藤原洋
藤原 洋 (ふじわら ひろし、1954年9月26日 - )は、日本の起業家・科学者。ブロードバンドタワー代表取締役CEO、インターネット総合研究所代表取締役、株式会社ナノオプトニクス・エナジー取締役会長ファウンダー、株式会社ナノオプト・メディア代表取締役社長。京都大学にて宇宙物理学の学士、東京大学にて工学博士を取得。MPEG技術の標準化に大きな貢献を果たした。福岡県八幡市(現・北九州市)出身。 概要日本IBM、日立、アスキー等を経て、1996年にインターネット総合研究所を設立。同社は1999年に東証マザーズの第1号上場を果たした。2000年にはブロードバンドタワーを設立、2005年に上場した。ブロードバンドタワーは、データセンター(主なクライアントとしてYahoo! JAPAN)、イーコマース事業等を手がける。同氏は合計3社の上場を果たしている。科学技術をベースとしたベンチャー起業家としての第一人者である。 経歴1977年(昭和52年)3月、京都大学理学部(宇宙物理学科専攻)を卒業[1]。 1977年(昭和52年)4月、日本アイ・ビー・エム株式会社に入社。同年12月、日立エンジニアリング株式会社に入社。日立エンジニアリングで制御用コンピュータの設計に携わった。当時のコンピュータは大きくて1台何億円もした。そこに登場したのが小さなシリコンチップの中に機能をパッケージした数万円の8ビットマイクロコンピュータ。コンピュータの世界に革命が起きたと確信した。その後、マイクロコンピュータを使ったコンピュータネットワークの制御装置「ローカルエリアネットワーク」の設計をして雑誌に取り上げられるなど有名になった。そこにアスキーの副社長であり、マイクロソフトの副社長も兼ねていた西和彦から「会いたい」と連絡をもらい、そのときに連れてきたのがパソコンの神様ビル・ゲイツだった。株式会社アスキーへの転職の誘いを受けた[3]。 1985年(昭和60年)2月、株式会社アスキーに入社。パソコンの神様と言われたアスキーの創業者、西和彦の下で働き、ベンチャースピリットに触れた[1][3]。 1987年(昭和62年)2月、株式会社グラフィックス・コミュニケーション・テクノロジーズに出向、取締役 研究開発本部長に就任[4]。 1988年(昭和63年)9月、米国ベル通信研究所(Bellcore)訪問研究員[5]。 1993年(平成5年)3月、株式会社グラフィックス・コミュニケーション・ラボラトリーズ出向 常務取締役 研究開発本部長に就任。同年6月、株式会社アスキー取締役に就任[5]。 1996年(平成8年)1月、東京大学より工学博士号を取得。同年12月、株式会社インターネット総合研究所を設立、代表取締役に就任(現任)[1]。 2005年(平成17年)11月、株式会社ナノオプトニクス・エナジーを設立、取締役会長に就任(現任)[5]。 2012年(平成24年)4月、株式会社ブロードバンドタワー 代表取締役会長兼社長CEOに就任(現任)[1]。 人物
公職活動
学会活動その他の活動慶應義塾大学客員教授、会津大学客員教授、多摩美術大学非常勤講師、名古屋大学非常勤講師、東京大学大学院数理科学研究科客員教授、青山学院大学国際マネジメント研究科特任教授歴任[6]。 現在、SBI大学院大学学長教授、慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授(環境エネルギー情報論)、慶應義塾大学大学院SDM研究科研究プロジェクト教授、一般財団法人インターネット協会 理事長、一般社団法人デジタル田園都市国家構想応援団代表理事。人民日報海外版日本月刊 理事長[7]。 著書
監訳
テレビ出演脚注関連項目外部リンク
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