オーランド・マジック(Orlando Magic)は、アメリカ合衆国フロリダ州オーランドに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。イースタン・カンファレンス、サウスイースト・ディビジョン所属。チーム名の「マジック」は、オーランドに本拠を置くテーマパークディズニーワールドのキャッチコピー「魔法の世界へようこそ」(マジック・キングダム)に因んでいる。
歴史
初期
オーランド・マジックは、1980年代のNBAの好調な業績に後押しされ、1989年にミネソタ・ティンバーウルブズと同じ年に創設された。
1989-90シーズン(最初のシーズン)、スコット・スカイルズ、ドラフト全体11位に指名したニック・アンダーソンなどが出場。11月4日、ニュージャージー・ネッツとの試合がチーム最初の試合で、その2日後のニューヨーク・ニックス戦で初勝利をあげて、最終的に18勝64敗に終わった。
1990年代
1990-91シーズンはドラフト全体4番目で指名したシューターデニス・スコットが加入、その年のみウェスタン・カンファレンスのミッドウェスト・ディビジョンに所属により、最終的に31勝51敗でカンファレンス9位だった。
1991-92シーズン、この年はけが人も多く、17連敗を記録するなど、21勝61敗と低迷した。
シャックを中心とした時代
苦境にある新興チームの光明となったのが、1992年のドラフト全体1位で獲得したシャキール・オニールだった。オニールは1年目から23.4得点13.9リバウンドと大物ぶりを発揮し、オールスターの先発、そして新人王を受賞した。この1992-93シーズンのチーム成績は41勝41敗だったが、勝敗で並んでいたインディアナ・ペイサーズがイースタン8位となりプレーオフ進出を逃した。プレーオフに進出できなかったチームの中で最も勝率が良かったものの1993年のドラフトでは2年連続で全体1位指名権を獲得するという幸運に恵まれ、指名したクリス・ウェバーをただちにゴールデンステート・ウォリアーズの指名を受けたアンファニー・ハーダウェイとトレードした。オニールとハーダウェイのコンビは若いチームマジックをリーグの強豪へと成長させていった。
1993-94シーズンからブライアン・ヒル監督に率いられたマジックは50勝32敗の好成績でレギュラーシーズンを終え、第4シードで初のプレーオフに進出したが1回戦でインディアナ・ペイサーズに3連敗で敗れた。
1994-95シーズンはシカゴ・ブルズからリバウンドの取れるホーレス・グラントをフリーエージェントで獲得してベストの布陣を築き上げ、57勝25敗でイースタン1位でシーズンを終えた。プレーオフでは、セルティックス、マイケル・ジョーダンが復帰したばかりのブルズ、そしてペイサーズを破り、チーム設立5年目でNBAファイナルに進出した。ヒューストン・ロケッツとのファイナルはアキーム・オラジュワンとオニールのセンター対決に加え、お互いにいいシューターが揃っていた点で「3ポイントシュートの雨あられが降るだろう」と言われた。レギュラーシーズンをウェスタン6位と苦しみながら2年連続ファイナルに進出したヒューストン・ロケッツと比べて、若さや勢い、チーム戦力などから、下馬評ではオーランド・マジック優位との声が強かった。しかし、戦いが始まってみると経験豊富なヒューストン・ロケッツの前にリードしては逆転されるという試合展開が続き、大方の予想とは異なり4連敗で敗れ去った。シリーズ第2戦では、後にオニールと共にロサンゼルス・レイカーズでNBAファイナル優勝を果たしたロバート・オーリーにファイナル新記録の7スティールを喫した。
1995-96シーズン、マジックは60勝22敗の成績で第2シードとなり、プレーオフではデトロイト・ピストンズ、アトランタ・ホークスを破ったが、この年から3連覇することになるシカゴ・ブルズに4連敗で敗れた。シーズン終了後、オニールは「ブライアン・ヒルのもとでは優勝できない」という言葉を吐き、ロサンゼルス・レイカーズに移った。
シャック退団後
1996-97シーズン、マジックはハーダウェイやダレル・アームストロング、新しくフリーエージェントで加入したロニー・サイカリーを軸に戦って45勝37敗の成績を残した。このシーズンの開幕2連戦で、オーランド・マジックは日本を訪れ、ニュージャージー・ネッツと対戦した。プレーオフではマイアミ・ヒートと1回戦で対戦、最初の2ゲームで連敗したが、第5戦までもつれこませることができた。
1997-98シーズン、マジックは監督にチャック・デイリー、フロントにはジュリアス・アービングを迎え、新たな体制を整えた。しかしハーダウェイの怪我もあり、ニック・アンダーソン、新しく加入したボー・アウトロー(英語版)を中心に戦ったが41勝41敗と苦戦してプレーオフには進出できずに終わった。シーズン途中にサイカリーをニュージャージー・ネッツにトレードして複数の選手や将来のドラフト指名権と交換した。
1998-99シーズンはハーダウェイが故障から復帰、ドミニク・ウィルキンス、ジェラルド・ウィルキンス(英語版)兄弟の獲得などをして33勝17敗でイースタン1位タイ(この年はロックアウトのためシーズン短縮)と躍進したがプレーオフでは1回戦でアレン・アイバーソン率いるフィラデルフィア・セブンティシクサーズに敗退した。シーズン終了後、ハーダウェイはフェニックス・サンズとダニー・マニング(試合出場なし)、パット・ギャリティなどとトレードされ、アンダーソン、ホーレス・グラントもトレードでチームを去った。
1999-2000シーズン、スター選手がいない中で、アームストロング、アウトロー、そして若き日のベン・ウォレスの活躍で41勝41敗と踏みとどまり、新ヘッドコーチのドック・リバースは最優秀コーチ賞を受賞した。2000年のオフシーズン、前シーズンに節約した選手年俸でトレーシー・マグレディ、グラント・ヒルを獲得した。
2000年代
2000-01シーズン、マグレディがこの年開花してトップスコアラーの仲間入りをした。またドラフトで獲得したマイク・ミラーは新人王を受賞した。しかしグラント・ヒルは怪我で4試合しか出られずに43勝39敗と平凡に終わった。
2001-02シーズン、パトリック・ユーイング、ホーレス・グラントを獲得したが、グラント・ヒルは故障がちで、マグレディ、アームストロング、マイク・ミラー中心の戦いを強いられ44勝38敗、プレーオフではバロン・デイビス率いるシャーロット・ホーネッツに1勝3敗で敗れた。
2002-03シーズンはショーン・ケンプを獲得したが浮上のきっかけを掴めず、マイク・ミラーはメンフィス・グリズリーズに放出され42勝40敗、プレーオフではデトロイト・ピストンズを後一歩のところまで追い詰めた処で、マグレディの挑発で怒られたピストンズ全員は3連勝で逆転され、屈辱な敗北を喫した。2003-04シーズンも、マグレディは得点王を獲得するため無理やり得点を上げたせいで、マジックはさらに苦しみ19連敗を含む21勝61敗の結果に終わった。
2004年のオフシーズン、チームは大胆な再建に取りかかり、マグレディはスティーブ・フランシスらとトレードでヒューストン・ロケッツに放出され、フリーエージェントでヒド・ターコルーを獲得した。ドラフトでは1993年以来の全体1位指名権を獲得し、ドワイト・ハワード、ジャミーア・ネルソンを指名、時間を掛けて育成する方針を採ることになった。
2004-05シーズン、健康になったグラント・ヒルがオールスターに出場する活躍を見せたものの、終盤に失速し、36勝46敗と負け越し、プレーオフ進出も逃した。
2005-06シーズンは、ブライアン・ヒルがヘッドコーチに復帰、再びグラント・ヒルが故障したこともあり、序盤は大きく低迷した。チームはフランシスをニューヨーク・ニックスへ放出し、デトロイト・ピストンズよりカルロス・アロヨ、ダーコ・ミリチッチを加えた。オールスター後、チームは快進撃を続け、前年と同じ36勝46敗まで持ち直しシーズンを終えた。
2006-07シーズン、前シーズン後半の勢いを続けイースタン首位を快走している。最終的になんとかプレーオフに進出するが、4年連続カンファレンスファイナル進出中のデトロイト・ピストンズを止めることができず4連敗し、ブライアン・ヒルは解任された。
2007-2008シーズン前、マジックは大きな動きを見せた。スタン・ヴァン・ガンディをヘッドコーチに招聘し、長年チームに在籍したグラント・ヒルはフェニックス・サンズに移籍、シアトル・スーパーソニックスからラシャード・ルイスを獲得した。前年29位という得点力の低さを改善する為で、この動きはとても注目された。そして迎えた開幕戦、ミルウォーキー・バックスに19点差をつけ快勝。その後同じく大型トレードで成功を収めていたボストン・セルティックスに初めて勝利し、8連勝を止めてみせた。特に大黒柱のドワイト・ハワードの活躍は目覚しく史上最年少でリバウンド王に輝き、またヒド・ターコルーはMIPを受賞、チームはシャック&ハーダウェイ時代以来の好成績となる52勝30敗でレギュラーシーズンを終えた。プレーオフでは1回戦でトロント・ラプターズを降し、カンファレンス準決勝まで進出するが、ピストンズの前に2年連続で敗退した。
2008-2009シーズン、チームは14年ぶりにNBAファイナルに進出したがロサンゼルス・レイカーズに1勝4敗で敗れた。シーズン後、主力のターコルーがチームを離れ、ニュージャージー・ネッツからビンス・カーターを獲得した。
2009-2010シーズンのプレーオフでは1回戦、2回戦を無傷の8連勝で勝ち上がったがカンファレンスファイナルでボストン・セルティックスに2勝4敗で敗れシーズンを終えた。
2010年代
2010-2011シーズン12月、主力メンバーでルイスをワシントン・ウィザーズへ、カーター、マルチン・ゴルタット、ミカエル・ピートラスをフェニックス・サンズへ放出した。代わりにウィザーズからギルバート・アリーナスを、サンズからジェイソン・リチャードソン、ターコルー、アール・クラークを獲得するビッグトレードを行ったが、このトレードが失敗となり、プレーオフには第4シードで進出したが、1回戦で昨年スウィープしたアトランタ・ホークスに2勝4敗で敗れる結果となってしまった。
2011-2012シーズンは、ロックアウトで開幕が遅れ、チームはドワイト・ハワードの契約問題に振り回された。そのハワードは契約を1年延ばしトレード期限後もチームに残留したが、腰の故障に悩まされシーズン終盤とプレーオフを欠場。大黒柱を失ったチームが勝てるわけがなく、第6シードとなったチームは、1回戦でインディアナ・ペイサーズに1勝4敗で敗れシーズンを終えた。
シーズン終了後、ハワードはロサンゼルス・レイカーズ、フィラデルフィア・セブンティシクサーズ、デンバー・ナゲッツの4チーム12人が絡むトレードでレイカーズに放出され、アーロン・アフラロやアル・ハリントンらを獲得。チームは再建期に突入した。
2012-13シーズンは、スタン・ヴァン・ガンディヘッドコーチ、オーティス・スミスGMが解任され、ロブ・ヘニガン新GMのもと、ハワードをロサンゼルス・レイカーズに放出後、新ヘッドコーチに、サンアントニオ・スパーズからジャック・ヴォーンを迎え、騒動を一先ず収束させた。ネルソンとターコルー、J・J・レディック、グレン・デイビスの残留するところへ、中堅のアフラロ、ハリントン、ジョシュ・マクロバーツを補強し開幕を迎えた。シーズン後半に故障者が続出し最終的に、20勝しか挙げられずディビジョン最下位にまで沈んで、プレーオフ進出は逃したものの、ニコラ・ブーチェビッチらの成長は見られた。
チーム再構築
2013-14シーズンは、前年の戦績から、ドラフト2位指名権が得られ、名門インディアナ大学出身のビクター・オラディポを指名した。PG、SGの両方をこなすことができるオラディポは、新人王こそマイケル・カーター=ウィリアムスに譲ったものの、44試合に先発出場し、トリプルダブルも記録するなど、ルーキーイヤーとしては十分な活躍を見せた。しかしながら、戦績は23勝59敗と振るわずディビジョン最下位が続いた。
2014-15シーズンは、ネルソンとアフラロの放出、チャニング・フライとベン・ゴードン、ルーク・リドナー、ウィリー・グリーンらのベテラン勢の補強と、ドラフト4位指名で、アーロン・ゴードンを獲得し、これまでのチームカラーが薄まる形で開幕に臨んだが、チーム状況は好転せず、2015年2月5日にジャック・ヴォーンヘッドコーチは解任された。その後も調子は上がらず、25勝57敗止まりで3年連続で30勝に届かなかった。そして5月29日に、マジックOBでもあるスコット・スカイルズのヘッドコーチ就任が発表された。
スカイルズを新ヘッドコーチに迎えて挑んだ2015-16シーズンは、開幕当初は5割前後の戦いで踏ん張ってきたが、徐々に負け星が増え、トレード期限日の24勝30敗の時点でミルウォーキー・バックス時代からスカイルズと確執が根深かったトバイアス・ハリスをデトロイト・ピストンズに放出。結局はその後も調子は上がらず、前シーズンより10勝上積みしたのに止まり、35勝47敗で終え、スカイルズは5月12日に辞任を表明した。
スカイルズが辞任したマジックは、インディアナ・ペイサーズを躍進させたフランク・ヴォーゲルを新HCに招聘し、更に2016年のNBAドラフトでは、オクラホマシティ・サンダーを相手に大型トレードを敢行。サージ・イバーカを新たに獲得し、更にビスマック・ビヨンボ契約するなど、積極的に動いた。しかし、2016-2017シーズンも悪い流れは変わらず、トレード期限日にはイバーカをトロント・ラプターズに放出するなど、歯車は噛み合わず、29勝53敗で終了した。2017-18シーズンは、開幕当初は5割前後だが、その後大きな連敗し、さらに主力の怪我人が続出し最終的に25勝57敗で終え、ヴォーゲルはそのシーズン終了後に解任された。
スティーブ・クリフォードを新監督に添え、2018-19シーズンを迎えた。昨季よりも守備力が向上。カンファレンス7位でレギュラーシーズンを終え、7年ぶりにプレーオフ進出を果たした。ニコラ・ブーチェビッチはNBAオールスターゲームのリザーブに選ばれた。プレーオフでは、トロント・ラプターズとの1回戦で先に先手を取るも、その後4連敗で敗退した。ラプターズは2019年のNBAファイナル(英語版)で優勝した。
2020年代
2020-21シーズン、ジョナサン・アイザックが2020年8月に前十字靭帯断裂[4]、マーケル・フルツも開幕直後に前十字靭帯断裂で離脱した影響で低迷した[5]。更にトレード期限までに大型契約を抱えていたニコラ・ブーチェビッチ[6]、アーロン・ゴードン[7]、エバン・フォーニエらも放出[8]。スティーブ・クリフォードHCは解任された[9]。
シーズンごとの成績
Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率
シーズン
|
勝
|
敗
|
%
|
プレーオフ
|
結果
|
オーランド・マジック
|
1989-90 |
18 |
64 |
.220 |
|
|
1990-91 |
31 |
51 |
.378 |
|
|
1991-92 |
21 |
61 |
.463 |
|
|
1992-93 |
41 |
41 |
.500 |
|
|
1993-94 |
50 |
32 |
.610 |
1回戦敗退 |
ペイサーズ 3, マジック 0
|
1994-95 |
57 |
25 |
.695 |
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル(英語版)敗退 |
マジック 3, セルティックス 1 マジック 4, ブルズ 2 マジック 4, ペイサーズ 3 ロケッツ 4, マジック 0
|
1995-96 |
60 |
22 |
.732 |
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退 |
マジック 3, ピストンズ 0 マジック 4, ホークス 1 ブルズ 4, マジック 0
|
1996-97 |
45 |
37 |
.549 |
1回戦敗退 |
ヒート 3, マジック 2
|
1997-98 |
41 |
41 |
.500 |
|
|
1998-99 |
33 |
17 |
.660 |
1回戦敗退 |
シクサーズ 3, マジック 1
|
1999-2000 |
41 |
41 |
.500 |
|
|
2000-01 |
43 |
39 |
.524 |
1回戦敗退 |
バックス 3, マジック 1
|
2001-02 |
44 |
38 |
.537 |
1回戦敗退 |
ホーネッツ 3, マジック 1
|
2002-03 |
42 |
40 |
.512 |
1回戦敗退 |
ピストンズ 4, マジック 3
|
2003-04 |
21 |
61 |
.256 |
|
|
2004-05 |
36 |
46 |
.439 |
|
|
2005-06 |
36 |
46 |
.439 |
|
|
2006-07 |
40 |
42 |
.488 |
1回戦敗退 |
ピストンズ 4, マジック 0
|
2007-08 |
52 |
30 |
.634 |
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
マジック 4, ラプターズ 1 ピストンズ 4, マジック 1
|
2008-09 |
59 |
23 |
.720 |
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル(英語版)敗退 |
マジック 4, シクサーズ 2 マジック 4, セルティックス 3 マジック 4, キャブス 2 レイカーズ 4, マジック 1
|
2009-10 |
59 |
23 |
.720 |
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退 |
マジック 4, ボブキャッツ 0 マジック 4, ホークス 0 セルティックス 4, マジック 2
|
2010-11 |
52 |
30 |
.634 |
1回戦敗退 |
ホークス 4, マジック 2
|
2011-12 |
37 |
29 |
.561 |
1回戦敗退 |
ペイサーズ 4, マジック 1
|
2012-13 |
20 |
62 |
.244 |
|
|
2013-14 |
23 |
59 |
.280 |
|
|
2014–15 |
25 |
57 |
.305 |
|
|
2015–16 |
35 |
47 |
.427 |
|
|
2016–17 |
29 |
53 |
.354 |
|
|
2017–18 |
25 |
57 |
.305 |
|
|
2018–19 |
42 |
40 |
.512 |
1回戦敗退 |
ラプターズ 4, マジック 1
|
2019–20 |
33 |
40 |
.452 |
1回戦敗退 |
バックス 4, マジック 1
|
2020–21 |
21 |
51 |
.292 |
|
|
2021–22 |
22 |
60 |
.268 |
|
|
2022–23 |
34 |
48 |
.415 |
|
|
2023–24 |
47 |
35 |
.573 |
1回戦敗退 |
キャバリアーズ 4, マジック 3
|
通算勝敗 |
1,315 |
1,488 |
.469 |
|
|
プレーオフ |
62 |
78 |
.443 |
|
|
主な選手
現役選手
プレーヤー
|
スタッフ
|
|
記号説明
外部リンク
更新日:2024年10月1日
|
年代別主要選手
太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人 (75)…偉大な75人
1980年代
1990年代 (プレーオフ進出:5回 ファイナル進出:1回)
2000年代 (プレーオフ進出:7回 ファイナル進出:1回)
|
2010年代 (プレーオフ進出:4回)
2020年代 (プレーオフ進出:1回)
|
栄誉
コーチ、その他
歴代ヘッドコーチ
チーム記録
関連項目
脚注
- ^ “Orlando Magic Unveil New Logo”. NBA Media Ventures, LLC. (June 15, 2010). http://www.nba.com/magic/news/newlogo_unveiled_061510.html May 20, 2016閲覧. "The new logo incorporates the Magic's current jersey wordmark giving a more integrated look. It also continues the team's colors with the Magic blue, Magic black and Magic silver."
- ^ “Orlando Magic Reproduction Guideline Sheet”. NBA Properties, Inc.. December 22, 2017閲覧。
- ^ "Disney Believes in Magic". OrlandoMagic.com (Press release). NBA Media Ventures. 20 June 2017. 2017年12月17日閲覧。
- ^ “Jonathan Isaac Undergoes Successful Surgery to Repair Torn ACL”. NBA.com (August 7, 2020). August 7, 2020閲覧。
- ^ “Magic's Fultz suffers torn left ACL; season over” (英語). ESPN.com (7 January 2021). 7 January 2021閲覧。
- ^ “Bulls add Nikola Vucevic; Wendell Carter Jr., two first-round picks to Magic” (英語). www.nba.com. 2021年3月26日閲覧。
- ^ “Magic Acquire R.J. Hampton, Gary Harris and First Round Draft Pick From Nuggets” (英語). Orlando Magic. 2021年4月24日閲覧。
- ^ “Celtics Acquire Evan Fournier in Trade with Magic” (英語). SLAM (2021年3月25日). 2021年8月17日閲覧。
- ^ “Orlando Magic, Steve Clifford Mutually Agree to Part Ways”. NBA.com (June 5, 2021). July 4, 2021閲覧。
外部リンク