安部 徹(あべ とおる、1917年3月28日 - 1993年7月18日)は、日本の俳優。本名:阿部 徹(読み同じ)。旧芸名:原 不二雄(はら ふじお)。
日活アクション映画や東映仁侠・ヤクザ映画など数多くの作品で悪役を演じ、戦後日本映画史に残る悪玉役者[1]として知られる。戦前に新興キネマでデビューしており、若手時代は二枚目俳優として活躍した。妻は女優・声優の北原文枝だが入籍はしていない。
1917年(大正6年)3月28日、福岡県宗像郡東郷町(現在の宗像市)に、教師で糟屋郡志免町の青年学校長を務めていた父・大作と母・千代の4人兄弟の四男として生まれる[2]。3人の兄はいずれも戦死している[2]。
上京して府立四中(現在の都立戸山高校)を修了後、東京商科大学予科に進むが、酔っ払って西武線を止めて退学処分となる。府立四中では浜口庫之助と同級生だった。その後、東京水産講習所(現在の東京海洋大学)漁撈科に入るが、サラリーマンになるのが嫌で、中退して映画俳優を志す[1]。
1939年(昭和14年)、新興キネマ東京撮影所に入社、原不二雄を芸名として山路ふみ子主演の『結婚問答』で映画デビューする[1]。1944年(昭和19年)には松竹大船撮影所に転じ、安部徹と改名。吉村公三郎監督の『決戦』に主演し堅実な演技を見せる。戦後も木暮実千代の復帰第1回作『許された一夜』に木暮の相手役で主演したのを始め、木下惠介監督の『肖像』などに脇役で出演する[1]。1951年(昭和26年)からフリーとなる。
1954年(昭和29年)からは同年に映画製作を再開した日活映画に多数出演する。初期の文芸映画でも助演として出演したが、後の石原裕次郎や小林旭ら主演によるアクション映画で悪役を演じ、欠かせない存在となる[1]。1960年代からは東映任侠映画でも活躍し、『網走番外地』シリーズや『明治侠客伝 三代目襲名』などで悪役を演じ続ける。安部の悪役は凶暴な野獣性、陰湿な策謀性の両面にわたって多彩であり[1]、その風貌と体格を活かして、任侠映画やアクション映画以外に戦争映画、時代劇、ギャング映画など様々なジャンルの作品に凄味のある役柄で出演した。
1993年(平成5年)7月18日午前1時58分、胆嚢癌のため東京都港区の病院で死去、76歳没[3]。
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