ロイ・ジョーンズ・ジュニア (Roy Jones Jr.、1969年 1月16日 - )は、アメリカ合衆国 の元男性 プロボクサー 。フロリダ州 ペンサコーラ 出身[ 1] 。元WBA世界ヘビー級王者。元IBF世界ミドル級王者。元IBF世界スーパーミドル級王者。元WBAスーパー・WBC・IBF世界ライトヘビー級統一王者。ボブ・フィッシモンズ に続き、ミドル級 出身でヘビー級 の王座を獲得した史上2人目のボクサー。ミドル級、スーパーミドル級 、ライトヘビー級 、ヘビー級の4階級を制覇し、長きに渡りパウンド・フォー・パウンド 最強と目されていた名選手[ 2] 。プロモーターとしてロイ・ジョーンズ・ジュニア・ボクシング・プロモーションズを主宰している[ 3]
人物
ボクシング史上最高の身体能力を持つ選手との呼び声が高い。重量級としては破格のスピードを活かしたイマジネーション溢れる攻撃が特徴で、瞬間を捉える能力は他の追随を許さなかった。防御勘にも長けており、腕を後ろに回してラッシュをかわしたり、余裕を見せ試合中に対戦相手を煽ったりと客の心を掴む術も一流だった。また、手数は単発傾向にあるものの、オフェンスは的確で多彩であり、特にジャブとダイレクトブローが冴え、飛び込みざまの左フック、顔面とボディの急所を的確に打ち抜くコンパクトなコンビネーションを得意としていた。
ボクシング以外のスポーツにも優れ、ユナイテッド・ステイツ・バスケットボール・リーグ(United States Basketball League、米合衆国の独立リーグ)でプレーしていたことがあり、バスケットボールの試合に出場した日の夜にボクシングの試合に出場して世界王座を防衛したこともある。また選手活動と並行して、ミュージシャンとして複数のヒップホップCDをリリース(歌い手だけでなく「Body Head Entertainment」という音楽レーベルを経営していたこともある)したり、HBO のボクシング中継番組ワールドチャンピオンシップボクシング の解説やプロモーターとして自身のボクシング興行会社を主催するなど多彩な才能を持つ。
来歴
ボクサーの家系に生まれる。父親のロイ・ジョーンズ・シニアもマービン・ハグラー と対戦経験があるプロボクサーだった。
アマチュア時代
1988年 10月2日、ソウルオリンピック ライトミドル級 に出場。決勝戦で地元・韓国の朴時憲 と対戦。2Rには一つスタンディング・ダウンを奪い、有効打も86対32と圧倒した[ 1] ものの、不可解な判定により2-3で負けて銀メダリスト となった[ 1] 。モロッコ 、ウガンダ 、ウルグアイ の審判は韓国選手支持の判定を行ったが、モロッコの審判はこの時の判定についてアメリカ選手が勝つのは確実と思ったため自分が韓国選手支持の判定をしても4-1でアメリカ選手が勝つだろうと思い開催国に配慮した判定をしたと語った[ 1] 。なおこの時の審判3人はつたない判定を理由にその後2年間の資格停止処分を受けた[ 1] 。同年9月にモスクワで行われた世界選手権の審判13人も同様の理由で資格停止となった[ 1] 。文句なしの勝利を確信していたジョーンズは泣き崩れ、記者会見でも泣きながら「盗まれた金メダルを返してほしい」と訴えたことから、「盗まれた金メダル事件」として知られる。ジョーンズは、オリンピックボクシングの最優秀選手に贈られるヴァル・バーカー・トロフィー を授与されている(通常は金メダルを獲得した選手に贈られる)。翌年この試合の審判5人のうち3人が韓国に買収されていたことが、国際アマチュアボクシング連盟(AIBA)が開いた会議で暴露されている。この採点問題は、アマチュアボクシングの採点システムが変更されるきっかけとなった。
プロ時代
1989年 5月7日、プロデビュー。
1993年 5月22日、プロキャリア22戦目で自身初の世界タイトルマッチとして、バーナード・ホプキンス とIBF 世界ミドル級 王座決定戦で対戦。12回判定で下し、王座獲得。試合前に右手を骨折した状態で試合に臨んでおり、試合当日の体重はホプキンスより16ポンド重かった。同王座は1度防衛後に返上し階級を上げた。
1994年 11月18日、IBF世界スーパーミドル級王者ジェームズ・トニー と対戦。戦前の予想ではわずかにジョーンズの不利予想となっていたが、3回にダウンを奪うなど圧倒し、12回大差の判定(119–108、118–109、117–110)で下し、王座獲得。2階級制覇に成功した。初敗北を喫したトニーは後日、インタビューで減量苦で計量直前まで利尿剤と下剤を使って減量をしておりコンディションが最悪だったと語っている。同王座は5度防衛後に返上。
1996年 11月22日、WBC世界ライトヘビー級 暫定王座 決定戦でマイク・マッカラム を12回判定で下し王座を獲得し、3階級制覇を達成した。後に正規王者に昇格。ジョーンズはこの試合でファイトマネーを280万ドル、マッカラムは75万ドル稼いだ。
1997年 3月21日、モンテル・グリフィン と対戦。8回終了時の判定で75-76、77-75、76-75とジャッジ2者がジョーンズ支持、1者がグリフィン支持と、ジョンズがわずかにリードしていたが、9回グリフィンがダウンしたところに攻撃してしまったために失格負けとなり初防衛に失敗、王座陥落とともにプロキャリア初黒星となった。
1997年 8月7日、WBC世界ライトヘビー級王者モンテル・グリフィン とダイレクトリマッチで対戦。左フックで開始早々18秒でグリフィンをロープに吹っ飛ばして最初のダウンを奪い、最後は左アッパーで倒し1回2分31秒KOで下し、王座を奪回。ジョーンズとグリフィンの両方が150万ドルのファイトマネーを稼いだ。
その後、ヘビー級 転向を表明したものの、翌1998年 にヘビー級転向を撤回。ジョーンズのヘビー級転向表明を受けて、同年3月21日に空位となったWBC世界ライトヘビー級王座決定戦でマイケル・ナン に判定勝ちを収めたグラシアノ・ロッシジャーニ をWBCはWBC世界ライトヘビー級王座の新王者に認定したが、ジョーンズがヘビー級転向を撤回するとWBCはWBC世界ライトヘビー級王座をジョーンズに戻し、ジョーンズをWBC世界ライトヘビー級正規王者 とし、ロッシジャーニをWBC世界ライトヘビー級暫定王者 とする措置を取った為、ロッシジャーニがWBCを訴え訴訟問題に発展した。
1998年7月18日、WBA 世界ライトヘビー級王者のルー・デル・バーレ と王座統一戦を行い、8Rにキャリア初のダウンを喫するも12回3-0(118-109×2、119-109)の判定勝ちを収めWBA王座の獲得とWBC王座の初防衛に成功し、WBAとWBCの王座を統一した。
1999年 6月5日、IBF世界ライトヘビー級王者のレジー・ジョンソン と王座統一戦を行い、12回3-0(3者共120-106)の判定勝ちを収めWBA王座は3度目、WBC王座は4度目の防衛に成功、IBF王座の獲得に成功し3団体の王座を統一した。
2000年 5月13日、WBA世界ライトヘビー級暫定王者 リチャード・ホール と対戦し、11回1分41秒TKO勝ちを収めWBAは団体内王座統一による5度目、WBCは6度目、IBFは2度目の防衛に成功した。しかし、試合後のドーピング検査で禁止薬物のアンドロステンジオン の陽性反応が検出された。
2001年 1月、WBAからWBA世界ライトヘビー級スーパー王座 に認定された。
2002年 2月2日、無敗のグレン・ケリー との対戦では、3回と6回にケリーからダウンを奪い、7回には攻勢に出るケリーに対しロープ際に下がり両手を自らの背後へ回してボディワークで翻弄した後、一瞬の隙を突き、背後に回した右手を振り出しカウンターを決めるパフォーマンスで7回1分55秒TKO勝ちを収めWBAは9度目、WBCは10度目、IBFは6度目の防衛に成功した。2002年11月18日、IBF世界ライトヘビー級王座を剥奪された。
2003年 3月1日、ジョーンズは一度棚上げしたヘビー級転向を表明、WBA世界ヘビー級王者ジョン・ルイス に挑戦。公式計量の体重はジョーンズが193ポンド(88kg)、ルイスが226ポンド(103kg)であった。試合はジョーンズがスピード差で圧倒、4R終了間際には右ショートでルイスを一瞬効かせるなど文句なしの内容で12回3-0(116-112、118-110、117-111)の判定勝ちを収め王座の獲得に成功した。これによりボブ・フィッシモンズ 以来106年ぶりとなるミドル級出身者によるヘビー級世界王座獲得を達成し、4階級制覇に成功した。この試合はペイ・パー・ビュー を52万件販売、ジョーンズは最低保障として1000万ドルのファイトマネーを稼いだ。
2003年4月15日、IBF世界ライトヘビー級王座とWBC世界ライトヘビー級王座を返上した。
2003年11月8日、WBA世界ライトヘビー級スーパー王者として、WBC世界ライトヘビー級王者アントニオ・ターバー と統一戦を行う。序盤はターバーの猛攻が続き、ジョーンズは防戦に追いやられるも中盤から得意のコンビネーションで盛り返し、なおも時折ターバーに集中打にさらされながらも、結果として12回2-0(114-114、117-111、116-112)の判定勝ちを収め、2団体王座統一に成功した。しかしながら精彩を欠いたジョーンズの手があがったことで観客からはブーイングが頻出。論争を呼ぶ結果となった。
その後、ターバー戦がライトヘビー級として最後の試合で、ヘビー級でマイク・タイソン と対戦してから現役引退すると発表していたが、タイソンとの交渉が失敗すると、休養王者扱いとなっていたWBA世界ヘビー級王座を2004年 2月20日に正式に返上し、ターバーと再戦することを決めた。
2004年5月15日、アントニオ・ターバー とダイレクトリマッチで再戦し、2回にターバーの左オーバーハンド一発でダウンするとレフェリーが試合をストップ。2回1分41秒TKO負けを喫し、WBAスーパー王座、WBC王座の防衛に失敗し、王座をターバーに明け渡した。
2004年9月25日、IBF世界ライトヘビー級王者グレンコフ・ジョンソン と対戦し、9回41秒KO負けを喫し王座獲得に失敗した。試合前のブックメーカーの掛け率では1対6でジョーンズの圧倒的有利予想であったが、8回終了時のジャッジの判定でも77–75、77–75、78–74でジョンソンにリードされていた完敗で、ターバーに喫した敗北の影響か、以前の輝きは失われ、負け方もキャンバスに叩きつけられ15分ほど起き上がることもできない程悲惨なものだった。
約1年間リングから離れる、この頃からHBO の中継で解説の仕事を始める。
2005年 10月1日、アントニオ・ターバーとターバーの保持するIBO 及びリング誌 ライトヘビー級王座を掛かった試合でラバーマッチ を行ったが、0-3の判定で敗北。3連敗となった。この頃急激に負けが込んだ理由として、短い期間にライトヘビー→ヘビー→ライトヘビーと階級の急激な上下を繰り返しており、体調管理の難しさのほかに一度付けた筋肉を落として減量せざるを得なかったことで本来持っていたスピードやパワーに狂いが生じたことがあげられている。評論家の中には、結果的にヘビー級挑戦が彼のキャリアの凋落の原因となったという者もいる。
2006年 7月29日、プリンス・バディ・アジャムと対戦し、3-0の判定勝ち[ 4] 。
対トリニダード戦後の勝利インタビュー(2008年)
2008年 1月19日、ニューヨーク のマディソン・スクエア・ガーデン にて、約2年8か月ぶりにボクシングに復帰したフェリックス・トリニダード とスーパーミドル級の規定体重を2ポンド上回る170ポンド契約のキャッチウェイト で対戦。随所に往年の動きを見せ7回と10回にダウンを奪い、12回3-0(116-110×2、117-109)の判定勝ち。
2008年11月8日、ジョー・カルザゲ とカルザゲの保持するリング誌ライトヘビー級王座を掛け対戦、元々は9月20日に予定されていたものがカルザゲがトレーニング中に右手を負傷したことにより6週間延期されている。1回にダウンを奪うシーンを見せたものの、その後はカルザゲの連打を攻略できず、12回0-3(3者共109-118)の判定負け。
2009年 3月21日、空位のNABO 北米ライトヘビー級王座をオマール・シェイカ と決定戦で争い、5回TKO勝利で再起とともに王座を獲得した。8月15日、ジェフ・レイシー に10R終了TKO勝利を収めて初防衛に成功した。
2009年12月2日、オーストラリア のシドニー でIBO 世界クルーザー級 王者ダニー・グリーン に挑戦し、初回TKO負けを喫した[ 5] 。
2010年 4月3日、バーナード・ホプキンス とおよそ17年ぶりに再戦し、0-3の判定負けを喫した[ 6] 。
2011年 5月21日、ロシア でデニス・レベデフ と対戦、衰えを隠せないジョーンズであったが何とか最終10ラウンドまで持ちこたえる、しかし試合終了まで残り数十秒で強烈な右からアッパー、棒立ちになったところにさらに右をもらい数分間キャンバスから起き上がれないほどのダメージを受け10回KO負け。
2011年12月10日、UBO世界クルーザー級 王座決定戦をマックス・アレクサンダーと対戦し10回判定勝ちで王座獲得に成功した。
2012年 6月30日、ポーランド でパヴェル・グラゼウスキーと対戦、ジョーンズは6回にダウンを奪われるが僅差の判定勝利を挙げた。元々はダビド・コステッキーと対戦予定であったが、コステッキーが犯罪組織の首謀者であるとして実刑判決を受けたことで試合数日前に急遽用意された対戦相手がグラゼウスキーであった[ 7] 。
2013年 12月4日、1年半ぶりの試合でベアナックルボクシングのチャンピオンとしても知られているボビー・ガンと対戦予定と発表される。この試合を行う動機について、ジョーンズは2014年早々にも対戦する可能性がある元UFC チャンピオン、アンデウソン・シウバ との試合へ向けての調整試合であるとした[ 8] 。しかし試合は中止となり代わりに12月21日にロシアで試合をすることが発表された[ 9] 。
2013年12月21日、ロシアでWBU クルーザー級王座決定戦をジネ・エディーネ・ベンマクホルフと行い12回判定で勝ち、王座を獲得した。
2013年12月28日、対戦を希望していたアンデウソン・シウバがUFCの試合で敗北、ロイ・ジョーンズは新たに対戦したい相手として同じく総合格闘技の選手であるニック・ディアス を指名した[ 10] 。結局ディアスとの対戦は幻に終わった。
ロシア連邦大統領ウラジーミル・プーチン と対面(2015年)
2015年 9月、申請が通り、ロシアの市民権を取得[ 11] 。
2015年12月12日、ロシアでエンゾ・マカリネリ と対戦し、4回KO負けを喫した。
2016年 3月20日、アリゾナ州で一般公募で選ばれたファンと10万ドルの賞金を懸けてボクシングで対戦する予定だったが[ 12] 、コミッションがプロ経験のある選手との対戦しか許可をしないと勧告したため[ 13] 、アマチュアボクシングの経験があるプロ総合格闘家のバイロン・フィリップス(プロ総合格闘技戦績、5勝3敗[ 14] 、プロボクシング経験は無い)と6回戦で対戦し[ 15] 、2回に右フック一撃で勝利した。なお戦ったフィリップスは「彼がこれ以上けがをするところを見たくない」と話しロイ・ジョーンズに引退を勧めた[ 16] 。
現役引退
2018年 2月8日、フロリダ州 ペンサコーラ のペンサコーラ・ベイ・センター で開催されたボクシングと総合格闘技の試合が混在した興行で、スコット・シグモンと引退試合としてクルーザー級10回戦を行い、10回3-0(3者とも98-92)の判定勝ちを収め、29年間の現役生活最後の試合を白星で飾った[ 17] 。ただし、UFC代表のダナ・ホワイト が許可を出しアンデウソン・シウバ戦が実現するのであれば直ぐに現役復帰をすると語った[ 18] 。
2018年12月28日、主催するロイ・ジョーンズ・ジュニア・ボクシング・プロモーションズの興行をUFCファイトパス で配信する契約をUFCと交わした[ 19] 。なお、UFCとこの契約を交わしたことでアンデウソン・シウバ戦の実現の可能性がより近づいたとジョーンズは語った[ 20] 。
エキシビションで現役復帰
2020年 7月23日 、元ヘビー級3団体統一王者マイク・タイソン と同年9月12日にエキシビションを行うことが明らかになった[ 21] 。
2020年11月29日、ロサンゼルス・ステイプルズ・センター にてマイク・タイソンとエキシビション で対戦。2分8Rで試合を行い、ドローとなった。試合後ジョーンズは、アンデウソン・シウバ、エメリヤーエンコ・ヒョードル [ 22] [ 23] 、現役復帰を宣言したオスカー・デ・ラ・ホーヤ と対戦したいと話した[ 24] 。
2023年 2月、ジョーンズはエメリヤーエンコ・ヒョードルが総合格闘技から引退した際にもエキシビションマッチでの対戦を繰り返し希望した[ 25] 。
公式試合に復帰
2023年4月1日、54歳で約5年2か月ぶりに公式試合を行い、ウィスコンシン州 ミルウォーキー のファイサーブ・フォーラム で、この試合がボクシングデビュー戦となった総合格闘家で36歳の元UFC 世界ライト級 王者アンソニー・ペティス とクルーザー級 契約で対戦し、8回0-2の判定負けを喫した[ 26] [ 27] 。この試合でジョーンズは70万ドル(約9300万円)、ペティスは65万ドル(約8700万円)のファイトマネーを稼いだ[ 28] 。
税金滞納
ジョーンズは2011年4月、2003年から2004年の税金を滞納しており追徴課税を含めて350万ドル(約3億5千万円)の税金未払いがあることが報じられている[ 29] 。
戦績
戦
日付
勝敗
時間
内容
対戦相手
国籍
備考
1
1989年5月6日
☆
2R 2:46
TKO
リッキー・ランドール
アメリカ合衆国
2
1989年6月11日
☆
8R 2:04
TKO
ステファン・ジョンソン
アメリカ合衆国
3
1989年9月3日
☆
7R 2:43
TKO
ロン・アムンゼン
アメリカ合衆国
4
1989年11月30日
☆
3R 2:00
TKO
デビッド・マクラスキー
アメリカ合衆国
5
1990年1月8日
☆
2R 2:05
KO
ジョー・エデンス
アメリカ合衆国
6
1990年2月28日
☆
2R 2:57
TKO
ビリー・ミチム
アメリカ合衆国
7
1990年3月28日
☆
3R 2:20
TKO
ノックス・ブラウン
アメリカ合衆国
8
1990年5月11日
☆
2R 2:28
KO
ロン・ジョンソン
アメリカ合衆国
9
1990年7月14日
☆
1R 2:02
KO
トニー・ウォダルズ
アメリカ合衆国
10
1990年9月25日
☆
4R 2:56
KO
ローリン・ウィリアムス
アメリカ合衆国
11
1990年11月8日
☆
5R 終了
TKO
レジイ・ミラー
アメリカ合衆国
12
1991年1月31日
☆
1R 0:46
KO
リッキー・スタックハウス
アメリカ合衆国
13
1991年4月13日
☆
3R 終了
TKO
エディ・エバンス
アメリカ合衆国
14
1991年8月3日
☆
2R 終了
TKO
ケビン・デーグル
アメリカ合衆国
15
1991年8月31日
☆
8R 終了
TKO
レスター・ヤーブロー
アメリカ合衆国
16
1992年1月10日
☆
1R 1:45
KO
ホルへ・バカ
メキシコ
17
1992年4月3日
☆
1R 1:40
TKO
アート・セーワノ
アメリカ合衆国
18
1992年6月30日
☆
10R
判定3-0
ホルへ・フェルナンド・カストロ
アルゼンチン
19
1992年8月18日
☆
8R 3:00
TKO
グレン・トーマス
アメリカ合衆国
20
1992年12月5日
☆
4R 3:00
TKO
パーシー・ハリス
アメリカ合衆国
WBC米大陸スーパーミドル級王座決定戦
21
1993年2月13日
☆
1R 2:23
TKO
グレン・ウルフ
アメリカ合衆国
22
1993年5月22日
☆
12R
判定3-0
バーナード・ホプキンス
アメリカ合衆国
IBF世界ミドル級王座決定戦
23
1993年8月14日
☆
6R 1:57
KO
トゥラニ・マリンガ
南アフリカ共和国
24
1993年11月30日
☆
10R
判定3-0
フェルミン・チリノ
ベネズエラ
25
1994年3月22日
☆
6R 2:59
KO
ダニー・ガルシア
プエルトリコ
26
1994年5月27日
☆
2R 0:30
TKO
トーマス・テイト
アメリカ合衆国
IBF防衛1
27
1994年11月18日
☆
12R
判定3-0
ジェームズ・トニー
アメリカ合衆国
IBF世界スーパーミドル級タイトルマッチ
28
1995年3月18日
☆
1R 2:06
TKO
アントワーヌ・バード
アメリカ合衆国
IBF防衛1
29
1995年6月24日
☆
6R 2:58
TKO
ビニー・パジェンサ
アメリカ合衆国
IBF防衛2
30
1995年9月30日
☆
3R 0:45
TKO
トニー・ソーントン
アメリカ合衆国
IBF防衛3
31
1996年1月12日
☆
2R 2:36
TKO
メルクイ・ソーサ
ドミニカ共和国
32
1996年6月15日
☆
11R 終了
棄権
エリック・ルーカス
カナダ
IBF防衛4
33
1996年10月4日
☆
2R 2:23
TKO
ブライアント・ブラノン
アメリカ合衆国
IBF防衛5
34
1996年11月22日
☆
12R
判定3-0
マイク・マッカラム
ジャマイカ
WBC世界ライトヘビー級暫定王座決定戦→正規王座に認定
35
1997年3月21日
★
9R 終了
反則
モンテル・グリフィン
アメリカ合衆国
WBC陥落
36
1997年8月7日
☆
1R 2:31
KO
モンテル・グリフィン
アメリカ合衆国
WBC世界ライトヘビー級タイトルマッチ
37
1998年4月25日
☆
4R 1:10
KO
バージル・ヒル
アメリカ合衆国
38
1998年7月18日
☆
12R
判定3-0
ルー・デル・バーレ
アメリカ合衆国
WBA・WBC世界ライトヘビー級王座統一戦 WBA獲得・WBC防衛1
39
1998年11月14日
☆
10R 1:18
TKO
オーティス・グラント
ジャマイカ
WBA防衛1・WBC防衛2
40
1999年1月9日
☆
2R 2:59
TKO
リチャード・フレイザー
アメリカ合衆国
WBA防衛2・WBC防衛3
41
1999年6月5日
☆
12R
判定3-0
レジイ・ジョンソン
アメリカ合衆国
WBA・WBC・IBF世界ライトヘビー級王座統一戦 WBA防衛3・WBC防衛4・IBF獲得
42
2000年1月15日
☆
12R
判定3-0
デビッド・テレスコ
アメリカ合衆国
WBA防衛4・WBC防衛5・IBF防衛1
43
2000年5月13日
☆
11R 1:41
TKO
リチャード・ホール
ジャマイカ
WBA・WBC・IBF世界ライトヘビー級王座統一戦 WBA防衛5・WBC防衛6・IBF防衛2
44
2000年9月9日
☆
10R 終了
棄権
エリック・ハーディング
アメリカ合衆国
WBA・WBC・IBF・IBO世界ライトヘビー級王座統一戦 WBA防衛6・WBC防衛7・IBF防衛3・IBO獲得
45
2001年2月24日
☆
10R 終了
棄権
デレク・ハーモン
アメリカ合衆国
WBA防衛7・WBC防衛8・IBF防衛4
46
2001年7月28日
☆
12R
判定3-0
フリオ・セサール・ゴンザレス
メキシコ
WBA・WBC・IBF・IBO・WPBF世界ライトヘビー級王座統一戦 IBA世界ライトヘビー級王座決定戦 WBA防衛8・WBC防衛9・IBF防衛5 WPBF・IBA獲得
47
2002年2月2日
☆
7R 1:55
KO
グレン・ケリー
オーストラリア
WBA防衛9・WBC防衛10・IBF防衛6
48
2002年9月7日
☆
6R 1:29
TKO
クリントン・ウッズ
アメリカ合衆国
WBA防衛10・WBC防衛11・IBF防衛7
49
2003年3月1日
☆
12R
判定3-0
ジョン・ルイス
アメリカ合衆国
WBA世界ヘビー級タイトルマッチ
50
2003年11月8日
☆
12R
判定2-0
アントニオ・ターバー
アメリカ合衆国
WBC世界ライトヘビー級タイトルマッチ WBA・IBO世界ライトヘビー級王座決定戦 WBA・WBC・IBO獲得
51
2004年5月15日
★
2R 1:41
TKO
アントニオ・ターバー
アメリカ合衆国
WBA・WBC・IBO世界ライトヘビー級タイトルマッチ WBF・IBA世界ライトヘビー級王座決定戦 WBA・WBC・IBO陥落
52
2004年9月25日
★
9R 0:48
KO
グレン・ジョンソン
ジャマイカ
IBF世界ライトヘビー級タイトルマッチ
53
2005年10月1日
★
12R
判定0-3
アントニオ・ターバー
アメリカ合衆国
IBO世界ライトヘビー級タイトルマッチ
54
2006年7月29日
☆
12R
判定3-0
プリンス・バディ・アジャム
アメリカ合衆国
NABO北米ライトヘビー級タイトルマッチ
55
2007年7月14日
☆
12R
判定3-0
アンソニー・ハンショ
アメリカ合衆国
IBC世界ライトヘビー級王座決定戦
56
2008年1月19日
☆
12R
判定3-0
フェリックス・トリニダード
プエルトリコ
57
2008年11月8日
★
12R
判定0-3
ジョー・カルゲザ
イギリス
58
2009年3月21日
☆
5R 1:45
TKO
オマール・シェーカー
アメリカ合衆国
NABO北米ライトヘビー級王座決定戦
59
2009年8月15日
☆
10R 終了
棄権
ジェフ・レイシー
アメリカ合衆国
NABO防衛1
60
2009年12月2日
★
1R 2:02
TKO
ダニー・グリーン
オーストラリア
IBO世界クルーザー級タイトルマッチ
テンプレート
獲得タイトル
アマチュア
国内王座(ナショナル王座)
地域王座
世界王座
IBF 世界ミドル級 王座(防衛1)
IBF世界スーパーミドル級王座(防衛5)
WBC世界ライトヘビー級王座(1期目は防衛0、2期目は防衛11、3期目は防衛0)
WBA 世界ライトヘビー級王座(防衛7)
IBF世界ライトヘビー級王座(防衛7)
WBA世界ライトヘビー級スーパー王座 (1期目は防衛3、2期目は防衛0)
WBA世界ヘビー級 王座(防衛0)
マイナー団体世界王座
ペイ・パー・ビュー売上げ
日付
イベント
売上げ
テレビ局
2010年4月3日
ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. バーナード・ホプキンス 2
14万件
HBO
2008年11月8日
ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. ジョー・カルザゲ
22万件
HBO
2008年1月19日
ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. フェリックス・トリニダード
50万件
HBO
2005年10月1日
ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. アントニオ・ターバー 3
40万件
HBO
2004年5月15日
ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. アントニオ・ターバー 2
36万件
HBO
2003年11月8日
ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. アントニオ・ターバー 1
30万件
HBO
2003年3月1日
ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. ジョン・ルイス
52万件
HBO
1994年11月18日
ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. ジェームズ・トニー
30万件
HBO
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
Round One: The Album (2002年)
Body Head Bangerz: Volume One (as Body Head Bangerz) (2004年)
出演
脚注
関連項目
外部リンク