李 昇烈(イ・スンニョル、이승렬、1989年3月6日 - )は、大韓民国富川市出身、同国代表の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。
来歴
クラブ
新葛(シンガル)高等学校を卒業後、2008年にドラフトで2位指名[1] を受けFCソウルに入団。初年度からサイドアタッカーとしてレギュラーポジションを獲得し、31試合に出場し5ゴール1アシストを記録し[2]、クラブのリーグ準優勝に貢献。93票中67表を得て[2] この年のKリーグ新人選手賞を受賞した。また三育大学校(朝鮮語版)に進学し、プロサッカー選手と大学生の二足のわらじをはいていた[3]。
2010年、自身キャリアハイとなるリーグ戦7ゴールを挙げる活躍をみせ、クラブのリーグとリーグカップの2冠達成に貢献した。しかし翌2011年シーズンは、崔龍洙監督との確執やデヤン、モリーナといった外国人選手の活躍もあり、出場時間が激減して不調に陥った[4]。
2012年、Jリーグ・ガンバ大阪へ完全移籍[5]。移籍金は1億5000万円(22億ウォン)と報じられた[6][7]。だがリーグ戦8試合に出場し無得点と結果を残せず、7月23日に蔚山現代FCへの期限付き移籍が発表された[8]。リーグ戦14試合に出場し、AFCチャンピオンズリーグ優勝を経験した[9]。
2013年、城南一和天馬へ完全移籍。2014年から2015年は全北現代モータースに在籍したが、2年間で11試合出場、1アシストのみにとどまった[10]。2016年も全北との契約を残していたが、移籍に向けて双方合意の上で契約を破棄し[10]、2016年3月に同年よりKリーグクラシックに昇格した水原FCに加入した[11]。2016年10月、水原FCより李の任意脱退が公示された[12]。
韓国代表
ユース年代から世代別の韓国代表に選出され、2009年にはU-20韓国代表として2009 FIFA U-20ワールドカップに出場、ベスト8に進んだ。2010年1月のザンビア代表との試合でA代表デビューを飾った。同年2月に行われた東アジアサッカー選手権決勝大会では香港代表戦で代表初ゴールを決め、日本代表相手には逆転ゴールを決めた。玉田圭司らと並んで大会得点王に輝いた。この大会の活躍によって南アフリカワールドカップの最終メンバーにも選ばれ、本大会ではギリシャ代表との試合に87分から朴主永に代わり、ワールドカップ初出場を果たした。
人物
奇誠庸、具滋哲らと並ぶ89年世代の一人であった[13][14]。サイドからの崩しを得意としている。ただ2011年以降調子が上がらず、韓国代表にも招集されなくなった。
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
韓国
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
2008 |
ソウル |
37 |
Kリーグ |
21 |
3 |
1 |
0 |
10 |
2 |
32 |
5
|
2009 |
28 |
22 |
5 |
2 |
0 |
4 |
2 |
28 |
7
|
2010 |
25 |
7 |
1 |
0 |
3 |
3 |
29 |
10
|
2011 |
17 |
1 |
1 |
0 |
1 |
0 |
19 |
1
|
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2012 |
G大阪 |
37 |
J1 |
8 |
0 |
- |
- |
8 |
0
|
韓国
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
2012 |
蔚山 |
21 |
Kリーグ |
14 |
2 |
- |
0 |
0 |
14 |
2
|
2013 |
城南 |
28 |
|
|
|
|
|
|
|
|
通算 |
韓国 |
Kリーグ
|
99 |
18 |
5 |
0 |
18 |
7 |
122 |
25
|
日本 |
J1
|
8 |
0 |
- |
- |
8 |
0
|
総通算
|
107 |
18 |
5 |
0 |
18 |
7 |
130 |
25
|
代表歴
出場大会
- U-12韓国代表
- U-15韓国代表
- U-18韓国代表
- U-20韓国代表
- 韓国代表
試合数
- 国際Aマッチ 10試合 3得点(2010年)[15]
得点
タイトル
クラブ
- FCソウル
- 蔚山現代
個人
脚注
関連項目
外部リンク