率川神社(いさがわじんじゃ)は、奈良県奈良市西新屋町にある神社。飛鳥神並神社[注釈 1]、率川阿波神社[注釈 2]との呼称で記録されたこともある。宮司は御霊神社宮司の兼務。
祭神
歴史
元興寺の鎮守社として、養老2年(718年)に高市郡飛鳥法興寺より遷座したと記した、近世の記録が残る[注釈 3]。『大乗院寺社雑事記』にも同社の記録が散見される。1905年(明治38年)、西新屋町中より寄進を受け造営された。
境内
割拝殿様の門の両側は板間になっており、祭礼に用いる。白木の鳥居は門の内側にあり、南向きの本殿には、雨覆いと拝殿を兼ねた大きな覆屋が施されている。
脚注
注釈
- ^ 『元興寺由来』・『平城坊目遺考』・『奈良坊目拙解』などでは、同社の名称は飛鳥神並神社であり、率川神社あるいは率川阿波神社との呼称は誤りであり正さねばならない、と述べられており、『元興寺由来』では、飛鳥川(鳴川)と率川の混同により誤りが生じたのであろうと推測されている。
- ^ 『大和志』では、同社を式内社の率川阿波神社の旧地として比定している。通常、『奈良坊目拙解』などでは、率川阿波神社の旧地は西城戸町とされる。
- ^ 同様の由緒は奈良市北京終町の飛鳥神社にも残り、同社の社伝によるとさらに応安2年(1369年)、左京四条より京終に遷ったとされる。
出典
参考文献
- 奈良県史編集委員会 編『奈良県史 5 神社』名著出版、1989年。
- 奈良市史編集審議会 編『奈良市史 社寺編』吉川弘文館、1985年。
- 村井古道 著、喜多野徳俊 訳・註 編『奈良坊目拙解』綜芸社、1977年。
- 『本朝佛法最初南都元興寺由来(大日本佛教全書 寺誌叢書 第2)』佛書刊行會、1913年、148-156頁。
- 富本時次郎 編『帝國地名大辭典』又間精華堂、1903年。
- 久世宵瑞、金沢昇平『平城坊目考 平城坊目遺考』五月書房、1998年。
- 山田熊夫『奈良町風土記』豊住書店、1976年。
関連項目
- ならまち
- 白山神社 - 元興寺の飛鳥から平城への移転時に、率川神社と共に遷座された元興寺鎮守社の1つとされる。
外部リンク