最上稲荷
最上稲荷(さいじょういなり)は、岡山県岡山市北区にある日蓮宗の寺である。正式名称は最上稲荷山妙教寺。所在地が岡山市北区高松地区であることから高松稲荷(たかまついなり)とも称される。 特別に神仏習合の祭祀形態が許された、仏教の流れを汲む貴重な稲荷として知られ、寺でありながら鳥居をそなえ、しめ縄の架けられた、神宮形式をあわせ持つ本殿(霊光殿)があるなど、神仏習合時代の形態を数多く残しており[1]、 歴史・概要岡山県内で唯一、明治初年の廃仏毀釈の被害を逃れた所といわれ、日蓮宗系「神仏習合」の祭祀形態を現在も残す。 本尊祈祷本尊は最上位経王大菩薩(稲荷大明神)。最上位経とはすなわち法華経のことである。像容は右手に鎌、左肩に稲束を背負い、白狐にまたがる天女の姿をしており、稲荷神の本地とされる荼枳尼天の像容とその特徴を同じくする。 創建伝承寺伝によれば、報恩大師が天平勝宝4年(752年)に孝謙天皇の病気平癒の勅命を受けて、吉備山中の八畳岩で修法し、最上位経王大菩薩を感得、天皇は全快したことに始まるという。 また後に桓武天皇の病気平癒祈願の功徳により、寺院建立の寄進申し出があった。これにより大師が霊地を求めていたある日、最上位経王大菩薩より「備中国、龍王山麓に堂宇を定むるべし」との宣告があり、このことを天皇に進言。天皇はその祈願所としてさっそく龍王山神宮寺を寄進創建した。これが現在の妙教寺であるという。 近世以降羽柴秀吉の中国進攻の際に戦火により焼亡するも、江戸時代初期の慶長6年(1601年)この地を治めた旗本の花房職之が関東地方より日円聖人を招聘し、「稲荷山妙教寺」として再興した。このときに天台宗から日蓮宗へ改宗した。 寛保元年(1741年)に建立された霊応殿本殿(旧本殿)は岡山市重要文化財に指定されている。現在の本殿(霊光殿)は昭和54年 (1979年) に建造された。明治14年(1881年)に建立された根本大堂は老朽化のため、平成18年(2006年)に移転、修復された。2009年、本堂(根本大堂)など33件が国の登録有形文化財に登録された。 なお、昭和26年の宗教法人法の施行に伴い、信徒や有識者の勧めにより、妙教寺の第23世の稲荷日宣の代にして昭和29年7月に、宗教法人・最上稲荷教として日蓮宗から独立、包括法人を組織したが、55年後の平成21年7月24日、26世稲荷日應の判断により、傘下の寺院とともに日蓮宗に復帰した。日蓮宗には一般の寺院として復帰したが、「最上稲荷総本山」の通称は、引き続き使用される。 初詣シーズンには元旦~15日まで「新春開運大祈願祭」が催され、毎年岡山県下最大の参拝客(約60万人)で賑わう。 年表
文化財岡山市指定重要文化財
国の登録有形文化財
末寺
名物 ゆずせんべい名物土産。多数の製造元があり、参道で販売している。 (製造者)アイウエオ順
周辺施設
交通アクセス公共交通機関
自家用車利用※大型駐車場有り(有料・値段は季節等によって異なる)。なお、初詣および節分などのシーズンにおいては周辺道路が非常に渋滞するので、最上稲荷の公式ホームページ[参 1]のお正月の交通規制についてを参照のうえ迂回するのが望ましい。
関連項目
脚注注釈
参照出典
参考文献
外部リンク |