IBM 5100ポータブル・コンピューター (IBM 5100 Portable Computer)は1975年 6月、IBM PC の6年前にIBMが市場に初めて投入したデスクトップコンピュータ である。
IBM 5100は、IBMが1973年 にデモを行ったSCAMP(Special Computer APL Machine Portable)と呼ばれるプロトタイプPCの発展型だった。1978年 1月にIBMはIBM 5100の発展型であるIBM 5110 を発表し、IBM 5100は1982年3月に販売を終了した。その後継機としてはIBM 5120 がある。
なお、後の1981年に発表・発売されたIBM PC にはIBM Personal Computer 5150 という、51?0というパターンに一致する番号が付けられたが、IBM PCと本機5100から5120の系列とは関連は無い。
概要
IBM 5100はPALM (P ut A ll L ogic in M icrocode) という16ビット のCPU モジュールが使用されている。IBM 5100のメンテナンスマニュアルでは、このPALMモジュールを「コントローラ」と呼んでいた。
PALMは直接64KB のメモリ を扱うことができ、またIBM 5100にはExecutable ROSと呼ばれるROM と合計で64KB以上のRAM 領域があり、トグルスイッチを用いた簡素なバンク切り換え 機構で運用された。ユーザーが入力したAPL/BASICインタプリタ は、PALMが周辺機器を扱う別々のLanguage ROSアドレス空間に保存する事が出来た。
IBM初の「ポータブル・コンピューター」
IBM 5100は現在で言う処の「一体型PC」で、およそ25kgの重さの小さなスーツケース程度のサイズの筐体にキーボード、5インチのCRT ディスプレイ、テープドライブ 、CPU 、システムソフトウェア (OS) を含む数100KB程度のROM、そして最大64KBのRAMが内蔵されていた。
それまで部屋を一つ占有するのが当たり前であったメインフレーム から比較すると驚異的な小型化を達成し、人間の力でも持ち運ぶ事が可能であった事から「ポータブル・コンピューター」と銘打たれていた。
2000年代以降のノートパソコン から見るとIBM 5100はとてつもなく大型のように思えるが、1975年 の時点で、IBM 5100ほど小さな筐体に多量のROMとRAMがある完全なコンピュータシステムとCRT、さらにはテープドライブを収めた事は技術的に驚くべき達成だった。
IBM 5100とほぼ同様の構成を持つコモドールPET 2001 がリリースされるには、さらに2年の期間を要した。IBM 5100が登場する以前のデスクトップコンピュータはHP 9830 などがあるが、大きさこそ同サイズではあったが、IBM 5100のようにCRTや大容量のROM/RAMを内蔵する事は不可能であった。
また、IBM 5100と同等の性能を持つ1960年代 のIBM製コンピュータは、2脚の机とほぼ同じくらいの大きさで、500kg近い重さがあった。この事実を照らし合わせると、IBM 5100の小型化が当時どれ程の脅威を市場に与えたかは想像に難くない。
外部モニター出力機能
IBM 5100はバックパネル上のBNC コネクタを通して外部のビデオモニター(または、改造されたテレビ )を接続できた。IBM 5100は内蔵モニタの画面のバックグラウンドを白(文字は黒)か黒(文字は白)か選択するフロントパネルスイッチを持っていたが、このスイッチは外部のモニターの表示には影響せず、当時の外部モニターの黒いバックグラウンドに対してスイッチの操作に関係なく白い文字を表示した。 垂直同期周波数は60Hzで固定であり、50Hzのテレビジョン方式(旧EC圏や南米諸国)を採用している外国のユーザーにとっては多少の不便を強いられる事となった。
コミュニケーションアダプタ(一種の通信機能)
IBM 2741 Communications Terminal (音響カプラは写っていない)
1975年 9月に、IBMはIBM 5100の拡張機能としてIBM 5100 Communications Adapterを発表した。これは一種の通信機能であり、メインフレーム がリモートシステム上の5100がデータを送るのを許容し、データの通信を可能にした。IBM 5100でEBCD (E xtended B inary C oded D ecimal) を使用する場合においては、IBM 5100をIBM 2741 Communications Terminalと見せ掛ける事ができ、メインフレーム側はIBM 5100をIBM 2741互換機として処理する事が可能であった。ただし、EBCDはより一般的なIBM EBCDIC コードと似ているが、完全に同じものではなかった。[ 3]
派生モデル
IBM 5100には16KB、32KB、48KBまたは64KBのRAMを搭載した12種類のモデルが存在した[ 4] 。IBM 5100は米国では8,975ドルから1万9975ドル、日本では約340万円から800万円[ 5] で販売されていた。
モデル番号
A1/A2/A3/A4
B1/B2/B3/B4
C1/C2/C3/C4
APL言語
搭載
非搭載
搭載
BASIC言語
非搭載
搭載
搭載
モデル番号
A1/B1/C1
A2/B2/C2
A3/B3/C3
A4/B4/C4
RAM容量
16KB
32KB
48KB
64KB
多様なプログラミング言語
IBM 5100はプログラミング言語はAPL かBASIC のどちらかを選択して利用可能だった。それまでAPLはメインフレーム での利用に限定されており、既存のコンピュータではWang 2200 とHP 9830 だけがAPLと同時にBASICが使用可能であった。
APLとBASICの両方の言語をサポートしたIBM 5100は、フロントパネル上のトグルスイッチを操作する事で言語を選択できた。IBMの開発技術者がベータテスターであったDonald Polonisに尋ねたとき、彼は「ユーザーがメインフレームを使用するためには、まずAPLを学ばなければならないから、IBM 5100はより簡素な"パーソナルコンピュータ"として作られなければならない」と論評した。 彼は市場のユーザーがIBM 5100を受け入れるには、メインフレーム的コンピュータではなく"パーソナルコンピュータ"として使用するのが簡単でなければならないという事実を開発技術者に強調した。
APLにはベクトルとマトリクスとしてデータを操作するための強力な機能があったが、当時のメインフレームの特殊なAPLコードとAPLキーボードは難解で、APLを学ぶ初心者にとっては大きな障害でもあった。当時IBMのメインフレームと競合していたHP 9830はAPLのマトリクス操作のためには、アドオンされているROMとは別の言語拡張を追加しなければならない程であった。
しかしIBM 5100は簡素な操作体系でAPL を簡単に扱えるようになった為、メインフレームの操作端末として一定の成功を収める事となった。
添付ソフトウェア
IBMはIBM 5100を販売するに当たり、数学の問題、統計的手法、および財務分析に必要な1000以上の対話的ルーチンをユーザーに提供するために、IBM5100と共に磁気テープカートリッジに記録されたProblem-Solver Librariesと呼ばれるアプリケーションソフトウェアを添付した。
マイクロコードのエミュレータ機能
IBM 5100のアーキテクチャのコンセプトの一つに、「マイクロコードで書かれたエミュレータ を使えば、プログラムを作り直してデバッグする時間とコストをかけずに、旧来の巨大で高価なコンピュータ向けのプログラムを、より小さくて比較的安いコンピュータで実行することができるであろう」というものがある。これは、System/360 シリーズにおいて上位モデルと同じ命令セット アーキテクチャ(ISA)を下位モデルに実装した手法と全く同一のコンセプトであり[ ※ 1] 、それを低コストの側に(当時可能なレベルで)究極に押し進めたものと言える。
IBM 5100にはそのような二つのプログラムが入っており、System/370 メインフレームのためのIBMのAPLインタプリタAPL.SVに若干手を加えたバージョンと、IBMのSystem/3 コンピュータ上で使用されるBASICインタプリタが実装されていた。つまり、IBM 5100のマイクロコードは、System/370 とSystem/3 の両方の機能の大部分をエミュレートするように書かれたのである。
IBMは後に、1983年 のIBM PC のXT/370モデルで同じアプローチを採っている。これはSystem/370エミュレータカードが追加された標準IBM PC XTであった。
評価
日本では1976年秋に第1号機が株式会社ソフトネットに納入されたほか[ 6] 、矢崎電線 、三菱商事 、追手門学院大学 へ納入された[ 7] 。しかし、すぐ後にフロッピーディスク ドライブのサポートなど入出力装置が強化されたIBM 5110が発表され、結果的にIBM 5100はあまり売れなかった失敗作と評された[ 8] 。
後年に日本のIT情報誌『日経コンピュータ 』(1983年5月30日号)は次のように評価した[ 9] 。
今になってIBM5100を見直してみると、画面のサイズが小さい、カラー表示ができない、フロッピーディスクが使えない、価格が300万円前後と高価、といった"難点"はあったが、現在のパソコンのイメージとオーバーラップする点は多い。結局、5100のビジネスは必ずしも成功しなかったが、APLインタプリタをこの程度の超小型コンピュータ上で実用に耐えるスピードで動作させていたパソコンに関する技術力はむしろ驚異的だったとも言える。
また、IBMはIBM 5100の投入でAPLの普及を後押ししようと目論んでいたものの、APLの表記が難しかったために普及は進まず、パソコン市場の実情を踏まえて次のIBM 5110ではBASICを標準の開発言語にしたのだろうと推測された。当初、IBM 5100は科学技術計算(エンジニアリング)用として発売されたが、後継の5110から5120、System/23 にかけて徐々にビジネス向けパソコンに変わっていったと振り返った[ 9] 。
注釈
^ System/360シリーズは、同一の命令セットアーキテクチャのコンピュータを、上位モデルでは可能な限りハードウェアで直接実装した高性能機として、下位モデルではマイクロプログラム方式の活用により可能な限り安価に実装したエコノミー機として提供する、というコンセプトであり、それは成功した。
出典
^ 「日本IBM、エンジニア・統計分析者向けポータブル電算機「IBM5100」発売。」『日経産業新聞』1976年5月12日、2面。
^ 『日本アイ・ビー・エム50年史』、日本アイ・ビー・エム、1988年、 385頁。
^ 「IBM 5100 Communications Reference Manual」, IBM, 1975 , 1st Edition
^ THE IBM 5100 PORTABLE COMPUTER (参考文献参照) pp.57-58。
^ 『Computer Report』1978-01(臨時増刊号)、日本経営科学研究所、pp.77-101。
^ 「ニュース短信」『コンピュートピア』第10巻第13号、コンピュータ・エージ社、1976年、113頁、ISSN 0010-4906 。
^ 『情報産業便覧 1981~1982』情報産業新聞社、1981年、825頁。
^ 池, 孝三『マイコンとマイ・ビジネス : あなたを生かすパーソナルコンピュータ活用法』学習研究社、1980年、118頁。
^ a b 平野正信「インダストリ:出そろった多機能、複合パソコン」『日経コンピュータ 』、日経マグロウヒル 、1983年5月30日、54-55頁。
参考文献
「APL SV ―新しいコンピュータ言語―」長田純一・内山昭 共著, 丸善, 1975
「THE IBM 5100 PORTABLE COMPUTER - A Comprehensive Guide For Users and Programmers」 Harry Katzan Jr., Van Nostrand Reinhold Company / Litton Educational Publishing, 1977 , ISBN 0-442-24270-0
「IBM 5100 Portable Computer Maintenance Information Manual」, IBM, 1979 , 4th Edition
関連項目
外部リンク