渡邊渚渡邊 渚(わたなべ なぎさ、1997年〈平成9年〉4月13日[1] - )は、日本のタレント、元フジテレビアナウンサー。新潟県阿賀野市出身[2]。 来歴学生時代まで新潟県阿賀野市出身で[2]、小学2年生まで同市で暮らす[3]。両親と妹がいる[4]。祖父は反物に絵を描く職人で、小さい頃からその姿を見ていた[5]。家の周囲は田んぼに囲まれ[6]、庭にキジが訪れ、クマが現れるなど豊かな自然の中で[3]、下校時は友人と田の畦道を歌い歩き、近くの小川でザリガニを釣るなど田舎暮らしで育つ[3][注 1]。 幼少期に父親は単身赴任したが、2004年(平成16年)に発生した新潟県中越地震を機に「家族一緒に生活したい」と両親に伝え[4]、愛知県名古屋市で3年間、11歳からは神奈川県横浜市に居住する[8][9]。中学時代は剣道部に所属[6]。慶應義塾女子高等学校[8][10]で学び、高校時代はバレーボール部に所属し[6]、高校2年時にビジネスコンテストの「キャリア甲子園」に「2020年にする仕事」のテーマで出場した[11]。 慶應義塾大学に進学。大学時代は乗馬同好会に所属[11]。大学1年時に「ミス慶應コンテスト2016」に出場しファイナリストとなるが、コンテストは中止となった[8][注 2]。大学在学中に佐久間みなみとともに生島企画室に所属してタレント活動した[13]。フジテレビとTBSのアナウンススクールに参加した[14][15]。慶應義塾大学経済学部卒業。 フジテレビアナウンサー2020年4月にフジテレビにアナウンサーとして入社[16]。同期入社は佐久間みなみ、德田聡一朗[17]。9月5日から『もしもツアーズ』4代目ツアーガイドとして起用された[18]。9月28日から『めざましテレビ』に出演し、担当する月、水、金曜日は午前2時過ぎに起床する[19]。2022年3月26日に『もしもツアーズ』4代目ツアーガイドを降板。2023年1月12日から『ぽかぽか』に、木曜進行アナウンサーとして出演。 闘病生活2023年7月17日に体調不良のため入院し、しばらく休業することが『めざましテレビ』で伝えられた[20]。7月22日と23日放送『27時間テレビ・鬼笑い祭』内の提供読みは参加しない[注 3]。10月に『ぽかぽか』を降板した[21]。10月22日にInstagramで自身の健康状態を、「食べられなくなった。うまく歩けなくなった。うまく指が動かなくなった」などと報告を行うと共に、「幸せを諦めずに生きる。社会復帰できる日を目指して、ゼロから小さな努力をコツコツ積み重ねていく!」と記す[22]。10月27日に港浩一社長は定例社長会見で渡邊について「退院して通院、治療中です」と説明した[23]。10月28日にInstagramのストーリーズで「今週は体調が悪く、患部の痛みで眠れず、何をしてても辛かった。週4で病院に通い、検査もたくさんしている。27日あたりからやっと落ち着いてきた」と記す[24]。12月23日にInstagramのストーリーズで「少し前に大したことない小さい手術をした」と記す[25][26]。 2024年2月13日にInstagramのストーリーズで、食生活について「最近お腹が空かなくて日中は紅茶しか飲まず夜になってやっと一食食べる生活」と記す[27]。2月16日にInstagramのストーリーズで、「少し前にメニエール病を発症した」のコメントに「今の体調不良と無関係だが、自分も2年前にメニエール病を発症した」と返信した[28]。3月11日夜にInstagramでフォロワーから質問を募集し、寄せられた質問から60の回答をストーリーズで公開した。「今の症状はワクチン接種が関係しているか」に「いいえ」と回答した[29]。8月5日にパリオリンピックバレーボール男子日本対イタリア戦を観戦する渡邊がNHKの生中継で映り話題となる[30]と、8月10日に自身のInstagramで「パリ五輪のバレーボールを応援するために渡仏した」と記した[31]。 8月23日、フジテレビは「渡邊本人の希望により同月31日をもってフジテレビを退社する」ことを発表した[32]。渡邊は「病気を治して今までみたいに働きたいと思っていた時期もあった」「どうやっても昔のように戻らない現実があり、それを受け入れるのに勇気が必要だった。今後は今までと違った生き方をしたい」と述べた[33]。フジテレビ『めざましテレビ』は、8月26日に渡邊の退社を報じた[34]。10月1日にInstagramで、サブスクリプションサービスを告知し、ストーリーズで「WATANABENAGISA_にサブスクリプション登録しよう」と促した[35][注 4]。心的外傷後ストレス障害 (PTSD) を患っていたこと、専門治療を終えたことを記した[36]。10月6日に自身のInstagramで、ストーリーズのコメント「メンタル疾患は、本当に辛い。差別偏見も多いし。」に「偏見、差別。残念なことに、日本は精神疾患について、理解があまりない。そんな社会を変えたいなって思っている。」と返した[37]。 10月31日発売の『FRIDAY』のインタビューで渡邊は「PTSDを発症したのは昨年6月、生命の危機を感じる衝撃的な出来事が生じたことが発端だった」、「警察に被害届を出すことも検討したが踏みとどまった」などと語る[38][39]。 11月6日までにInstagramを更新、「夏前は少し頑張るとすぐ熱が出て、腎盂腎炎や尿管結石、膀胱炎など腎臓関連が弱っていたが、最近は全く体調を崩さなくなった」と明かした上で「発熱もしなくなって、解熱剤や痛み止めがいらなくなってうれしい」とつづる[40]。 11月8日発売の『週刊ポスト』のインタビューで「シルバーリボンに興味があり、大学で心理に関する講義をさせていただくことも決まった[注 5]。11月から、世の中の出来事や自分の思いについて語るウェブ連載も始める。モデル撮影や執筆業など、やったことがないことに色々と挑戦していく」と語った[43]。11月11日から『NEWSポストセブン』でエッセイ「ひたむきに咲く」の連載を始め[44]、第1回は自身を苦しめる「共感力」について語った[44]。11月11日にInstagramのストーリーズで、「未だに仮病だとか、病院行ってないとか、PTSDはそんなにすぐ治らない、外出なんてできるわけない」の評に対して「心的外傷後ストレス障害」の診断書を示した[45]。 『ENCOUNT』のインタビューで、「闘病、退職の経緯」について「会社も関係するトラブルがあった。PTSDになってからは、特定の食べ物とかを見るとそのトラウマを思い出していた。(中略)それで朝から晩まで働いていた。闘病中は、真剣に『死』を意識した。今年の4月には会社の産業医を通じて、退職の意思を示していた」など語る[46]。 フリー11月21日配信の「バレーボールキングSP! MUFG SV LEAGUE ALL STAR GAMES 2024-25出場選手発表特番」でMCを務めた[47]。 2025年1月、古巣のフジテレビにおいて社長の港浩一が記者会見を行った直後に、自身初の著書となるフォトエッセイ「透明を満たす」の発売を発表した[48][49]。 人物特技・趣味など
家族・親族
交友関係
中越地震に被災した影響と遺書
過去の出演番組フジテレビ入社後レギュラー出演番組・キャスター名(地上波)
その他
バレーボールチャンネル フジテレビ入社前
映画ラジオ
PV
その他書籍雑誌著書脚注注釈
出典
外部リンク |