われ、世界選手権ポイントが与えられた。しかしながら、ヨーロッパからのエントリーは無かった。ジュゼッペ・ファリーナは当初よりエントリーの予定であったが、彼の車は到着しなかった。インディ500は1960年まで世界選手権に組み込まれた。
レースは当初200周で予定されたが、雨のため138周で終了した。
ジョニー・パーソンズのチームがエンジンブロックに修復できないひびを発見したという噂がレースの間とレース後に広まった。そして、それはラップリーダー賞を狙っていたパーソンズの勢いを落ち込ませた[1]。さらにまた、エンジンが壊れる前に雨でレースが終了したことは、おそらくパーソンズが勝利を確保するのを許し、彼の1日を節約することになった。しかしながら、エンジンブロックのひびは都市伝説であることが後に証明された[2]。
パーソンズは勝利し9ポイントを得たことで、初代世界チャンピオンの座に向かって争うジュゼッペ・ファリーナ、ファン・マヌエル・ファンジオとポイントで並んだ。また、世界選手権で優勝した初のアメリカ人となった。インディ500はパーソンズにとって1950年のF1世界選手権唯一のレースであったにもかかわらず、ランキング6位になるに十分なポイントが与えられた。
レース開催月を通して、クラーク・ゲーブルとバーバラ・スタンウィックが映画「スピード王」の撮影のためサーキットに留まった。スタンウィックは勝者に対する伝統的なお祝いのキスを行うため、レース後のヴィクトリーレーンに待機していた。
決勝
注
予選
予選落ち
第3戦終了時点でのランキング
- 注:トップ5のみ表示。ベスト4戦のみがカウントされる。
放送
ラジオ
レースはミューチュアル・ブロードキャスティング・システム、後のIMSラジオネットワークによって実況中継された。放送はパーフェクト・サークル・ピストンリングの提供でビル・スレーターが中継した。シド・コリンズがレポートを担当し、レース終了後の勝利者インタビューを行った。放送はスタートとフィニッシュ、レースの間中生中継を行った。
レースの前、病気のためスレーターが出演できないかもしれないと伝えられた。WIBCのパーソナリティであるシド・コリンズが代役として指名されたが、スレーターはレース当日に間に合った。コリンズは以前にレポーターを務めていたが、ブースの共同アンカーを担当した[3]。コリンズは史上初めてヴィクトリーレーンで優勝者インタビューを行った。インタビューは雨の中行われたが、コリンズはパーソンズの車の熱くなったエキゾーストパイプでズボンを燃やしてしまったとされる。
テレビ
レースはインディアナポリスのローカルテレビ局、WFBM-TVで2年連続で生中継された。アール・タウンゼントジュニアがアナウンサー、ディック・ピッテンジャーとポール・ロバーツが解説。レース後、スピードウェイ側はゲート・アテンダントが否定的に伝えられたことからWFBMに対して再放送を許可しなかった。
WFBM-TV
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実況 |
ピットレポーター
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実況:アール・タウンゼント, Jr
解説:ディック・ピッテンジャー
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ポール・ロバーツ
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参照
外部リンク