ENEOS野球部
ENEOS野球部(エネオスやきゅうぶ)は、神奈川県横浜市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである。運営母体は、ENEOSホールディングス。 獲得した全国タイトルは、全国の社会人野球チームで最多の計17回(全日本アマチュア王座決定戦1回・都市対抗野球12回・日本選手権2回・日本産業対抗2回)である。そのうち、都市対抗野球大会の優勝12回も歴代最多で、出場回数も3位の記録である。プロ野球選手や日本代表選手を多数輩出している。 概要1950年、横浜金港クラブのエースであった日本石油社員の吉村英次郎が尽力し『日本石油硬式野球部』として創部[1][注 1]。一時期、提携先であった「カルテックス(CALTEX)」をユニフォームにロゴとして使用し、「日石カルテックス」と呼ばれた時期もあるが、同一チームである。 同じく神奈川県に本拠地を置く、川崎市の日本鋼管、三菱自動車川崎、東芝、横須賀市の日産自動車、藤沢市のいすゞ自動車らとしのぎを削りながら実力を伸ばし、早々と全国大会の常連となっていった。 1951年の都市対抗野球で初出場を果たし、4度目の出場となった1956年の都市対抗野球で初優勝を達成した。1961年の都市対抗野球と1962年の都市対抗野球では、大会史上5チーム目となる2連覇を達成している。 1981年の日本選手権で初出場を果たし、7度目の出場となった1991年の日本選手権で林裕幸監督のもと初優勝を達成した。 1999年、母体の日本石油と三菱石油が合併し日石三菱が発足。これに伴いチーム名を『日石三菱硬式野球部』に改称した。 2002年6月、日石三菱が社名変更で新日本石油となったため、シーズン途中にチーム名を『新日本石油硬式野球部』に改称した。 2005年、サービスステーションのブランド名を冠してチーム名を『新日本石油ENEOS硬式野球部』に改称した[2]。 2010年4月、新日本石油と新日鉱ホールディングスとの経営統合により共同持株会社のJXホールディングスが発足し傘下に入る。さらに、同年7月にはグループ内の再編により新日本石油が新日本石油精製とジャパンエナジーの吸収合併しJX日鉱日石エネルギーに社名変更した。これに伴い、同チーム名も7月1日より『JX-ENEOS野球部』に改称した[3][4]。同時にジャパンエナジー(旧共同石油)女子バスケットボール部もJXサンフラワーズ(現・ENEOSサンフラワーズ)に改称している[注 2]。 2012年、同年の都市対抗野球と日本選手権を制し、史上2チーム目となる同一年2大大会制覇を達成した[注 3]。また、チームとして社会人ベストナイン特別賞を受賞した。 2013年、都市対抗野球で優勝して51年ぶりの連覇となり、さらに史上初となる同一チームによる複数回の連覇を達成して「絶対王者」とも称されるようになったが、2016年以降は4年連続都市対抗野球で予選敗退に終わるなど、低迷状態に陥った。 その後、JX日鉱日石エネルギーは2016年1月1日にJXエネルギーに、さらに2017年4月1日にはJXTGエネルギーへと社名変更したが、この時はJX-ENEOS野球部の名称変更はJX-ENEOSサンフラワーズともども行われなかった。 2020年6月25日、JXTGホールディングスがENEOSホールディングスに、JXTGエネルギーがENEOSに社名変更した際に、名称を『ENEOS野球部』に改称した(女子バスケットボール部も同様にENEOSサンフラワーズに名称を変更している)。この年、監督に大久保秀昭が再就任すると、5年ぶりに都市対抗出場を果たした。さらに1回戦の東邦ガス戦に勝利し、大会通算100勝を達成した[5]。 2022年、都市対抗野球で東京ガスの連覇を止め、9年ぶりに優勝を飾った。 親会社がスポンサーとなっている関係から、野球日本代表チームとは練習試合相手となるなど密接なつながりがある。チーム応援歌「力と希望」は作詞:行武雅之、補作詞:サトウハチロー、作曲:古関裕而によって作られた[注 4]。 設立・沿革
練習場主要大会の出場歴・最高成績
主な出身プロ野球選手
元プロ野球選手の競技者登録
かつて在籍した主な選手・コーチ・監督
野球部長経験者
脚注注釈出典
関連項目
外部リンク |