広瀬謙次郎
広瀬 謙次郎(ひろせ けんじろう、1918年〈大正7年〉 - 2004年〈平成16年〉6月1日[1][2])は、日本の予知能力者。東京銀座生まれ[3]。 父は、日本の実業家。日本商工会議所初代会頭、貴族院議員を務めた藤田謙一(1873年 - 1946年)[4]。 この父の「謙」の字を継ぎ命名された。学生時代に広瀬家の養子となる[4]。 経歴1918年、実業家の藤田謙一の息子として東京市京橋区銀座に生まれる。慶應幼稚舎(小学校)に入学し、附属学校を経て、慶應義塾大学 経済学部へ進学。裕福な時代の藤田家で暮らすが、父藤田謙一の賞勲局疑獄による失脚で、没落した藤田家を離れ、広瀬家の養子となる。1941年、同大学を卒業し、徴兵で中国大陸へ派兵され、蕪湖・蘇州・上海など4年間転戦し、1945年、上海から復員・帰国[3]。 その後、東京美術広告社の社長、超心理学国際政経研究会会長、ジャパン・キャットくらぶ名誉会長などを歴任[3]。 日本文化振興会 副総裁、地球連邦推進委員会 日本委員会、日中協会設立発起人、日中友好協会 東京都本部 文化教宣委員、日米中協会会長、日中米連帯委員会設立発起人 理事、日本公共広報示協力会 会長、東京都公共宣伝運営連合会 理事、全国中小商工業団体連合会 千葉県代表理事、国際新科学学会 最高顧問、日本超科学センター設立発起人、動物愛護団体連合協議会 理事、千葉県社会人ダンス連盟 会長、千葉県アマチュアダンス協会 理事、日本競技ダンス・グランドシニア会 名誉会長、日朝文化交流協会理事、政経同友会 顧問、宇宙エネルギー(株)会長、国際文化振興財団 名誉会長、世界平和文化財団 副総裁、米国公益法人国際学士院 副総裁、など[1]。 若いころから「夢日記」を記録しており、これによって多数の予言が的中してるとしている。その例として、関東大震災の発生、日米の開戦と日本の敗戦、米軍のベトナム戦争敗戦、など[3]。 予言として、 著書
他者からの評価
脚注
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