労働者農民党
労働者農民党(ろうどうしゃのうみんとう)とは、労働者と農民の共闘を目指した日本の社会主義政党(革新政党)である。1948年から1957年まで存続した。 概要戦後の一時期、日本社会党を除名された最左派により結成された、非日本共産党系の左翼政党。党首の名称を毛沢東にあやかり主席という名称にし、外交的には親中国派の立場を取り、国内的には非共産党系左翼政党として行動した。 歴史初代主席は黒田寿男。当時の社会党は、保守政党の民主党、国民協同党との連立政権を組んでいた。しかし、社会党内の左派は政権から事実上締め出され、党内野党となっていた。1948年7月7日、黒田寿男ら6名が芦田内閣の予算案に造反して反対したため、党を除名。12月2日、他の離党者も合わせて労働者農民党を結成した。結党時には、衆参18人の勢力となっていた。 結党宣言では社会党を「階級闘争を放棄し(中略)ブルジョア第三党に転落した」とマルクス主義の立場から痛烈に批判。一方、共産党には「日本民主革命のために闘いつつある」と一定の評価をしつつ、「独善的偏向をもち(中略)極左的闘争主義の傾向が見られ、この結果勤労大衆の利益は日本共産党だけでは確保されない」と結論づけた。このような認識をふまえ、新しい社会主義政党を結成し、保守反動に対抗する勤労大衆の統一戦線を形成するとした。 その後の議会での党勢は伸びず、また共産党が武装闘争路線を放棄したことで、党の独自性も薄れた。1955年の左右社会党統一に伴い社会党復帰を目指したが、社会党右派の反対で果たせなかった。1957年1月16日解党し、3月に元労農党の議員は日本社会党に復帰した。 ちなみに、1952年12月9日の衆議院本会議で可決された「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」に、唯一党として反対したのが労農党である(日本共産党が議席を失っていたため)。 歴代労働者農民党主席一覧
党勢の推移衆議院
参議院
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
脚注
参考文献
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