第2室戸台風(だい2むろとたいふう、昭和36年台風第18号、国際名:ナンシー / Nancy[1])は、1961年(昭和36年)9月16日に室戸岬に上陸し、大阪湾岸に高潮などによる大きな被害をもたらした台風である。1934年の室戸台風と進路がよく似ていたことからこの名称が付けられた。また、1951年の統計開始以来、日本に上陸した台風の中では上陸時の中心気圧が最も低く、2年前の伊勢湾台風にほぼ匹敵する勢力で本土を直撃した。しかし、伊勢湾台風の教訓を生かして災害対策が進められていたこと等もあり、室戸台風やジェーン台風などと比較しても、台風の規模等の割に、高潮による浸水面積や人的被害など全体的な被害は小さかった[2]。
経過
9月6日、マーシャル諸島東部(北緯7度、東経173度付近)で「弱い熱帯低気圧」(当時の気象用語[注 3])として発生、9月8日9時にエニウェトク島の南海上(北緯8.8度・東経161.6度)で台風18号となった[2]。盛夏から初秋にかけては、熱帯低気圧や台風は北緯10度以北の比較的高い緯度で発生する事が多く、この台風のように暖候期における低緯度での発生は珍しい部類に入る。台風となった時の中心気圧は990 hPa[注 1]。
台風第18号は西進しながら次第に発達、9月10日3時には北緯10度に到達、この時点で中心気圧935 hPaに発達した。9月12日にはアメリカ海軍による飛行機観測[注 4]により中心気圧888hPaが観測され[注 5]、同じく(1分間平均の)最大風速が185 kt(94m/s)と測定された。米海軍解析で過去に測定された最大風速の中で第1位の記録は、この185ktである。気象庁の発表では75mとなっている。風速25m以上の暴風域[注 6]は半径370kmであった[注 7]。台風は次第に進路を北寄りに転じ、9月14日から15日にかけ 沖縄の近海で転向、北北東から北東に進んだが、この時なお中心気圧は900~920 hPaの非常に強い勢力を維持していた。なお、この台風はアメリカ海軍がスーパータイフーン(super typhoon 最大風速130 ノット[約65メートル]以上)として解析した期間が6.00日と史上最も長い[注 8]。
9月14日頃は、台風は九州方面に向かうと予想されたが、9月15日には奄美大島を通過、四国から本州に達する事が確実となった。伊勢湾台風級の超大型台風の襲来として国内では厳戒態勢に入り、大阪管区気象台・大阪府・大阪市などでは災害対策を整え、NHK大阪局などの報道機関も連携して警戒を呼びかけた。
9月16日、台風は加速しながら北東に進み、9時過ぎ室戸岬西方に上陸。上陸時の中心気圧925 hPa、室戸岬測候所での気圧や風の観測値は記録的な数字であった。その後もあまり衰えずに、さらに加速しながら13時過ぎに兵庫県尼崎市と西宮市の間に再上陸し、18時に能登半島東部に達し日本海に出た。その後、日本海沿岸を北北東進して北海道のすぐ西を通過したが、その際は時速93キロメートルの高速であった。北海道西岸をかすめてサハリン付近からオホーツク海に進み、18日にオホーツク海で温帯低気圧と化し、ベーリング海北方に進んだ。
この台風の総移動距離は8,113 kmと、当時としては1951年の統計開始以降で最長であり、現在も過去2番目に長い記録となっている[3]。
台風18号は室戸岬から上陸後、1934年に関西に甚大な被害をもたらした室戸台風に類似した進路を辿ったため、気象庁はこの台風を「第2室戸台風」と命名した。
解説
台風第18号は、発生位置や日本海北上後の経路は異なるが、日本上陸前後の経路は1934年9月21日に来襲した室戸台風と酷似し、「第2室戸台風」の固有名が付けられた。上陸時の気圧の観測値(室戸岬測候所)は、室戸台風が911.6hPaに対し第2室戸台風は930.4hPaであったが、風速は室戸台風を大きく上回り、暴風域の大きさは伊勢湾台風に匹敵するレベルで、台風に関する定義や統計が統一された1951年以降に上陸した台風の中では、最強と言える勢力であった。室戸岬における最大風速・最大瞬間風速は日本の気象官署における観測値としては新記録となった[注 9]。近畿地方再上陸後も勢力は衰えず、洲本、大阪、京都などでは観測開始以来の最低気圧を観測し、暴風・高潮被害が発生した。特に高潮はOP(大阪湾工事基準面)上4.12mに達したが、これは室戸台風による4.50mに次ぐ、大阪では第2位の記録である。これにより西淀川・港・此花・福島・北・西・大正・西成・城東・都島の各区が浸水、その面積は全市の4分の1の31haに及んだ。これは、第2次世界大戦後の急激な工業化に伴う地下水のくみ上げによる地盤沈下も大きく影響している。
台風の勢力があまり衰えないまま日本海に抜けたため、沿岸部では大きな風害が起きたほか、京都府内の木津川を通る送電線鉄塔10数基が吹き倒された。
暴風や高潮による被害が大きかった一方で、雨による被害は比較的小さかった。大阪市では高潮により市の西部から中心部にかけて31㎢が浸水したが、過去の同様な規模・進路であった室戸台風やジェーン台風(これらの台風も関西に大きな被害を出した)などに比べると浸水面積は小さかった[2]。そのほか、兵庫県や和歌山県、四国東部などでも高潮による浸水被害があった。台風の通過した近畿地方と吹き返しの強い風の吹いた北陸地方で暴風による家屋の倒壊等の被害が特に大きかった[2]。
しかし、この2年前に来襲した伊勢湾台風の教訓を生かして災害対策が進められ、台風の勢力や規模、家屋被害の割には犠牲者を少なく抑えることに成功した。中でも、高潮による犠牲者がなかったことは特筆に値する[4]。
日本に上陸してからも台風の目がはっきりしていたため、台風が通過した地方では台風の目に入った際に快晴になったという[要出典] 。
観測記録
- 最低気圧
-
- 名瀬 918.0 hPa
- 室戸岬 930.4 hPa
- 洲本 934.4 hPa
- 大阪 937.0 hPa
- 京都 937.4 hPa
- 和歌山 939.0 hPa
- 最大風速 ( )内は最大瞬間風速
-
- 室戸岬 66.7m/s(84.5 m/s以上。風速計の振り切れ(スケールアウト)により測定不能。)
- 富士山 59.3 m/s(-)
- 伊吹山 56.7 m/s(-)
- 土佐沖の島 45.5 m/s(-)
- 酒田 37.7 m/s(49.0 m/s)
- 洲本 36.7 m/s(49.4 m/s)
※ - 測器破損のため推定値
被害
- 死者: 194 名
- 行方不明者: 8 名
- 負傷者: 4,972 名
- 住家全壊: 15,238 棟
- 住家半壊: 46,663 棟
- 床上浸水: 123,103 棟
- 床下浸水: 261,017 棟
その他
1961年の夏から秋にかけては北半球の中緯度高気圧の勢力が強く、暑い夏と厳しい残暑になるとともに熱帯低気圧の勢力が強まった。9月11日にはアメリカでも強いハリケーン「カーラ(Carla)」がメキシコ湾からテキサス州に上陸し、46人の死者が出ている。
出典
注釈
- ^ a b ただし、当時の単位はmb(ミリバール)であった。
- ^ 台風情報が発表される際には中心気圧は5hPa間隔とし、端数は丸めてしまうので、第2室戸台風の最低中心気圧は890hPaとして公表されている。
- ^ 当時の用語。「弱い」という語が油断を招いて災害につながる恐れがある等の理由で、1999年から現行の「熱帯低気圧」に改められた。
- ^ アメリカ軍は第2次世界大戦後から、台風やハリケーンの圏内や中心に気象観測用の大型飛行機を飛ばして観測を行なってきた。危険ではあるが、気象衛星やレーダーと違って直接に正確な観測記録を得られるという大きな利点がある。ハリケーンに対しては継続されているが、太平洋の台風に対しては、軍の予算削減により1987年を以って廃止された。日本は飛行機観測を実施していない。
- ^ 台風情報が発表される際には中心気圧は5hPa間隔とし、端数は丸めてしまうので、第2室戸台風の最低中心気圧は890hPaとして公表されている。
- ^ 当時は暴風雨圏と呼ばれた。
- ^ 当時の新聞記事(例:毎日新聞)より。風速15m以上の強風域は示されていない。気象庁が強風域を表示するようになったのは1965年頃からである。
- ^ 2位は1962年第28号の5.75日、3位は2002年第9号の5.00日。
- ^ 最大風速は、1965年9月10日に同じ室戸岬で台風第23号により69.8メートルが、最大瞬間風速は1966年9月5日に台風第18号(第2宮古島台風)により宮古島で85.3メートルが観測されて更新された。
参考文献
- 『1956~1965 天候10年集成』 財団法人日本気象協会 1970年
- 『1956~’65天気図10年集成』 財団法人日本気象協会 1973年版
- 『台風に備える』 日本放送出版協会 1972年
外部リンク