LAUGHIN' NOSE
LAUGHIN' NOSE(ラフィン・ノーズ)は日本のパンク・ロックバンド。 メンバー
過去のメンバー
概要・来歴日本に確たるハードコアパンクシーンが形成される以前から、その中心的バンドとして活動していた。最初期の読みはラフィーノーズ。メジャーデビュー前である1980年代前半から、THE WILLARD、有頂天と並び、「インディーズ御三家」といわれる程の人気を博した[1]。この「インディーズ御三家」という名称こそが、現在日本語として「インディーズ」という単語が浸透するきっかけとなっている。バンド名の名付け親は初代ギタリストのアカベー。自分達でレーベル(レコード会社)「AAレコード」を設立し、音源を発売していた[2]。また、インディーズシーンで活躍する他のバンドの音源のリリースも積極的に行った。 インディーズでの人気を得た後、1980年代にはメジャー・デビューし活動。当時の「バンドブーム」の先駆けとなる。1991年に一旦解散するが、1995年から(バンドの意思により)再びインディーズシーンでの活動を再開。現在も精力的な活動を続けている。 来歴1981年12月、大阪で結成。 1983年12月、自らのレーベルであるAA RECORDSより、1st.シングル『GET THE GLORY』をリリース。 1984年11月、1st.アルバム『PUSSY FOR SALE』をリリース。 1985年4月28日、新宿スタジオアルタ前にて自分たちの作品が収められたソノシート「聖者が街にやってくる」を無料配布する告知をしたところ、ファンおよそ1300人(報道発表)が集まり、現地の交通が混乱したため配布中止。混乱を収めるためにチャーミーが街頭に登って説得した。この件は全国ニュースでも取り上げられた。また、メジャー・デビュー1か月前の10月26日、日比谷野外音楽堂でのライブで4000人を超えるファンを動員した。同年11月21日、バップよりアルバム『LAUGHIN' NOSE』、シングル『BROKEN GENERATION』でメジャーデビュー。 1986年10月にシングル『LAUGHIN' ROLL』、12月にアルバム『LAUGHIN' ROLL』をリリース。 順調な活動を続けていた最中の1987年4月19日に 日比谷野外音楽堂でのライブ中、ステージに詰め掛けたファンが将棋倒しになり、3人の死者を出す事故が発生。バンドは責任を取る形で謹慎(当時アール・エフ・ラジオ日本でレギュラー出演していた「LAUGHIN' NOSEのDo it!」も事故直後の放送回で打ち切り)。しかし多くのファンの後押しにより活動を再開する。 1988年1月、バップから東芝EMI(現在のEMIミュージック・ジャパン)にレコード会社を移籍、シングル『警告-warning-』、3月にアルバム『MEAT MARKET』をリリース。 1989年5月、PON(Ba.)とNAOKI(Gu.)が脱退を表明し、8月にMZA有明で脱退ライブを2日間開催。その3日後のイベント(金沢)から新メンバーにBELLEY(Gu.)が加入。追って10月のイベント(高知)からWANG-TANG(Ba.)が加入。12月、都内近郊ライブハウス(新宿、千葉、横浜)で「襲名披露ライブ」を開催。 1990年2月19日、ニューアルバム『ALBUM SIXTEEN』発売3日前に「16歳のファン限定」イベント「SIXTEEN'S PARTY」を原宿RUIDOで開催。 その後はBELLEYの逮捕、MARU(Dr.)の脱退等もあったが、サポートメンバーにHIROKI(Dr.)を加え全国ツアー「TOUR PUNK IT UP」(10月8日〜12月11日)を展開するなど活動。 1991年、ニューアルバム『PUNK IT UP』発売後の「POWER AND GLORY INTERNATIONAL TOUR '91」(4月10日〜7月23日)中、5月4日愛知県で開催されたイベントで解散を発表。TBS番組「ナリキーバンド講座」の出演回のエンディングでもそのことが告知された。8月20日のイベント(秋田)に出演後バンドは解散。東京でのラストライブは7月11日の東京メルパルクホールであった。 1995年、CHARMYとPONが意気投合し、約3年半ぶりに活動を再開。1月8日、旧新宿ロフト(西新宿)で再始動ライブ(メンバーはCHARMY、AKIO、PON、WANG-TANG)を行い同時に自主レーベル「Letsrock・AAレコード」も復活させる。同年7月、AKIO(Gu.)がVANILLAのメジャーデビューに伴い脱退、約4年ぶりにBELLEYが復帰加入。 1997年、WANG-TANG(Dr.)が脱退し、KENJIが加入(KENJIは2001年まで在籍し、後任にYOSSYが加入)。 1998年、BELLEY(Gu.)が脱退し、THE RYDERSに加入。トレードの形となり、THE RYDERSで活動していたKASUGAが加入。 2004年10月30日 17年ぶりに日比谷野外音楽堂でライブを行う。1987年事故当時のメンバー(NAOKI、MARU)もゲストとして参加した。 2006年、YOSSY(Dr.)が脱退。1980年代にTHE WILLARDのドラマーとしても活躍していたKYOYAがサポートメンバーで参加し、その後正式に加入。 2007年9月24日 日比谷野外音楽堂のライブ『ラフィン祭り』ではメジャー時代に在籍したメンバー(NAOKI、MARU、BELLEY、WANG-TANG)がゲストとして参加。第2部では約17年ぶりに、SIXTEEN期メンバー(CHARMY、BELLEY、WANG-TANG、MARU)が揃い演奏。この日のラストナンバー「GET THE GLORY」は当時のメンバー(CHARMY、KASUGA、PON、KYOYA)がゲスト4人と共に演奏(公式ホームページで視聴可能)。 2008年4月、KASUGA(Gu.)が脱退。翌5月、THE RYDERS脱退後フリーで活動していたBELLEYが約10年ぶりに復帰加入。 2011年1月、EDWINとのコラボ企画で「LONDON SLIM ラフィンモデル」を限定復刻発売。また、翌2012年にも「DENIM JACKET ラフィンモデル」を発売。 2011年4月、同3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震・東日本大震災に際し、2007年9月24日の日比谷野音でのライブを撮影した映像をチャリティーDVDとして発売し、5月に義援金として売り上げの全額を寄付。 2011年12月2日、WOWOWプライム-ノンフィクションWにて、結成30周年を迎え初の公式ドキュメンタリーフィルム『ラフィンノーズという生き方』が放送(後日数回にわたり再放送)(公式ホームページで視聴可能)。 2013年5月、全国ツアー終了後にKYOYA(Dr.)が脱退。 2013年12月、同年内の活動をもってBELLEY(Gu.)が脱退。 2018年12月、KYOYA脱退後からサポートメンバーであったKI-YANがヘルプを終了。ちーちゃん(Dr.)が加入。また同じくサポートメンバーであったLINA(Gu.)が正式に加入。 2021年10月13日発売の気仙沼東日本大震災10年復興記念事業CD(3枚組)[3]『KESENNUMA SONGS〜復興の音魂〜10Years History』[3]に畠山美由紀、熊谷育美、岡本優子、尾形和優、黒沢光義らと共に参加。 2022年12月、同年内の活動をもってLINA(Gu.)、ちーちゃん(Dr.)が脱退。 レーベル変遷ディスコグラフィーシングル
アルバムオリジナル・アルバム
ライブ・アルバム
ベスト / コンプリート / VAアルバム
映像作品
無料配布
VA関連(ALL)
出演番組
関連書籍
写真集
カバー曲をリリースしたバンド、ミュージシャン、グループ
その他
脚注出典関連項目
外部リンクInformation related to LAUGHIN' NOSE |