1972年の野球(1972ねんのやきゅう)では、1972年の野球界における動向をまとめる。
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
日本シリーズ
1972年 日本シリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
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10月21日(土) |
第1戦 |
阪急ブレーブス |
3 - 5 |
読売ジャイアンツ |
後楽園球場
|
10月22日(日) |
第2戦 |
雨天中止
|
10月23日(月) |
阪急ブレーブス |
4 - 6 |
読売ジャイアンツ
|
10月24日(火) |
移動日
|
10月25日(水) |
第3戦 |
読売ジャイアンツ |
3 - 5 |
阪急ブレーブス |
阪急西宮球場
|
10月26日(木) |
第4戦 |
読売ジャイアンツ |
3 - 1 |
阪急ブレーブス
|
10月27日(金) |
第5戦 |
雨天中止
|
10月28日(土) |
読売ジャイアンツ |
8 - 3 |
阪急ブレーブス
|
優勝:読売ジャイアンツ(8年連続16回目)
|
個人タイトル
ベストナイン
ダイヤモンドグラブ賞
オールスターゲーム
高校野球
大学野球
社会人野球
メジャーリーグ
できごと
1月
3月
4月
5月
- 5月3日 - 阪急ブレーブスの福本豊が西宮球場での対東映4回戦でパ・リーグ新記録となる1試合5盗塁を記録[18]。
- 5月4日 - ロッテの西田孝之が東京球場での対南海5回戦の6回表に得津高宏に変わって右翼の守備につき、プロ通算1000試合出場を達成[19]。
- 5月7日 - 川崎球場での大洋対広島6回戦で、3回表2死から水谷実雄がカウント2-3からの6球目がボールになるも水谷と球審の岡田功が四球と気づかず水谷はそのまま打席に立ったため、8球目がストライクの判定となって見逃し三振を喫する[20]。
- 5月10日 - 南海の広瀬叔功が後楽園球場での対東映4回戦の6回表に、二盗、三盗を決め、プロ通算550盗塁を達成[21]。
- 5月13日 - 東映の大杉勝男が後楽園球場での対ロッテ8回戦の4回裏に9号本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[22]。
- 5月20日 - 阪急の梶本隆夫が中日球場での対近鉄6回戦で近鉄を6-0と完封して1勝目を挙げ、プロ通算250勝を達成[23]。
- 5月27日 - 広島の安仁屋宗八が広島球場での対大洋7回戦に先発登板し5回表に江藤慎一から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[24]。
- 5月31日 - 東映の大杉勝男が東京球場での対ロッテ10回戦の10回表に19号本塁打を放ち、これで5月に打った本塁打が15本となり、月間最多本塁打15本のタイ記録となる[25]。
6月
7月
- 7月1日 - 南海の広瀬叔功が小倉球場での対西鉄13回戦で5回表に安打を放ち、プロ通算2000安打を達成[34]。
- 7月2日 - 東映の白仁天が後楽園球場での対ロッテ14回戦の8回裏に10号本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[35]。
- 7月4日 - ロッテのジョージ・アルトマンが大阪球場での対南海13回戦で9回表に12号3ランを放ち、パ・リーグタイ記録となる8試合連続打点をマーク[36]。
- 7月8日
- 南海の野村克也が西宮球場での対阪急14回戦の4回表に19号本塁打を放ち、山内一弘の持つ日本プロ野球タイ記録に並ぶ通算1218得点を達成[37]。
- 広島の山本浩司が広島球場での対巨人9回戦で5打席連続安打を記録。これで6日の対中日18回戦から9打席連続安打のセ・リーグ新記録を達成[38]。
- 7月16日
- 巨人の堀内恒夫が後楽園球場での対中日16回戦に三回表に中日の稲葉光雄から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[39]。
- 大洋の江藤慎一が青森県営球場での対広島ダブルヘッダー第2試合の16回戦の九回裏に適時打を打ち、プロ通算1000打点を達成[40]。
- 東映の張本勲が東京球場での対ロッテ16回戦の八回表に17号本塁打を打ち、プロ通算1000得点を達成[41]。
- 南海の佐藤道郎が大阪球場での対西鉄15回戦の八回表から救援登板し、10試合連続救援登板の日本プロ野球新記録を達成[42]。
- 7月20日 - この日でセ・パとも前半戦を終了。セ・リーグは阪神が首位で折り返し、巨人は1964年以来8年ぶりに2位で折り返し[43]。
8月
- 8月1日 - 南海は大阪球場での対東映15回戦で4-2と勝利、この日4得点を記録してパ・リーグタイ記録となる73試合連続得点を達成[44]。
- 8月2日 - ヤクルトのアルト・ロペスが神宮球場での対中日ダブルヘッダー18回戦の7回裏に9号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[45]。
- 8月4日 - ロッテの池辺巌が東京球場での対南海15回戦の1回裏に14号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[46]。
- 8月6日 - 第43回全国都市対抗野球大会の決勝戦が午後3時半から後楽園球場にて行われ、浜松市の日本楽器が川崎市の三菱自動車川崎に4対0で勝利し、大会初優勝[47]。
- 8月8日 - 広島の山本一義が神宮球場での対ヤクルト14回戦の9回表に14号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[48]。
- 8月14日 - 広島の外木場義郎が広島球場での対大洋19回戦の4回表にジョン・シピンから三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[49]。
- 8月19日 - 東映の張本勲が平和台球場での対西鉄ダブルヘッダー夜間の20回戦の4回表に安打を放ち、プロ通算2000安打を達成[50]。
- 8月20日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対阪神18回戦の1回裏に30号本塁打を放ち、11年連続30本塁打を達成[51]。
- 8月23日 - 第54回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が甲子園球場で午後1時から行われ、大分県の津久見高校が山口県の柳井に3対1で勝利し、初優勝達成[52]。
- 8月24日 - 中日球場での中日対巨人23回戦の試合中の午後7時15分頃、中年の男の声で「三塁側内野スタンドに爆発物を仕掛けた。午後7時45分頃爆発する」と電話があり、係員が中川警察署に通報。試合が午後7時31分から中断。球場は三塁側スタンドの観客約3千人をグラウンドに避難させ、中川署の署員約70名が捜索したが爆発物は発見されず予告時刻の7時45分を過ぎても爆発は起きなかったため、電話はいたずら電話と断定。午後8時3分に試合再開[53]。
- 8月27日 - 阪急の福本豊が西宮球場での対東映20回戦で1試合3盗塁し、河野旭輝が1955年に記録した1シーズン85盗塁の日本プロ野球記録を更新[54]。
- 8月29日 - 南海の村上雅則が大阪球場での対西鉄20回戦で、日本プロ野球新記録となる連続5与死球を記録[55]。
- 8月30日 - 東映の今井務が神宮球場での対ロッテ21回戦の10回裏1死満塁の場面で代打に起用され1号サヨナラ満塁本塁打を放ち、パ・リーグ初の代打サヨナラ満塁本塁打を記録[56]。
- 8月31日
- 大洋は、監督の別当薫が休養し監督代行にヘッドコーチの青田昇が務めると発表[57]。
- 大洋の松原誠が後楽園球場での対巨人22回戦の1回表に20号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[58]。
9月
- 9月1日 - ロッテが大阪球場での対南海21回戦に2-3と敗戦し、球団史上初の9連敗を記録[59]。
- 9月3日 - 阪急の長池徳士が西京極球場での対西鉄21回戦の五回裏に27号本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成[60]。
- 9月7日 - 東映の張本勲が後楽園球場で対ロッテ24回戦の8回裏に29号本塁打を放ち、プロ通算350本塁打を達成[61]。
- 9月13日 - 巨人の柴田勲が後楽園での対阪神20回戦の7回裏に三盗を決め、プロ通算400盗塁を達成[62]。
- 9月19日 - 甲子園球場での阪神対巨人22回戦で、巨人の王貞治が一回表に41号本塁打を打ち、日本プロ野球新記録となる6試合連続本塁打を達成[63]。午後8時20分頃、球場に男の声で「球場に爆弾を仕掛けた。午後8時40分に爆破する」という脅迫電話がかかり、午後8時40分、球場を捜索するため試合が中断。甲子園署、兵庫県警機動隊員が爆発物を捜索するが、見つからなかったためいたずら電話と判断し、午後8時50分に試合再開[64]。
- 9月20日
- 巨人の王貞治が甲子園球場での対阪神23回戦の一回表に村山実から42号本塁打を打ち、連続試合本塁打の記録を7に伸ばす[65]。
- ロッテの有藤通世が西京極球場での対近鉄19回戦の6回表に27号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[66]。
- 9月21日 - パ・リーグのオーナー懇談会が午後5時より丸の内のパレス・ホテルにて開かれ、ロッテのオーナーの中村長芳が(1)現状ではセ・パ両リーグの統合は困難(2)パ・リーグとしては現状の2リーグ制を支持し当面はリーグ振興のため努力する、と報告[67]。
- 9月23日
- 東映の尾崎行雄が後楽園球場での対南海ダブルヘッダー第2試合の五回表にウィリー・スミスから三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[68]。
- 大洋の監督代行の青田昇が腹痛のため千駄木の日本医大付属病院で診察を受け、胆嚢炎と肝臓炎を併発していると診断され、同病院に入院[69]。
- 9月24日 - 大洋は監督代行の青田昇が胆石で入院したため、ヘッドコーチの宮崎剛が代行監督に就任すると発表[70]。
- 9月26日 - 阪急が西宮球場での対南海23回戦に6-3と勝利し、2年連続5度目のパ・リーグ優勝[71]この試合で阪急の福本豊が3回裏に二盗を決め、モーリー・ウィルスの持つメジャーリーグのシーズン最多盗塁104を更新する105個目の盗塁を記録[72][73]。
- 9月27日 - 阪神の遠井吾郎が中日球場での対中日24回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[74]。
- 9月28日 - 南海の野村克也が対阪急25回戦の4回表に34号本塁打を放ち、プロ通算550本塁打を達成[75]。
- 9月30日 - 【MLB】ピッツバーグ・パイレーツのロベルト・クレメンテが対ニューヨーク・メッツ戦4回裏に2塁打を放ち、MLB通算3000安打を達成[76]。
10月
- 10月3日 - 阪神の藤田平が甲子園球場での対中日25回戦の四回裏に16号本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[77]。
- 10月4日 - 西鉄の東尾修は対東映26回戦に先発して敗戦投手となりシーズン25敗目を喫し、パリーグ最多敗戦記録となる[78]。
- 10月7日 - 巨人が甲子園球場での対阪神25回戦に5-1と勝利し、8年連続16度目のセ・リーグ優勝が決定[79][80]。
- 10月9日
- 10月10日 - 東映の白仁天が西宮球場での対阪急26回戦の2回表に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[83]。
- 10月13日 - 西鉄の選手会長の高木喬が福岡市内の球団事務所を訪れ、球団常務の古賀豊穂に対し「選手の総意」として来季も球団を西鉄で運営するよう申し入れ[84]。
- 10月15日 - セ・リーグの全日程が終了[85]。
- 10月16日
- パ・リーグの全日程が終了[86]。
- 沢村賞選考委員会が午後12時半から東京・有楽町の交通大飯店から開かれ、巨人の堀内恒夫を選出[87]。
- 10月17日 - 広島は新監督に大洋前監督の別当薫が就任したと発表[88]。
- 10月20日
- プロ野球・オーナー会議が正午から東京・丸の内のパレス・ホテルにて開かれるが、出席したオーナーが5名にとどまり野球協約に基づき会議は不成立となり懇談会として開催。オーナー会議の定足数改正や代理権の問題を意見交換した[89]。
- ロッテのオーナーの中村長芳は、オーナー会議終了後に記者団に対して「ペプシコーラがパ・リーグの某球団を買収するめどがついた。22日に香港へ飛び最終的な話し合いを行う」と発表。しかし、午後8時半より東京・赤坂の中村事務所にて、パ・リーグ会長の岡野祐と同席の上で、この日2度目の記者会見を行い「夕方にペプシ本社から、球団の買収を断るという連絡がきた」と発表[90]。
- 東映のオーナーの大川毅が午後、東映不動産にて記者会見し球団の身売りの意向を明らかにした[91]。西鉄、東映と2球団の身売りが表面化し、パ・リーグの存続が危ぶまれる事態となる。
- 10月21日 - パイオニアの社長の石塚庸三が午前10時、赤坂にある中村事務所を訪れ、中村から打診されていたパイオニアによる東映の買収の話を断ることを伝える[92][93]。
- 10月22日 - 【MLB】ワールドシリーズの第7戦がシンシナチのリバーフロント・スタジアムで行われオークランド・アスレチックスがシンシナチ・レッズを3-2で破り、球団史上1930年以来6度目のワールドチャンピンとなる[94]。
- 10月28日
- 日本シリーズの第5戦が西宮球場で行われ、巨人が阪急に8対3で勝利し、4勝1敗で日本シリーズ8年連続優勝[95]。
- 西鉄はロッテのオーナーの中村長芳が買収することになり、球団譲渡調印が福岡市内の西鉄グランドホテルにて午後3時より行われる[96]。
- 10月29日 - 1972年度の最優秀選手、最優秀新人、ベストナインを選出するプロ野球担当記者の投票の開票が午前10時より東京・銀座のコミッショナー事務局にて行われ、最優秀選手にセ・リーグは巨人の堀内恒夫、パ・リーグは福本豊が選出される。最優秀新人にセ・リーグはヤクルトの安田猛、パ・リーグは西鉄の加藤初が選出される[97]。
11月
- 11月1日 - 阪急は来季のコーチング・スタッフを発表。選手兼守備コーチのダリル・スペンサーは退団し、自由契約とした[98]。
- 11月2日
- 阪神は監督兼選手の村山実が現役引退したと発表[99]。
- パ・リーグのオーナー懇談会が正午から東京・丸の内のパレス・ホテルに開かれ、太平洋のオーナーの中村長芳が来季から2シーズン制の導入を提案。今後、実施を前提に案をまとめる方向で一致[100]。
- 11月9日 - プロ野球実行委員会が午後2時より東京・銀座の日航ホテルにて開かれ、パ・リーグ会長の岡野祐が「パ・リーグは来季から2シーズン制を取ることになった」と報告[101]。
- 11月10日 - ロッテは監督の大沢啓二がロッテ本社を訪れ、オーナーの重光武雄、球団社長の松井静郎に対し退団を申し入れ、了承される[102]。
- 11月14日 - 大洋のオーナーの中部謙吉が午後3時半より東京・丸の内の大洋漁業本社にて、この年監督代行を務めた青田昇が監督に就任したと発表[103]。
- 11月17日 - ロッテは午前11時より錦糸町のロッテ会館にて金田正一の監督就任を正式に発表[104]。
- 11月18日 - 平和台球場にて西鉄対巨人のオープン戦が行われ、西鉄として最後の試合を行う。
- 11月20日 - パ・リーグの理事会が午前11時から丸の内のパレスホテルにて開かれ、来季から導入予定の2シーズン制の具体案を決定。午後3時半からのオーナー懇談会で正式に承認[105]。
- 11月21日 - プロ野球のドラフト会議が午前11時から東京・日比谷の日生会館にて開催される[106]。
- 11月25日 - 野球体育博物館に表彰、掲載される人物を選ぶ競技者表彰特別委員会が午前11時から東京・有楽町のアラスカにて開かれ、記者投票で石本秀一を選出[107]。
- 11月30日 - 南海は二軍監督の岡本伊三美が一軍監督の野村克也との指導方針の対立から、球団に辞表を提出し受理される[108]。
12月
誕生
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
死去
脚注
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野球の歴史 |
1870年代 | |
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1880年代 | |
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1890年代 | |
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1900年代 | |
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1910年代 | |
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1920年代 | |
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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