マドンナ・ルイーズ・チッコーネ (英語 : Madonna Louise Ciccone 、1958年 8月16日 - )は、アメリカ合衆国 のシンガーソングライター 、女優 。ミシガン州 ベイシティ 出身。堅信 名はヴェロニカ (英語 : Veronica )[ 7] 。
世界で最も成功を収めた女性音楽家であり[ 8] 、「クイーン・オブ・ポップ」 と称される[ 9] 。
史上最も売れたアーティスト の1人。作品の売上枚数は2億7000万[ 10] から3億枚以上[ 11] [ 12] とされ、『ギネス世界記録 』において「全世界で最も売れた女性レコーディング・アーティスト」そして「史上最も成功した女性アーティスト」として認定されている[ 8] [ 13] [ 14] 。2008年 にはロックの殿堂 入りを果たしている[ 15] 。
人物
1987年,Who’s That Girl World Tourでのマドンナ
1990年、Blond Ambition World Tourでのマドンナ
1980年代前半にニューヨークの盛り場からデビューを果たし、ミュージック・ビデオ という新たな表現方法を存分に取り入れた革新的なダンス音楽と、過激で性的な写象で国内外で爆発的な人気を獲得した。その影響力はファッションやカルチャーにまで及び[ 16] 、その後は時代に合わせて自身のスタイルの変化や様々な音楽性の取り入れなどを行いながら[ 16] 、現在に至るまでポップ・ミュージック界の重鎮として存在感を示している。活動は音楽に留まらず、音楽出版会社の設立や、映画や舞台への出演、成人向け 写真集『SEX 』の出版から児童書 の執筆、映画監督や化粧品の開発など多岐にわたる。
世界中で幾多の記録を達成し(en:List of Madonna records and achievements )、受賞歴も多数。MTV Video Music Awards では20の賞を受賞している[ 17] 。
ゲイ・アイコン の代表的な一人としても知られており、デビュー当初からLGBTQ の権利を主張したり支援活動を行ってきた[ 18] [ 19] 。
VH1 「音楽界で最も偉大な女性アーティスト」において第1位 [ 20] 。
「ビルボード の選ぶ歴史上最も偉大なHot 100女性アーティスト」において第1位[ 21] 。
「ビルボードの選ぶチャート史上最も成功したトップ100のアーティスト」で第2位[ 22] 。
「ローリング・ストーン 誌の選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」で第36位[ 23] 。
米国タイム 誌では「過去1世紀で最も影響力を持つ25人の女性」に選出[ 24] 。
「ホリデイ 」「ラッキー・スター 」「ボーダーライン 」「ライク・ア・ヴァージン 」「マテリアル・ガール 」「クレイジー・フォー・ユー 」「イントゥ・ザ・グルーヴ 」「パパ・ドント・プリーチ 」「オープン・ユア・ハート 」「ラ・イスラ・ボニータ 」「ライク・ア・プレイヤー 」「エクスプレス・ユアセルフ 」「ヴォーグ 」「ジャスティファイ・マイ・ラヴ 」「エロティカ 」「テイク・ア・バウ 」「フローズン 」「レイ・オブ・ライト 」「MUSIC 」「ドント・テル・ミー 」「ダイ・アナザー・デイ 」「アメリカン・ライフ 」「ハング・アップ 」など多数のヒット曲を持つ。
その活動は様々なアーティストに影響を与え、ブリトニー・スピアーズ (「ミー・アゲインスト・ザ・ミュージック 」)、カニエ・ウェスト (「ビート・ゴーズ・オン」)、マルーマ (「メデジン 」)、サム・スミス (「ヴァルガー 」)、ザ・ウィークエンド (「ポピュラー 」)など後進アーティストとのコラボレーションも積極的に行っている。
来歴
生い立ち
1958年 [ 25] 8月16日 、母の実家のあるアメリカ合衆国 ミシガン州 ベイシティのマーシー病院にて、8人兄妹の3番目として誕生。
父はイタリア系アメリカ人1世のシルビオ・チッコーネ(1931〜)、母はフランス系カナダ人 のマドンナ・ルイーズ・チッコーネ(1933〜63)。幼少期を同州ポンティアック市 で過ごした後、家族が増えたことにより同州ローチェスターヒルズ市 へ転居した。
父は、ゼネラルモーターズ のデザインエンジニア。実母は、マドンナが5歳の時乳癌 で死去し、父はほどなく再婚した。母の死や、父および継母との確執は彼女の心に大きな影響を及ぼし、後年「プロミス・トゥ・トライ」「オー・ファーザー 」などの楽曲のテーマとして歌われている。一方で弟や妹の面倒もよく見ていた。習い事を幼い頃からしており、最初はピアノを習っていたが、父親にバレエを習いたいと懇願し、変えてもらった。その後、モダンダンスやジャズダンスなどのダンスも習っている。
ミシガン大学 に進学したが中退し、1978年 、35ドルを持ってグレイハウンド の長距離バスで郷里を後にニューヨーク へ出発した。ニューヨーク到着後、タクシーの運転手にこの街で一番大きな場所へ行ってと言い、タイムズスクエア で降りたマドンナは「私はこの世界で神よりも有名になる」(神様と同じぐらい有名になるまで、私は幸せではない)と誓った。無名時代には生活のためにヌード・モデルを引き受けたりもしている。なお、ベジタリアン となったのは、ニューヨーク移住後である。
同年、ニューヨーク で、『パトリック・エルナンデス・レビュー』にダンサーとして出演。他にも数々の職に就く。この頃出演していた成人映画が有名になってからビデオで発売された。81年にソロとなり、ポップ・スターを目指すようになった[ 25] 。1982年にシングル「エヴリバディ 」でデビュー、翌年には初のアルバム『バーニング・アップ 』を発売する。
以降の経歴についてはマドンナの歌手活動の歴史 に詳しい。
私生活
1993年、The Girlie Showでのマドンナ
2回の結婚歴と離婚歴があり、最初の結婚相手は俳優のショーン・ペン で、その後の再婚相手は映画監督のガイ・リッチー 。マドンナはカバラ 教徒だったが、ガイ・リッチーはクリスチャンであり、離婚時にはガイ・リッチーに、マドンナ側が推定7600万〜9200万ドル(約60億〜72億円)を支払っている[ 26] 。1996年 10月14日に生まれた長女は「ルルド(英語読みでローデス)・マリア」と命名。2000年にガイとの間に第二子長男ロッコが誕生。その後マラウイ から養子を迎え現在は6人の子供の母親である。
慈善活動
マドンナは積極的に慈善活動やLGBTQコミュニティへの支援や社会問題への取り組みを行っており、2006年にはレイジング・マラウイ基金を設立[ 27] 。以下はその慈善活動の一部である。
エイズ 問題にいち早く積極的に取り組み、アルバム『ライク・ア・プレイヤー 』にはエイズへの正しい知識を呼びかけるライナーを封入[ 28] 。1987年のWho's That Girl World Tourでは7月13日のマディソン・スクエア・ガーデン公演をエイズ研究財団への寄付のために開催。収益の40万ドルを寄付した[ 29] 。更に陽性者への寄付金を集めるダンス・マラソンへの参加や予防の啓発も積極的におこなった[ 30] 。こういった活動の背景には友人をエイズで亡くしたことが影響している[ 29] 。
2006年、アフリカ孤児のために300万ドルを寄付[ 31] 。
2009年 4月、デイリー・メール紙の電子版によると、イタリア中部で起きた地震の被災者に50万ドル(日本円で約5,000万円)を寄付した。マドンナの父はイタリア系で地震が直撃したアブルッツォ地方の出身であり、インタビューで「わたしの祖先の街に喜んで援助の手を差し伸べるわ」と語っている[ 32] 。
2010年 1月、デイリー・ビースト のホームページが「2009年度に最も寄付金を集めたアーティスト」のランキングを発表し、マドンナはレイジング・マラウイ基金のために550万1,835ドル(約5億円)を集めて2位にランクインした[ 33] 。
同年、マラウイ共和国 で婚約式を行って14年の禁固刑に処されたゲイカップルのことを知ったマドンナが彼らを釈放するように署名運動を展開、その結果マラウイ政府は二人を釈放したが、これは同国で前例が見られないことだった[ 34] 。
2013年、フランスの画家フェルナン・レジェ の作品を所有していたマドンナは、その絵画をサザビーズ のオークションに出品、落札価格である 716万5,000ドルをアフガニスタンをはじめとする地域の子供たちの教育を支援する非営利団体に寄付している[ 35] 。
騒動
2001年、Drowned World Tourでのマドンナ
世界的に有名なポップ・スターであるマドンナは、その立ち振る舞いがたびたびマス・メディアに取り上げられている。21世紀には、コンサートの高額な入場料も話題になった。
2005年8月16日、イギリス・ロンドン郊外に所有する18億円の邸宅の庭で、47歳の誕生日プレゼントとして、当時の夫、ガイ・リッチー から贈られた馬に試し乗りをしていたところ落馬をし、全治3ヶ月の大怪我を負った。診断の結果、肋骨 3本にひびが入り、鎖骨 と手を骨折していたことが判明。すぐに病院に搬送されたが入院はせず、その日に治療を済ませて帰宅したという。医師は「マドンナさんは日ごろからヨガ で鍛錬しているため、回復も早いだろう」と語っていた。マドンナは骨折をしているにもかかわらず、事故の3日後にはロンドン市内のカバラ・センターから出てくるのを目撃されたり、携帯メーカーのモトローラ のCMの撮影も済ませるなど、超人並みなところを見せている。アルバム『Confessions On A Dance Floor 』のプロモーションにも支障は出なく、全世界でのメディアはマドンナの驚異的な回復に驚いた。因みに、病院で撮影されたレントゲン 写真8枚は、2006年「Confessions Tour 」で「ライク・ア・ヴァージン」を歌っている際に、演出としてスクリーンに映し出された[ 37] 。
2006年の「コンフェッションズ・ツアー 」の中で、マドンナは高さ6メートルの巨大十字架に自ら磔(はりつけ)となり1986年の大ヒット曲「リヴ・トゥ・テル 」を歌う演出が世界中の宗教団体から非難を浴びた。ヨーロッパ・ツアーの一環としてイタリア・ローマ公演の際、公演前からカトリック教会やイスラム教やユダヤ教指導者からの非難の声が続出。「無礼で悪趣味、かつ挑発的」、「神への冒涜に近い」とカトリック聖職者らは非難。更には、「国に帰ったほうがいい」とイスラム教やユダヤ教の指導者からも非難の声が出た。そんな中、8月6日のローマ公演での十字架パフォーマンスが非難を浴びる中で実施された。マドンナは、ローマ教皇 ベネディクト16世 を招待し、怒りを刺激。カトリック教会の中心地であるバチカン市国 からわずか1.6キロ離れたスタディオ・オリンピコに来た約7万人の観客は十字架に磔になったマドンナを見ることができた。
2021年、自身のインスタグラムに乳首 を露出した写真などを数点投稿したが、運営側から削除され、乳首を絵文字 で隠して再投稿。これについて自身が40年に渡り検問、性差別、年齢差別、女性蔑視を受けてきたとし、「女性が身体のあらゆる部分を見せるのに、なぜ乳首は駄目なの?」と意見した[ 38] 。
日本との関わり
2004年、Re-Invention World Tourでのマドンナ
マドンナの初来日を伝えるサンケイスポーツ 1984年12月17日付けには「(原文ママ )"ポップス界のマリリン・モンロー"の異名をとる米の美人歌手、マドンナが(1985年)1月20日、プロモーション のために初来日する。マドンナはデトロイト生まれの24歳。身長164cm、体重48kg。上から85–60–85というプロポーション の持ち主。昨年のデビューアルバムは全米で300万枚も売れて一躍スターの仲間入り。その上ゴシップ にもコトかかず、ニューヨークNO.1の音楽技師をはじめ、デュラン・デュラン のサイモン・ル・ボン 、ヴァン・ヘイレン のデイヴィッド・リー・ロス ら世界的な人気ロックスターと浮名を流してきた。現在の恋人はバスケットシューズ でおなじみ、コンバース の御曹司でギタリストのビリー・スクワイアとか。コケティッシュでセクシーなマドンナは自ら『マドンナの名にふさわしい生き方をしたいわ。シュービジネス史上でモンローのように人々の記憶に残る人間になりたい』と"ニュー・モンロー"宣言」などと書かれている[ 39] 。
また「ライク・ア・ヴァージン 」の日本語カバー版 が、吹田明日香 の歌唱で1984年12月21日にリリースされたが、発売元のワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン )が同年12月16日に六本木 のディスコ 「ピジャマ」で「ミス・ライク・ア・ヴァージン・コンテスト」という宣伝イベントを開催。「ライク・ア・ヴァージン」いう言葉がアメリカでは"イイオンナ"の代名詞 になっていると説明し、「ライク・ア・ヴァージン」いう言葉の浸透を目指して、全国各地でコンテストを行うと発表した。この日のコンテストでは、ミニスカート の太モモ に風船 をはさんでジャンプ一番パンクさせたり、バナナ をくわえてお色気たっぷりにディスコダンスを踊る者がいたり、意味不明のイベントだった[ 39] 。
来日ツアーの際に、名古屋 でコンサートを行わなかった(いわゆる名古屋飛ばし )大物ミュージシャンの事例で、しばしば彼女が引き合いに出される。
1970年代から1980年代にニューヨークで活動していた写真家 土井弘介はあるブロードウェイのショウビジネス関係者のパーティで、「ライク・ア・ヴァージン」でブレイクする直前の彼女と遭遇している。ワイルドでパンクっぽい女性がひときは目立っていたが、それが無名時代のマドンナであった。気さくに写真を撮らせてくれ、20枚ほど撮影した。その写真はのちに新潮社の写真情報誌「フォーカス」に掲載されることになった[ 40] 。
資産
2012年、The MDNA World Tourでのマドンナ
2008年 1月、米経済誌フォーブス誌 電子版が「2007年6月まで1年間で最も収入の多かった女性シンガー」のランキングを発表し、収入が7200万ドル (日本円で約76億円) で1位にランクインした[ 41] 。
2009年 4月、フォーブス誌は2008年度の「働き者のママ」のランキングを発表し、マドンナは2008年の推定収入が1億1,000万ドル(日本円で約110億円)で1位にランクインした。この収入はアルバム「ハードキャンディ」の売り上げとコンサートツアー、広告出演料などによるものである[ 42] [ 43] 。
2009年10月、サン紙 によると23歳のボーイフレンドのジェズス・ルスに不動産を買い与えるため物件を探しているという。不動産の条件は、ニューヨークのマドンナの豪邸から徒歩でいけることと、予算の170万ポンド(日本円で約2億5000万円)以内の物件であることらしく全額をマドンナが負担する[ 44] 。
2009年11月、カートゥーン・ネットワークが「未来のイギリスのトップセレブ」のランキングを発表し、マドンナとガイ・リッチーの息子のロッコ・リッチーがスター性、推定相続額、才能、カメラ好き度の4つのカテゴリーすべてで満点を獲得し、1位にランクインした。このランキングはセレブの子どもたちの20年後の総資産額を推定して作られたものでロッコが30歳になったときの総資産額は推定3億7600万ポンド(約560億円)になる。セレブ専門家のマーク・フリスは「ロッコは母親から巨額を相続し、父親からもかなりの額を相続します。しかし、彼が1位に輝いたのは他の3つのカテゴリーでのランキングによるものです」と語っている[ 45] 。
2009年 12月、BANG Media Internationalによると、ニューヨーク州 のハンプトン近郊に広さ30エーカー(約36000坪)のワイルド・オーシャン・ファーム・ランチという馬の牧場をカルバン・クライン の元妻ケリーから600万ポンド (日本円で約8億3000万円) で購入した。ワイルド・オーシャン・ファームは現在、品評会用の馬を訓練するために使われており、今後も馬用施設として営業することを条件にマドンナは購入を許された。ある関係者は「彼女は牧場が自分のものになったことを大喜びしています」と語っている[ 46] 。
2010年 12月、経済誌フォーブス誌 が「エンターテインメント業界で最も稼いだ人物」を発表し、5,800万ドル(日本円で約47億5,600万円)を稼いで15位にランクインした[ 47] 。
ディスコグラフィ
2004年、Re-Invention World Tourでのマドンナ
スタジオ・アルバム
『バーニング・アップ 』 - Madonna (1983年 )
『ライク・ア・ヴァージン 』 - Like a Virgin (1984年 )
『トゥルー・ブルー 』 - True Blue (1986年 )
『ライク・ア・プレイヤー 』 - Like a Prayer (1989年 )
『エロティカ 』 - Erotica (1992年 )
『ベッドタイム・ストーリーズ 』 - Bedtime Stories (1994年 )
『レイ・オブ・ライト 』 - Ray of Light (1998年 )
『ミュージック 』 - Music (2000年 )
『アメリカン・ライフ 』 - American Life (2003年 )
『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア 』 - Confessions on a Dance Floor (2005年 )
『ハード・キャンディー 』 - Hard Candy (2008年 )
『MDNA 』 - MDNA (2012年 )
『レベル・ハート 』 - Rebel Heart (2015年 )
『マダムX 』 - Madame X (2019年 )
ライブ
The Celebration Tour (2023年)
マドンナは、アルバム 発売後にワールド・ツアーを行なうことがほとんどで、2001年 の「ドラウンド・ワールド・ツアー」は、1993年 の「ザ・ガーリー・ショウ・ツアー」から8年後に行われた。1994年 にリリースされたアルバム『ベッドタイム・ストーリーズ 』の後にもツアーが予定されていたが、映画『エビータ 』の主演が決定したために中止されたという。2004年 の「リ・インヴェンション・ツアー 」では、10枚目のアルバム『アメリカン・ライフ 』からの楽曲のほかに、過去の楽曲も組み込まれた。2023年のThe Celebration Tour はキャリア41年目にして初の回顧録的ツアーとなった。
毎回、巨大セットにも注目が集まる。代表的なものとしては、1990年 の「ブロンド・アンビション・ツアー 」のオープニングで登場した工場をモデルにしたセット、2006年 の「コンフェッションズ・ツアー 」での2億円をかけたミラーボールと高さ6メートルの十字架 などがある。
ツアー
1985年「ザ・ヴァージン・ツアー 」(4月10日~6月11日 全40公演)
1987年「フーズ・ザット・ガール・ツアー 」(6月14日~9月6日 全41公演)
(日本/アメリカ/カナダ/イギリス/ドイツ/オランダ/フランス/イタリア)
日本では同じ年にツアーを行ったマイケル・ジャクソン と合わせ「M・M旋風」と呼ばれた。
1990年「ブロンド・アンビション・ツアー 」(4月13日~8月5日 全57公演)
(日本/アメリカ/カナダ/スウェーデン/フランス/イタリア/ドイツ/イギリス/オランダ/スペイン)
1993年「ザ・ガーリー・ショウ・ツアー」(9月25日~12月19日 全39公演)
(イギリス/フランス/イスラエル/トルコ/カナダ/アメリカ/プエルトリコ/アルゼンチン/ブラジル/メキシコ/オーストラリア/日本)
2001年「ドラウンド・ワールド・ツアー」(6月9日~9月15日 全47公演)
(スペイン/イタリア/ドイツ/フランス/イギリス/アメリカ)
2004年「リ・インヴェンション・ツアー 」(5月24日~9月14日 全56公演)
(アメリカ/カナダ/イギリス/アイルランド/フランス/オランダ/ポルトガル)
2006年「コンフェッションズ・ツアー 」(5月21日~9月21日 全60公演)
(アメリカ/カナダ/イギリス/イタリア/ドイツ/デンマーク/フランス/オランダ/チェコ/ロシア/日本)
2008~2009年「スティッキー&スウィート・ツアー 」
2012年「MDNAツアー 」(5月31日~12月22日 全88公演)
2015~2016年「レベル・ハート・ツアー」(2015年9月9日~2016年3月27日 全81公演)
2019~2020年「マダムXツアー」(2019年9月17日~2020年3月8日 全75公演)
2023〜2024年「ザ・セレブレーション・ツアー 」(2023年10月14日〜2024年4月 全78公演予定)
日本公演
1987年「フーズ・ザット・ガール・ツアー」
6月14(ツアー初日公演)・15日、大阪スタヂアム
6月21・22日、後楽園球場
東京公演初日6月20日の後楽園球場は雨天により中止となった。
1990年「ブロンド・アンビション・ツアー」
4月13(ツアー初日公演)~15日千葉マリンスタジアム(杮落とし)、4月20~22日 阪急西宮球場 、4月25~27日 横浜スタジアム
1993年「ザ・ガーリー・ショウ・ツアー」
12月7~9日、福岡ドーム
12月13・14・16・17・19日(ツアー最終公演)、東京ドーム
2005年 『コンフェッションズ・オン・ア・ダンス・フロア 』プロモーションライブ
2006年「コンフェッションズ・ツアー 」
2016年「レベル・ハート・ツアー 」
チャリティ・ライヴへの出演
2005年、「ライヴ8」でのマドンナ
1985年「ライヴ・エイド」
マドンナは、アメリカのフィラデルフィアにあるJFKスタジアム からの出演となった。「ラブ・メイクス・ザ・ワールド・ゴー・ラウンド」はこのライヴ・エイドのために制作された楽曲で、後に3rdアルバム『トゥルー・ブルー 』に収録された。
2005年「ツナミ・エイド:ア・コンサート・オブ・ホープ」
2004年12月下旬にスマトラ島沖地震 により発生した津波で被害を受けた被災地を救うために放送された番組にマドンナはロンドンのスタジオから出演。前年に行なった自身のツアーでも披露した「イマジン」を歌唱。
2005年「ライヴ8」
最大のチャリティ・ライヴ。マドンナはロンドンのハイド・パークから出演。聖歌隊やダンサーを従え、自身の代表曲を歌唱した。「Like A Prayer ライク・ア・プレイヤー 」では飢餓によって危険な状態だったとこから奇跡的に助かった女の子が登場し、マドンナと手をつないで歌った。
2007年「ライヴ・アース」
地球温暖化の問題を訴えかけるために開催された「ライヴ・アース」 にマドンナはロンドンのウェンブリー・スタジアム から出演。「ヘイ・ユー」は、このライヴのために制作されたチャリティソングで、ダウンロードのみでの公開となった。「ラ・イスラ・ボニータ」ではニューヨークのバンド、ユージン・ハッツ とのコラボが実現。「レラ・パラ・トゥーテ」という曲をミックスさせたアレンジで披露した。
2010年「ホープ・フォー・ハイチ・ナウ」
ハイチ大地震の救済のために放送されたチャリティ番組で、マドンナは聖歌隊をバックにアコースティックヴァージョンを披露した。
使用機材
ギター
エレクトリック・ギターを弾くマドンナ (2006年)
アコースティック・ギターを弾くマドンナ(2001年)
『ドラウンド・ワールド・ツアー』から、マドンナはダンスのほかにギターを使用したステージも披露している。
★エレクトリック・ギター
バーニング・アップ(リ・インヴェンション・ツアー 、レベル・ハート・ツアー)
レイ・オブ・ライト(コンフェッションズ・ツアー 、スティッキー&スウィート・ツアー )
キャンディ・パフューム・ガール(ドラウンド・ワールド・ツアー)
マテリアル・ガール(リ・インヴェンション・ツアー)
アイ・ラヴ・ニューヨーク(コンフェッションズ・ツアー)
ヒューマン・ネイチャー (スティッキー&スウィート・ツアー)
ボーダーライン(スティッキー&スウィート・ツアー)
ハング・アップ(スティッキー&スウィート・ツアー)
アイ・ドント・ギヴ・ア (MDNAツアー )
ターン・アップ・ザ・ラジオ(MDNAツアー)
アイム・ア・シナー(MDNAツアー)
★アコースティック・ギター
アイ・ディザーブ・イット(ドラウンド・ワールド・ツアー)
シークレット(ドラウンド・ワールド・ツアー)
ラ・イスラ・ボニータ (ドラウンド・ワールド・ツアー)
ナッシング・フェイルズ(リ・インヴェンション・ツアー)
マザー・アンド・ファザー(リ・インヴェンション・ツアー)
パラダイス (ノット・フォー・ミー)(コンフェッションズ・ツアー)
マイルズ・アウェイ (スティッキー&スウィート・ツアー)
レベル・ハート(レベル・ハート・ツアー)
映画
2012年、トロント国際映画祭でのマドンナ
映画解説
以上がマドンナが出演、または監督してきた映画である。最悪の映画を選ぶゴールデンラズベリー賞 (ラジー賞) の常連でもある。最悪主演女優賞は 『上海サプライズ』 『フーズ・ザット・ガール』 『BODY/ボディ』 『2番目に幸せなこと』 『スウェプト・アウェイ』 の5回(『スウェプト・アウェイ』 は最悪スクリーンカップル賞も)、これに最悪助演女優賞の 『フォー・ルームス』 『007 ダイ・アナザー・デイ』、2000年の特別賞としての20世紀最悪主演女優賞とあわせて9回の受賞歴がある。その一方で、歌唱力を生かした『エビータ』のエバ・ペロン役ではゴールデングローブ賞の女優賞を獲得するなど[ 50] 、真っ当な評価を受けた。
初監督作品『ワンダーラスト』はロンドンを舞台とする群像劇で、2008年に制作・公開され、日本では2009年1月に公開された。監督第2弾作品『W.E.』は全米で2012年2月(イギリス2012年1月)、日本では2012年11月に『ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋』の邦題で公開された。
書籍
写真集
1993年、The Girlie Showでのマドンナ
1992年 に発売されたヌード 写真集。ヘア は無修正。
絵本
『イングリッシュ ローズィズ』(2003年、日本語訳:江國香織 、イラスト:ジェフリー・フルビマーリ )ホーム社 ・集英社
30か国語で翻訳され、100か国以上で発売、ニューヨーク・タイムズ のベストセラーリスト(児童書部門)で1位、その他の国でも増刷されるなどの売れ行きを記録[ 51] 。
『ピーボディ先生のりんご』(2004年、日本語訳:村山由佳 )ホーム社・集英社
『ヤコブと七人の悪党』(2004年、日本語訳:角田光代 、イラスト:ガナディ・スピリン) ホーム社・集英社
『アブディーの冒険物語』(2005年、日本語訳:小沢征良 )ホーム社・集英社
『オカネ・モッチャが見つけたしあわせ』(2005年、日本語訳:井上荒野 、イラスト:ルイ・パイシュ)ホーム社・集英社
『イングリッシュ・ローズィズ2』(2007年、日本語訳:江國香織、イラスト:ステイシー・ピーターソン)ホーム社・集英社
受賞・記録
「The Celebration Tour」(2023年)
以下は一部、詳細はen:List of awards and nominations received by Madonna とen:List of Madonna records and achievements を参照。
グラミー賞
[ 52]
1992年
Best Music Video - Long Form (Blond Ambition Tour)
1999年
Best Pop Album (Ray of Light )
Best Short Form Music Video (Ray of Light)
Best Recording Package for Art
2000年
Best Song Written for a Motion Picture (Beautiful Stranger)
2001年
Best Recording Package (Music)
2007年
記録
全英シングルチャートNo.1獲得数(女性ソロアーティスト歴代1位): 13作[ 53]
全米シングルチャートTOP10獲得数(アーティスト歴代1位): 37曲
5年代連続全米シングルチャート(Hot 100)入り[ 54]
ポップ・ミュージック史上アルバムNo.1最多獲得国数: 40ヶ国(Confessions On A Dance Floor/2005年)[ 55]
ポップ・ミュージック史上シングルNo.1最多獲得国数: 43ヶ国(Hung Up/2005年)
全米アルバムチャートNo.1獲得数(女性ソロアーティスト歴代2位): 7作
日本でのアルバムチャート3年代連続1位(1989: Like A Prayer, 1990: I'm Breathless, 2008: Hard Candy)[ 56]
ツアー興行収入最高記録: 4億800万ドル(Sticky & Sweet Tour/2008年~2009年)
全米シングルチャートで最高位が1位から10位迄の楽曲を保持する、希有な記録もある。
日本ゴールドディスク大賞
1986年(第1回)
1989年 (第4回)
1990年(第5回)
1992年(第7回)
2008年(第23回)
アーティスト・オブ・ザ・イヤー(洋楽部門)
「着うた」ソング・オブ・ザ・イヤー(洋楽部門)・・・「マイルズ・アウェイ 」
「着うたフル」ソング・オブ・ザ・イヤー(洋楽部門)・・・「マイルズ・アウェイ」
PC配信ソング・オブ・ザ・イヤー(洋楽部門)・・・「マイルズ・アウェイ」
ザ・ベスト3アルバム・・・「ハード・キャンディー 」
実績として、アルバム「ハード・キャンディー」が31万4595枚。配信が1,005,523DLだった。
その他
2004年
2011年 2月、Closerマガジンによると、恋人のブラヒム・ザイバットとベルリン にあるソーホーホテルに宿泊した際に1万5,000ユーロ (日本円で約165万円) を支払って、部屋の改装を要求したという。ホテルの関係者の話ではマドンナは「誰かが以前に使用した部屋には泊りたくない!」というのが持論らしく、新しいベッド、新しい照明器具、壁の塗り替えなど部屋の大改装を事前に要求していたという[ 57] 。
2020年 4月30日 、世界的に2019新型コロナウイルス の感染が広がる中、インスタグラム に動画 を投稿。ウイルス の感染歴を調べる抗体 検査の結果が陽性だったと明らかにした[ 58] 。
脚注
注釈
出典
^ a b Erlewine, Stephen Thomas . “Madonna Biography ”. AllMusic . RhythmOne. 2020年12月7日 閲覧。
^ courtneyb (28 June 2023). "Pop Singer Madonna Rushed To The Hospital After A 'Bacterial Infection' " . The Source . The NorthStar Group. 2024年4月21日閲覧 。
^ “Madonna's 100 Greatest Songs (Critics' Pick) ”. Billboard (2023年8月16日). 2024年4月21日 閲覧。
^ Slant Staff (2023年7月26日). “Madonna’s Debut Album at 40: Every Track Ranked ”. Slant Magazine . 2024年4月21日 閲覧。
^ Kaufman, Gil (12 January 2000). "Madonna Turns Up Electronica For Next LP, Producer Says" . MTV News . MTV Networks. 2024年4月21日閲覧 。
^ “Libraries Australia Authorities - Madonna ”. National Library of Australia . 2020年12月7日 閲覧。
^ a b Newman, Vicki (2023年10月25日). “Madonna cements status as biggest-selling female recording artist of all time ”. Guinness World Records. 2024年12月17日 閲覧。
^ Minella, Bethany (2024年11月12日). “Madonna: How the Queen Of Pop behind Like A Virgin defined an era ”. Sky News. 2024年12月9日 閲覧。
^ “Madonna: healthy pop star admits to 'weakness' for sticky toffee pudding” (英語). (2011年9月9日). ISSN 0307-1235 . https://www.telegraph.co.uk/news/celebritynews/8751794/Madonna-healthy-pop-star-admits-to-weakness-for-sticky-toffee-pudding.html 2019年5月17日 閲覧。
^ Guibourg, Clara (2018年8月15日). “Madonna at 60: The Queen of Pop in seven charts” (英語). https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-45112992 2019年5月17日 閲覧。
^ Candice Marshall (2015年6月22日). “Madonna heading back to Australia after 23-year break ” (英語). ABC News . 2019年5月17日 閲覧。
^ ギネス・ワールド・レコーズ/Top Selling Female Recording Artist ギネス・ワールド・レコーズ (参照: 2011年12月19日)
^ Bowman, Edith; Sellars, Peter "BBC World Visionaries: Madonna Vs. Mozart" 英国放送協会 2007年5月26日。(参照: 2008年5月12日)
^ Madonna - Rock & Roll Hall of Fame
^ a b “60 Times Madonna Changed Our Culture ”. The New York Times (2018年8月16日). 2024年12月12日 閲覧。
^ “63歳マドンナ惜しげもなくボンデージ姿披露 「お尻」トレンド入り ”. 日刊スポーツ (2021年9月13日). 2021年9月13日 閲覧。
^ Rude, May (2023年8月16日). “5 Times Madonna Was the Ultimate Gay Icon ”. Out. 2024年12月9日 閲覧。
^ Virtel, Louis (2017年6月6日). “10 Reasons Madonna Is An Eternal Inspiration to the LGBTQ Community ”. Billboard. 2024年12月9日 閲覧。
^ VH1's 100 Greatest Women In Music VH1 、2012年 (参照: 2012年6月7日)
^ “Greatest of All Time Hot 100 Women Artists ”. Billboard. 2024年12月9日 閲覧。
^ Hot 100 55th Anniversary By The Numbers: Top 100 Artists Billboard 、2013年 (参照: 2013年8月30日)
^ 100 Greatest Artists of All Time Rolling Stone 、2011年 (参照: 2013年8月30日)
^ Castillo, Michelle (2010-11-18). "The 25 Most Powerful Women of the Past Century: Madonna (1958–present)". Time. (参照: 2011年12月8日)
^ a b “Madonna - Age, Children & Life ”. Biography . A&E Television Networks (2017年4月27日). 2020年12月7日 閲覧。
^ “メル・ギブソン以外にもこんなにいた! ハリウッド離婚慰謝料高額ランキング” . マイナビニュース (マイナビ ). (2011年12月27日). https://news.mynavi.jp/article/20111227-a063/ 2020年12月7日 閲覧。
^ Nelson, Jeff (2017年9月16日). “How Madonna Is Raising Malawi: Inside Her Tireless Work Helping Children and Fighting Poverty in Africa ”. People. 2024年12月12日 閲覧。
^ Turner, Christopher (2022年8月16日). “Looking Back At “The Facts About AIDS” Card Insert Madonna Included With Her ‘Like A Prayer’ Album ”. IN Magazine. 2024年12月12日 閲覧。
^ a b Theil, Michele (2024年12月23日). “Madonna was inspired to become AIDs activist after the death of gay friend ”. ThePinkNews. 2025年1月19日 閲覧。
^ Wakefield, Lily (2022年2月9日). “Madonna gives perfect answer to rumours she had HIV in throwback video ”. ThePinkNews. 2024年12月12日 閲覧。
^ Luscombes, Belinda (2006年8月3日). “Exclusive: Madonna Speaks About Her “Big, Big Project” ”. Time. 2025年1月19日 閲覧。
^ “マドンナ、イタリア中部地震の被災者に寄付” . シネマトゥデイ. (2009年4月9日). https://www.cinematoday.jp/news/N0017637 2011年9月7日 閲覧。
^ “2009年に最も寄付金を集めたのは、総額約8億5000万円のジャスティン・ティンバーレイク!” . シネマトゥデイ. (2010年1月4日). https://www.cinematoday.jp/news/N0021617 2011年9月7日 閲覧。
^ Kreps, Daniel (2010年6月2日). “Madonna Celebrates “Historic” Pardoning of Gay Malawi Couple ”. Rolling Stone. 2025年1月19日 閲覧。
^ “54歳の歌姫はチャリティーも恋も絶好調”. ニューズウィーク 日本版(2013年5月21日号) . 阪急コミュニケーションズ. (2013-05-14). p. 24.
^ “Madonna announces Nashville stop on Celebration Tour with proceeds going to trans rights organizations after Tennessee passes two bills targeting LGBTQ+ community ”. Daily Mail Online (2023年3月27日). 2025年1月19日 閲覧。
^ 2006年10月号「日経エンタテインメント!」
^ Khomani, Nadia (2021年11月26日). “Madonna criticises Instagram for taking down nipple photo ”. The Guardian. 2024年12月12日 閲覧。
^ a b “マドンナが来る!ポップス界の"モンロー"/お色気競う ミニの太ももに風船はさみ”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社 ): p. 13. (1984年12月17日)
^ “土井弘介 ニューヨーク時代を語る|ジルベルト、ダリ、マドンナ、ウォーホルを撮った日本人・写真家 土井弘介のニューヨーク ”. ジルベルト、ダリ、マドンナ、ウォーホルを撮った日本人・写真家 土井弘介のニューヨーク (2019年2月12日). 2024年8月19日 閲覧。
^ “過去1年で最も稼いだ女性歌手、76億円でマドンナ=米誌 ”. ロイター (2008年1月31日). 2012年7月10日 閲覧。
^ “マドンナ、「最も働き者のママ」に選ばれる” . シネマトゥデイ. (2009年4月27日). https://www.cinematoday.jp/news/N0017852 2011年7月27日 閲覧。
^ “ハリウッドで最も稼ぐ「ママ」はマドンナ=米誌 ”. ロイター (2009年4月26日). 2012年7月10日 閲覧。
^ “マドンナ、23歳のボーイフレンドに2.5億円のマンション買い与える?” . シネマトゥデイ. (2009年10月8日). https://www.cinematoday.jp/news/N0020082 2011年6月15日 閲覧。
^ “マドンナの息子ロッコくん30歳の時の総資産額は推定560億円!未来のセレブ1位に決定! ”. シネマトゥデイ (2009年11月20日). 2012年7月10日 閲覧。
^ “マドンナ、8億3000万円でニューヨークに馬の牧場を購入 ”. シネマトゥデイ (2009年12月30日). 2012年7月10日 閲覧。
^ “今年エンターテインメント業界で最も稼いだ人物決定!2位にジェームズ・キャメロンで約172億円! ”. シネマトゥデイ (2010年12月28日). 2012年7月10日 閲覧。
^ マドンナ降臨! 和風演出で2万人魅了 10年ぶり来日公演 - オリコンスタイル
^ a b c d e 「Videoまにあっく 『またまた騒がせちゃってゴメン。裁判事件まで起こしたマドンナ18才の初主演ポルノ(?)ついに日本上陸』」『シティロード 』1985年11月号、エコー企画、75頁。
^ “Evita ”. Golden Globes. 2025年1月15日 閲覧。
^ “Madonna’s book, The English Roses, debuts at No. 1 on The New York Times children’s’ best-seller list ”. Sanoma (2003年10月2日). 2025年1月15日 閲覧。
^ “Madonna ”. GRAMMY.com. 2025年1月15日 閲覧。
^ “Madonna scores 13th Number One ”. NME (2008年4月20日). 2025年1月15日 閲覧。
^ Trust, Gary (2023年6月13日). “Madonna Joins Elite Company With Hot 100 Hits in Five Distinct Decades, Thanks to ‘Popular’ Debut ”. Billboard. 2025年1月15日 閲覧。
^ “Once Upon a Time in the Top Spot: Madonna, Confessions on a Dance Floor ”. Rhino (2014年11月20日). 2025年1月15日 閲覧。
^ ““木村首相”効果!? 女王マドンナが約18年ぶり1位 ”. ORICON (2008年5月6日). 2025年1月15日 閲覧。
^ “マドンナ、ホテル宿泊に165万円で改装要求!「誰かが使用した部屋は泊りたくない!」 ”. シネマトゥデイ (2011年2月23日). 2012年7月10日 閲覧。
^ “米歌手マドンナさん抗体検査で陽性 「あすはドライブ」 ”. 時事通信 (2020年5月1日). 2020年5月1日時点のオリジナル よりアーカイブ。2020年5月10日 閲覧。
参考文献
関連項目
西邨マユミ - 約10年に渡り専属シェフを務めた。
外部リンク
シングル
1980年代
1990年代
90年 91年 92年 93年 94年 95年 96年 97年 98年 99年
2000年代
00年 01年 02年 03年 05年 06年 07年 08年 09年
2010年代
2020年代
スタジオ・アルバム ベスト・アルバム サウンドトラック リミックス・アルバム ライヴ・アルバム ライブ・ビデオ ヴィデオ・クリップ集 コンサートツアー 出演映画 楽曲 関連人物 関連項目
カテゴリ
1950–1960 1961–1980 1981-2000 2001–2020 2021–2040
第1回 - 第10回 (1987年 - 1996年)
第11回 - 第20回 (1997年 - 2006年)
第21回 - 第30回 (2007年 - 2016年)
第31回 - (2017年 - )