渡邊 高之助(わたなべ たかのすけ、1919年(大正8年)3月3日[1] - 2003年(平成15年)7月1日[1])は、日本の声楽家(テノール)・音楽教育者。新字体で、渡辺 高之助と表記されることがある[1]。
経歴
東京府四谷区生まれ[1]。1941年(昭和16年)東京音楽学校声楽科卒業。木下保に師事。東京放送合唱団などで活躍。1952年(昭和27年)の二期会創立以来のメンバー[1][2]。オペラ歌手として、二期会、グルリット・オペラ協会、長門美保歌劇団等、数多くのオペラに出演し、昭和音楽大学オペラ研究所に記録されているだけでも出演回数は58回にのぼる[3]。
音楽教育面においては1958年(昭和33年)東京芸術大学助教授となり、1960年(昭和35年)声楽科主任、1969年(昭和44年)教授。1975年(昭和50年) - 1982年(昭和57年)同大附属音楽高校校長、1982年(昭和57年) - 1986年(昭和61年)音楽学部長を務めた。1986年(昭和61年)東京芸術大学名誉教授、二期会オペラスタジオ所長。1992年(平成4年)沖縄県立芸術大学音楽部長、1994年(平成6年)同大大学院音楽芸術研究科長[1]。後に同大学名誉教授[4]。
門下生による「ぐるーぷ・なーべ」が組織されており、2019年10月5日には「第93回ぐるーぷ・なーべ演奏会 - 我らが師、渡邊高之助先生への憧憬 - 生誕100年によせて」が開催されている[5]。優れた門下生を多数輩出しており、高丈二、田口興輔、小林一男、川上洋司、星洋二、高井治、富浦元公[6]、小川明子[7]、大門康彦[8]、辻秀幸[9]、砂崎香子[10]、箕輪健[11]、吉田浩之[12]、佐藤ひさら[13]、板橋勝[14]、成田勝美[15]、上野律子[16]、福成紀美子[17]、秦貴美子[18]、伴真純[19]、枝川一也[20]、末廣正巳[21]、市原多朗[22]、三林輝夫[23]、高橋啓三[24]、川村祐子[25]、渡辺葉子[26]、坂本弘國[27]、浦田隆司[28]、竹本絵里子[29]、大島博[30]、岡田三千枝[31]、宮崎千恵[32]、太刀川昭[33]、松尾健市[34]、川本愛子[35]、桑原英子[36]、岩本久美[37]、篠崎義昭[38]などがいる。
元・二期会会員。日本演奏連盟会員[1]。第6回日本歌曲コンクール審査員[39]。
2003年(平成15年)7月1日、胃がんのため東京都世田谷区の病院で死去、84歳没[40]。
渡邊の功績を讃え、二期会オペラ研修所本科修了生の中から、最優秀な者へ贈る「渡邊高之助賞」が制定されている[41]。
受賞歴
- 1953年(昭和28年)毎日音楽賞(伊庭賞)
- 1959年(昭和34年)大阪芸術祭賞
- 1989年(平成元年)勲二等瑞宝章
著書・監修
作曲作品
主なディスコグラフィー
脚注
出典