プレストン・クレイボーン
プレストン・マイケル・クレイボーン(Preston Michael Claiborne, 1988年1月21日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴プロ入り前2006年のMLBドラフト23巡目(全体680位)でピッツバーグ・パイレーツから指名されたが、契約せずにテュレーン大学に進学した。2007年から2010年の在学期間で84試合にリリーフとして登板した。また、大学時代はプロ入り後も共にプレーするロブ・セゲディンとチームメートだった。 プロ入りとヤンキース時代2010年のMLBドラフト17巡目(全体535位)でニューヨーク・ヤンキースから指名され、プロ入り。契約後、傘下のA-級スタテンアイランド・ヤンキースでプロデビュー。19試合に登板して1勝2敗2セーブ・防御率2.28・30奪三振の成績を残した。8月にA+級タンパ・ヤンキースへ昇格。5試合に登板して0勝1敗・防御率3.68・6奪三振の成績を残した。 2011年はA+級タンパでプレーし、38試合に登板して3勝7敗5セーブ・防御率3.11・75奪三振の成績を残した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、フェニックス・デザートドッグスに所属した。 2012年はAA級トレントン・サンダーでプレーし、30試合に登板して2勝2敗5セーブ・防御率2.22・49奪三振の成績を残した。6月にAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースへ昇格。20試合に登板して4勝0敗1セーブ・防御率4.05・29奪三振の成績を残した。 2013年は開幕をAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダース[1]で迎えたが、5月3日にヤンキースとメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[2]。5月5日のオークランド・アスレチックス戦でメジャーデビュー。同点の6回表から登板し、2回を無安打無失点に抑えた。この年は44試合に登板して0勝2敗・防御率4.11・42奪三振の成績を残した。 2014年3月26日にAAA級スクラントン・ウィルクスバリへ異動し、そのまま開幕を迎えた。4月20日にメジャーへ昇格。同日のタンパベイ・レイズ戦では、同点の延長11回裏から登板。2回を1安打無失点に抑え、メジャー初勝利を挙げた[3]。4月24日にAAA級スクラントン・ウィルクスバリへ降格した[4]が、4月27日にブルース・ビリングスが故障者リスト入りしたため、再昇格した。6月4日に再びAAA級スクラントン・ウィルクスバリへ降格。登録枠が拡大された9月2日に再昇格した[5]。この年は18試合に登板して3勝0敗・防御率3.00・16奪三振の成績を残した。オフの12月19日に戦力外となった[6]。 マーリンズ傘下時代2014年12月23日にウェイバー公示を経てマイアミ・マーリンズへ移籍した[7]。 2015年は40人枠には入ったものの、マイナー・オプションでAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズに配属された。肩のけがで故障者リストに入ったままマイナーでの登板もなくシーズンを終え、10月12日に40人枠から外れた[8]。 ジャイアンツ傘下時代2016年6月9日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ。傘下のAA級リッチモンド・フライングスクウォーレルズでプレーし、34試合に登板して2勝1敗3セーブ・防御率2.38・49奪三振の成績を残した。オフの11月7日にFAとなった[9]。 レンジャーズ時代2017年2月24日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ[10]。シーズンでは開幕から傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスでプレーし、6月22日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[11]。6月26日のクリーブランド・インディアンス戦に7回から登板したが2回を投げ3失点した[12]。6月29日にアンドリュー・キャッシュナーの故障者リストからの復帰に伴ってマイナー・オプションでAAA級ラウンドロックに降格し[13]、7月2日に戦力外、4日に40人枠外となった。レギュラーシーズン終了後の10月10日にFAとなった[9]。 インディアンス傘下時代2018年1月26日にインディアンスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[14]。12月2日にFAとなった[9]。 現役引退後2020年より、ニューヨーク・ヤンキース傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ヤンキース・ウエストの投手コーチに就任した[15]。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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