マルコ・マイケル・アンドレッティ (Marco Michael Andretti, 1987年3月13日 - ) は、アメリカのレーシングドライバー。アメリカン・モータースポーツ界随一の名門アンドレッティ・ファミリーのホープであり、1991年のCARTチャンピオン、マイケル・アンドレッティを父に、1978年のF1ワールドチャンピオン、マリオ・アンドレッティを祖父に持つサラブレッド。2006年よりアメリカのトップフォーミュラであるインディカー・シリーズに参戦している。身長168cm、体重61kg。
初期のキャリア
1997年にカートをはじめ、さまざまなシリーズで勝利を積み重ねて2003年に四輪に転向。スキップ・バーバー・ナショナルシリーズに参戦していきなり8勝をあげると、翌2004年には同シリーズに加えフォーミュラ・ダッジ・サザン・シリーズ、フォーミュラTR1600プロシリーズの3シリーズでチャンピオンとなる。さらに2005年インディカー・シリーズ直下のカテゴリーであるインディ・プロ・シリーズにステップアップすると、わずか6戦の出走ながら3回のポールポジションと3つの勝利を手にする活躍を見せて、翌年18歳にして父がオーナーとして名を連ねる強豪アンドレッティ・グリーン・レーシング(AGR)のシートを獲得、一気にアメリカン・トップフォーミュラにまで上り詰めた。
インディカー・シリーズ
2006年
AGR期待のルーキーとしてカーナンバー26をつけてシーズンフル参戦。初戦〜2戦目はリタイアに終わったものの第3戦もてぎで12位完走し、続く第4戦インディ500では激闘の末2位フィニッシュを果たす(後述)。その後も着実にポイントを重ねていくと、8月27日の第13戦インフィニオン・レースウェイで初優勝。19歳5ヵ月14日での勝利でインディカー史上最年少優勝記録を更新した。最終的にこの年は325ポイントでランキング7位。ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いている。
2007年
前年に才能を見せつけ飛躍を期待されたが、突如としてドライビングから安定性が消え、全17戦のうち5戦連続を含む10回のDNFを記録する期待はずれのシーズンを過ごす。第8戦アイオワ・スピードウェイと第13戦ミシガン・インターナショナル・スピードウェイでこそ2位表彰台を獲得したものの、第15戦〜最終戦でも3連続リタイアを喫してシーズンを終えることとなり、結局350ポイントでランキング11位にとどまった。
2008年
引き続きAGRをドライブ。開幕戦のホームステッド=マイアミ・スピードウェイでいきなり予選4番手から2位フィニッシュしてキャリア2勝目を予感させる幸先のいいスタートを切る。その後も第6戦インディ500で3位入賞、第7戦ミルウォーキー・マイルでは自身初となるポールポジションを獲得するなど局面での速さは見せたが、しかしその反面第13戦エドモントンでチームメイトのダニカ・パトリックと接触事故を起こすなどアクシデントの多さも相変わらずで、17戦中リタイア7度を数えた。結局ラップリード330周を記録しながらこの年も勝利を挙げることはできず、396点でランキング7位、チーム内ではルーキーの武藤英紀こそ上回ったものの、トニー・カナーンやダニカの後塵を拝す結果となった。
2009年
引き続きAGRをドライブ。しかしテキサス・モーター・スピードウェイで4位になったのが最高で、チームの中でただ1人表彰台にさえ上ることはなかった。ランキングは武藤を上回ったものの、8位にとどまる。
2010年
AGR改めアンドレッティ・オートスポーツで引き続きドライブ。前年よりは復調し、何度か優勝争いに絡み、インディ500を含む3度の3位を獲得するも、優勝にはまたも手が届かなかった。ランキングは前年と同じ8位。
2020年
アンドレッティ・ハータ・オートスポーツで引き続きドライブ。インディ500ではアンドレッティ家として1987年の祖父マリオ以来33年ぶりのポールポジションを獲得した。
2021年
2021年1月、アンドレッティはフルタイムのインディカーレースから「離れる」ことを発表。シーズンフルエントリーは前年2020年シーズンが最後となった。テストとマシン開発の役割でアンドレッティオートスポーツチームと協力関係は継続され、2021年インディアナポリス500にはスポット参戦、19位で完走した。翌2022年以後もインディ500にのみスポット参戦する体制となった[1]。
2006年インディ500
ルーキーとして臨んだ2006年のインディアナポリス・モーター・スピードウェイにおいて、予選9番手を獲得。決勝でも並み居る強豪に臆することなくバトルを繰り広げ、残り3周となる198周目、父マイケルを抜き去ってトップに立つ。そこから2周をリードしてルーキーウィンと父子1-2フィニッシュの大記録を目前にしたが、ファイナルラップで父ともどもサム・ホーニッシュJr.に抜かれ2位でレースを終えた。特にマルコは最後のターン4までトップに立っていながらチェッカー寸前でかわされ、フィニッシュでのホーニッシュとマルコの差は0.0635秒。インディ500史上2番目に小さいタイム差での決着であった。
レース成績
A1グランプリ
(太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
アメリカン・オープンホイール
インディカー・シリーズ
年
|
チーム
|
出走数
|
ポールポジション
|
勝利数
|
入賞数 (Non-win)**
|
トップ10 (Non-podium)***
|
インディ500 勝利数
|
シリーズチャンピオン
|
15
|
1
|
248
|
6
|
2
|
42
|
107
|
0
|
0
|
インディ500
フォーミュラE
ル・マン24時間レース
参照
外部リンク