J・J・ディロン
J・J・ディロン(J.J. Dillon、本名:James "Jim" Morrison、1942年6月26日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー、マネージャー、ブッカー。ニュージャージー州トレントン出身。 ヒールの悪徳マネージャーとしての実績で知られ、日本では「極悪仕掛人」の異名を持つ[1]。ブッカー業務などエグゼクティブとしても手腕を発揮し、1990年代はWWFとWCWの両団体で要職を務めた[2]。 来歴1962年、地元のニュージャージーでプロレスラーとしてデビュー。ジョニー・バレンタインを意識した金髪の若手ヒールとして売り出される[3]。1968年からはオハイオなど五大湖地区に進出し、以降は1970年代全般にかけて、カナダ大西洋岸の沿海州を本拠地とするイースタン・スポーツ・アソシエーションや、アメリカ合衆国南部のNWA圏(テキサス、フロリダ、ジョージア、ミッドアトランティック)などを転戦[3]。 テキサス西部のアマリロ地区では1974年9月19日にキラー・カール・コックスからNWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座を奪取[4]、テリー・ファンクやディック・マードックともタイトルを争い、プレイング・マネージャーとしてカン・フー・リーとも共闘した[5]。1975年11月から1976年にかけてはテキサス東部のダラス地区において、モンゴリアン・ストンパーやムーンドッグ・ロニー・メインのマネージャーも担当している[3][6]。 選手としても、1979年1月11日にテッド・デビアスを破り、アマリロ地区認定のNWAインターナショナル・ヘビー級王座を獲得[7]。1981年8月27日にはカンザス地区にてバズ・タイラーと組み、ボブ・スウィータン&テリー・ギッブスからNWAセントラル・ステーツ・タッグ王座を奪取している[8]。テネシー州メンフィスのCWAでは1982年にジェリー・ローラーやビル・ダンディーと抗争を展開[9]、同年にCWAにてデビューしたカマラの初代マネージャーも務めた[10]。 その後、フロリダ地区で本格的にプレイング・マネージャーとして活動するようになり、ドリー・ファンク・ジュニア、ビッグ・ジョン・スタッド、ブルーザー・ブロディ、ケンドー・ナガサキ、アウトロー・ロン・バスら歴代のヒール勢をコントロール、同地区のエースだったダスティ・ローデスとの抗争を指揮した[11][12]。自身も1982年3月にミスター・レスリング2号を破り、NWAフロリダ・ヘビー級王座を獲得している[13]。 1984年より、ローデスと共にフロリダからミッドアトランティック地区のジム・クロケット・プロモーションズに移籍[3]。現役を引退してマネージャーおよびブッカー業務に専念し、リック・フレアーらが結成したフォー・ホースメンのブレインとなって活躍した[14]。しかし、テッド・ターナーのクロケット・プロ買収後はWCWに留まらず、ビンス・マクマホンにヘッドハンティングされて1989年にWWFへ転出。タイタン・スポーツ社副社長のポストに就いて辣腕を振るった[1]。 1996年、WWFを脱退してWCWに復職[3]。「コミッショナー」の立場で現場にも復帰し、新生フォー・ホースメンと共闘してnWoやエリック・ビショフとの抗争アングルも行った。2001年のWCW崩壊後はTNAに「チーフ・ファイナンシャル・オフィサー」として登場[3]。2003年にTNAを離れ、フルタイムのプロレスリング・ビジネスから引退した[3]。 以降も各地のインディー団体にゲスト出演しており、2006年7月15日にはROHのPPV "Death Before Dishonor 4" に登場[15]。2008年3月31日にはWWEのRAWで行われたフレアーの引退セレモニーに、かつてのフォー・ホースメンのメンバーと共に出席した[16]。2009年下期からは再びROHに登場している。 日本ではジム・デュランの名で知られ、1974年1月に全日本プロレスに初来日[17]。以降も中堅ヒールのポジションで全日本の常連外国人となり、通算7回にわたって来日した。1977年4月にはチャンピオン・カーニバルの第5回大会に出場[18]。ジャイアント馬場との公式リーグ戦では両者リングアウトの引き分けに持ち込んでいる[19]。同年末には、犬猿の仲だったアブドーラ・ザ・ブッチャーとザ・シークに史上最凶悪コンビを結成させて世界オープンタッグ選手権にブッキングし、彼らのマネージャーを務めるなど、悪の仕掛人ぶりを発揮した[17]。1983年2月の来日では、ザ・グレート・カブキの凱旋帰国第1戦の相手を務めている[20]。 2012年、フレアー、アーン・アンダーソン、タリー・ブランチャード、バリー・ウインダムのフォー・ホースメンと共に、WWE殿堂に迎えられた[21]。2014年には単独でのNWA殿堂入りも果たしている[22]。 獲得タイトル
担当選手脚注
関連文献
外部リンク
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